このお話の登場人物
〇篠宮類(しのみやるい)ルイ
〇篠宮玲(しのみやれい)レイ
〇雪(ゆき)ユキ



 暑い日は嫌い。でも、寒い日はもっと嫌いだった。粗相をする度に部屋を追い出され、暖炉の温もりもランプの明かりもない納屋で震えながら朝を待つあの時間が、一等嫌いだった。夏は寝間着でも外で生きていけるのに、冬はそうはいかない。
 あの日も、そうだった。暖炉の灰をきちんとかけていなかった事が原因で閉め出され、外で歩くにはあまりにも薄すぎる服で院を後にしたことを、良く覚えている。
 街で盗みをして、お金や物を持って帰ればいつも院長は許してくれた。だから、その日もそうするはずだった。記録的な雪が降らなければ。その雪に、負けることがなければ。
 いつも通り、院に帰って、院長の怒りを買わないように過ごす。生きる場所のない自分たちに生きる場所をくれる人なのだから、逆らわずに、息を殺して、そうして、
「ユキ、来い」
「ユキくんお仕事だよ」
「……はい」
 彼らに拾われなければ、きっとずっと、そういう生き方をしていたのだろう。


 雪の朝は早い。夜明け前から寝床を後にし、使用人全員に支給されている服に身を通し、まず向かうのは屋敷の玄関にあたる場所だ。玄関、と言っても館の方の玄関ではなく、広大な敷地の入り口である門の方だ。
 そこまで行き、新聞配達員と挨拶を交わしてから新聞を受け取る。毎日のことなので配達員とはすでに顔なじみだ。この時にたまにもらえるチョコレートや飴玉は密かに雪の楽しみになっている。
 今日ももらえたチョコレートを口の中で溶かしながら早足で館の方へと戻る。この時にすれ違う飼育係の青年ともきちんと挨拶を交わす。彼も朝が早い人間の一人だ。
 館に戻って新聞を机の主が座る場所のすぐ近くに置き、次は使用人用に作られた食堂へ向かう。干してある台拭きを一枚取り、濡らしてからいくつもある長机を拭き残しが無いように丁寧に拭いていく。椅子の上に立って拭くというのは少々行儀が悪いが、立たなければ端から端まで綺麗に綺麗に拭くことが出来ないので仕方がない。
 使い終わった台拭きを水場に置かれているバケツの中に入れ、とりあえずは食堂を後にする。その足で部屋に戻り、軽く部屋の掃除をする。と言っても、私物の全くない簡素な部屋にゴミが増えることはなく、普段寝る以外に使うこともない部屋なのでほんの少し埃がたまる程にしか汚れない。
 先ほどもらったチョコレートの包み紙をゴミ箱に入れ、少し乱れた服を直してからもう一度部屋を出た。向かううちに自然と背筋が伸びる。向かう先は、畏れ多い主の片割れの部屋だ。
「失礼します」
 ドアを開け、カーテンが掛かったままで薄暗い部屋の中心にあるベッドまで近寄り、無防備に寝息を立てる主の片割れ、篠宮玲を揺り起こす。
「おはようございます、朝ですよ」
「……うーん」
 普段からは想像も付かないほどしかめっ面で起床を嫌がる玲をどうするべきか悩んでいると、布団の端から不意に出てきた手に呆気なく捕まり、布団の中へ引きずり込まれてしまった。
「れ、レイ様っ」
「おはようユキくん。でもおやすみ〜」
 あっという間に両手で雪を抱き込み、頬ずりまでしてくる玲に慌てて抵抗するが、圧倒的な体格差のせいでどうすることも出来ない。そのまままた眠りにつこうとする玲に、もはや抵抗の声を上げることしかできなかった。
 いつものことなので最近は引きずり込まれないようにうまく間合いを取れるようになっていたのだが、ここ数回寝起きが良くなっていたこともあって完全に油断していた。改心したと思っていたのに、自分を惑わせる罠だったとは。
「朝ご飯の時間に間に合いませんよ、レイ様」
「朝ご飯より今は寝たい」
「ルイ様にまた怒られますよ」
「ユキくん何とかして……」
 会話を続けながらも再び意識を手放した玲の腕が力を失うのを待って布団から這い出し、足下まで回り込んでから布団を剥いだ。さすがに冷気には勝てなかったようで、少ししてから身を丸めながらも目を開けた玲にもう一度おはようございます、声をかける。
「……ユキくん、ちょっと酷くない?」
「あんなにおいしい朝御飯が冷めたらもったいないです」
 部屋の隅に置いてある着替えを取りベッドの上に置くと、玲は渋々といった様子で寝間着のボタンを外し始めた。何をするでもなく側に立って着替えを待っていると、不意に玲の目がこちらへと向けられる。何かあるのかと背筋を伸ばして待ちかまえると、ボタンをいじっていた手が伸びてきて、大きな手で頭をなで回された。
「ほかのお仕事、あるんでしょ? 俺はもうちゃんと起きたから行っていいよ」
「あ、う」
 わしわしとまるで犬を撫でるような手つきで頭をかき回され、脳みそごと振り回されるような錯覚を覚える。類と違って、玲はこういう所は少し乱雑なのだ。
「でも、まだ」
「いいよ。起こしてくれてありがとう、いってらっしゃい」
 撫でていた手が額の方まで下がり、そのまま前髪をかき上げて額の右側に一つキスを落とした。そのやわらかい唇が雪に降りかかるのは決して珍しいことではない。が、だからといって何度されても慣れるものではなく、無意識に強く目を瞑ってしまう。その姿を見てか玲がくつくつと喉で笑っているのが真っ暗な視界でも分かった。
「……えっと、しつれい、します」
 キスのせいで玲と目を合わせることが気恥ずかしくなり、そのまま逃げるように部屋を出た。
 玲になで回されたせいでぐしゃぐしゃになった髪を手ぐしで適当に直し、長い廊下を早足で歩く。その角で、先ほど相手をしていたはずの主の姿が見えた。しかし先ほどまでとは違い、気の抜けたような笑みでも眠気を前面に押し出した眼でもなく、どこか現実離れしたような冷たさを保った瞳をこちらに向ける。
 否、あれは玲の片割れ、類である。
「ルイ様、おはようございます」
「ああ、おはよう」
 玲と違って寝起きの良い類はすでに身支度もすませていて、後は食卓へ向かうだけ、といった様子だ。
 双子だというのに細かい部分はまるで正反対なこの二人は、動かなければどちらがどちらだか全く分からないのに、ほんの少し動いただけですぐに分かってしまうほどには別人だ。
「レイは起きたか」
「一応、起きたと思います」
「……そうか」
 会話が続かなくなり、一瞬の沈黙が流れる。どうするべきか悩んでいると、何を思ったのか類が一歩近づき、雪の首もとに手を回した。
「また引きずり込まれたか」
「え、っと……?」
「襟が立っている」
 類の手が触れるのとほぼ同時に、首もとの些細な違和感が消える。どうやら玲に布団の中に引きずり込まれたときに服装が乱れたままだったらしい。
「あ、すみませんっ」
「気にするな。あれが悪い」
 一通り直し終わったのか、満足したように両手が離れ、右手で雪の前髪をかき上げて額の左側に軽くキスを落とす。こんなところまで彼らは、まるではんぶんこするように反対側を使うのだ。使われるこちらは同じことを二度されてたまったものではないのだが。
「朝御飯は抜くなよ」
「わ、わかりました」
 そのまま軽く頭を撫でてから、何事もなかったかのように類はその場を後にした。

 篠宮家に拾われて一ヶ月と少し。何故か雪は、誰もが平伏す権力者である双子のお気に入りとなっていた。