いち


ポケモンなんて嫌いだ。あいつらは可愛い顔をして、忠実な人間のしもべのフリをして擦り寄ってくるけれど、本当は何を考えているかわかったものじゃない。例えば今、そこで小さな男の子の顔を舐め回しているヨーテリー。奴がいつあの男の子の顔をそのまま食いちぎってしまったっておかしくない。それなのに、ポケモンに任せておけば安心だ、なんて言って母親たちはのんきにおしゃべりしている。男の子の側にマメパトが寄ってきた。私は思わず身構える。ポケモンの中でもマメパトは特に嫌い。群れをなしているから。
いつ包囲されるかわかったものじゃない。
そう思っているうちに、マメパトの大群は私と男の子を完全に包囲した。
ぐるりと周囲を見渡せば、マメパトたちは思い思いにあちこちで餌をつついたり羽を震わせたりしている。けれど、これもきっと見せかけに過ぎないのだ。
一瞬でもこちらが油断すれば、牙を向いて襲いかかってくる。それがポケモンなんだから。

ぐいっ、と拳を握ってベンチからゆっくりと立ち上がる。
こちらがマメパトたちの敵意に気づいていることを悟られてはいけない。
できるだけ急ぎ足で、でも自然を装って。

私が歩き出そうとした、その時。

ぺちゃっ

何か、生温かくてぬるぬるしたものが、私の首筋にあたった。
それはそのまま地面に落ちたらしく、振り向きざまに背後に足払いをかけた私の靴に思い切りあたって跳ね飛ばされた。
近くの茂みにぽーんと放り込まれるその姿を確認して、私はすぐに首筋に手をやる。
今のがポケモンだったりしたら一大事だ。この粘液のようなものの中に毒が含まれているかもしれない。
急いで帰ってシャワーを浴びないと……

「ボクのトモダチに、なんてことするの?」

不意に冷たい声が、再び背後から降ってきた。
喋っているなら人間だ。安心して大丈夫。ゆっくりと振り返る。

と、そこには深くキャップを被った、薄緑色の髪の毛の青年が立っていた。
腰からルービックキューブをぶら下げている。不思議な子だ。

「トモダチ?」

「そう。今キミが蹴り飛ばしたオタマロだよ」

青年が茂みを指差す。なるほど、彼のポケモンだったのか。
オタマロなら毒性は無い、安心だ。
まあ、家に帰ってからシャワーをあびることに変わりはないけど。だって気持ち悪いから。

「あら、あなたのポケモンだったの。ごめんなさい。それじゃ」

くるりと踵を返して再び歩き出そうとした、私の手がぐい、と引っ張られた。
イライラしながら振り返る。何よ。そんなに怒るなら最初から放し飼いにしなければいいのに。

「ボクのポケモンじゃない。ボクの"トモダチ"だ。…おいで、オタマロ」

いつの間に茂みから出てきたのか、青年の足元まで戻ってきていたオタマロは、彼の出したボールの中に吸い込まれていった。

「そう。トモダチね。ごめんなさいね」
「……キミみたいなニンゲンたちが、ポケモンたちを苦しめているんだ」

青年はキャップの下から私を睨む。
そんなこと言われたって困る。私はポケモンを苦しめようなんて思ったことはないのだから。ただ、私の側に来てほしくないだけ。

「ポケモンを都合の良いようにこき使って、道具か何かだと思っている。
そんなニンゲンたちの元からポケモンを解放するのが、ボクの使命だ」

彼はそう言って、すう、とボールを取り出した。

「キミみたいな奴は放っておけない。ポケモン、ここで解放してもらうよ」

どうやらバトルをしよう、と言っているようなのだが。

「無理。だって私、ポケモン持ってないもの」

その言葉に、青年は瞳を見開いた。
そんなに予想外だったろうか。不思議な人だ。

じっと探るようにこちらを見てくるものだから、どこか居心地が悪くて目線をそらす。
すると青年は、困ったように首を横に振った。

「…駄目だ。キミからは何も分からない。キミ、本当にニンゲンなの?」
「じゃなきゃ何だって言うのよ」
「だって……」

「いけえっ、グライオン!」

不意に男の怒鳴り声が、広場に響き渡った。
続いて甲高い叫び声。
見れば、先程までヨーテリーと戯れていた男の子が涙に顔を歪ませている。

「やめてっ、僕のヨーテリーをいじめないで!」
「ははっ。いいポケモン持ってんじゃねえか。 ちょっと俺達に貸してくれよ」

ああ、不良グループか。
彼らはこの辺りをアジトにして、周辺をうろついてはめぼしいポケモンを奪っていく不良グループだ。あの男の子も運が悪かった、ということだろう。諦めて次のポケモンを……

「キミたち、何をしているの?」

えっ、と思ったときには既に遅かった。先程まで私の隣にいたはずの青年が、男の子と不良少年の間に割って入っている。

「あ? お前には関係ねえよ。失せろ」

「お前じゃなくてNだよ。……トモダチを虐めて、楽しいかい?」
「……ああ? あんまり調子こいてると痛い目見るぜ? Nさんとやらよ」

不良グループがこれ見よがしに男の子のヨーテリーを踏みつける。
きゃん、と小さな鳴き声を漏らして、ヨーテリーは足をばたばた動かした。

「待ってて、今助けるよ…。いけっ、オタマロ!」

さっき私が蹴ったオタマロがボールから飛び出す。
不良少年がポケモンに指示しようとした、その時には既に。

「バブル光線!」

「す、ごい……」

肩で風を切って歩いていた、彼らが。
一瞬で、蹴散らされていた。

「お、お兄ちゃんありがとう!」
「……。キミは、この子を本当に愛している?」

助けだしたヨーテリーを抱えて、青年は男の子に尋ねる。

「? うん、もちろん!」
「それなら、逃がしてあげることだね……」

そう言ってヨーテリーを男の子に返すと、素早く私の側へと戻ってきた。

「ニンゲンと一緒にいることは、ポケモンにとっては不幸以外の何者でもない。
…ボクは戦うよ。トモダチのために……」

「何言って…」

言葉を続けることが、出来なかった。
青年の腕に抱かれた、オタマロが。
オタマロが。

「いやあああああああああああああああっ!!」

私の胸に向かって、飛び込んで……


めのまえが まっくらになった。




(10/10/10)




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