逃走日和


「ちょ、っとマズいかな……」

私はスプレーを作った人でも、その会社のクレーム係りでもないけど、
このポケモンの量はいくらなんでも規定外だと分かる。
いちいちシュッ、シュッ、なんてやって追い払える量ではない。

ユンゲラー、メタモン、ゴルバットにスリーパー……
此処にたどり着くまでに見たことのあるポケモンもいれば、まったく遭遇しなかったポケモンもいた。
共通しているのは、こちらに敵意をむき出しにしていることだけ。
これには流石のミュウツーも焦りを感じたようで、ざりっ、という音と共に一歩後ろに引いたのが分かった。

彼らは種族同士、お互いににらみ合いながらも此方を警戒している。
恐らく洞窟全体としての意見が「取り敢えずコイツ等を追い出せ」ということなのだろう。

「ど、どうする?」
「私に聞くな」

嗚呼もっといろんな道具を持ってくればよかった。
大量のピッピ人形とか。

此方を睨んで攻撃の機会を伺っているポケモンたちから目を離さないようにしつつ、
しゃがんで鞄の中身を確かめた。
最初のほうはミュウツー捕獲用のボールやら技マシンやらで膨らんでいた私の鞄も、
今ではすっかりしぼんでしまっている。
すぐさま取り出せるように上のほうにしまってあるゴールドスプレー。
その下にある穴抜けの紐はもう役に立たないから、他に何か無いか……

ちょっと待って。
穴抜けの紐は、本当に何の役にも立たないのだろうか。
相当丈夫な材質で出来ているようだし、かなり長い。ひょっとすれば……。

「ミュウツー、一個打開策考えたんだけど」

静かに告げれば、今度は疑問も反論も帰ってこなかった。
はじめに真っ暗な洞窟で協力を決めたときと同じ、頷く気配。

私も頷いて、鞄の中に手を突っ込んだ。



はじめに動いたのはゴルバットだった。
天井の上に止まっていた軍団の半分は他のポケモンたちを攻撃に、
もう半分は此方に向かって飛んでくる。
それを追うようにしてユンゲラー、メタモンはそれぞれバラバラに変身して他のポケモンにまぎれてしまい、見分けがつかない。

「いい? 思いっきりよ」

そう言って紐から手を離し、伏せた。
ひゅん、と頭の上をスプレーの缶が通過する。
それは飛んできた数羽のゴルバットをなぎ倒して、天井近くの壁にぶつかった。
近寄ってきたスリーパーに寝転んだ体勢のまま蹴りを入れて、半ば叫ぶ。

「もう一度!」
「解っている」

イラついた返事が返ってきて、再び風を切る音がする。
スプレー缶を振り回しているのは、取っ手に硬く結び付けられた穴抜けの紐だ。
それはミュウツーの強靭な尾につながれて、鞭のように洞窟中を駆け巡っている。

上空の敵は穴抜けの紐とスプレー缶、地上を近寄ってくる敵はそれを振り回すミュウツーの尾と、私の手元に残った最後のスプレーで撃退する、というのが作戦だった。
勿論時間稼ぎでしかないが、そのうちスプレーが……

がつん、と天井に当たった。
これで四度目だろうか。
ばりっという鈍い音がして、スプレーの周囲を飛んでいたゴルバットが悲鳴に近い鳴き声を上げる。
スプレーが壊れて、中身が出てきたのだ。

この作戦のもうひとつの目的でもある。
射程距離が短いスプレーを、近づいてきた敵に一生懸命吹きかけるよりはこうして空から散布したほうが早い。
勿論それを振り回しているミュウツー自身にも被害は及ぶわけだが、そこは根性で頑張ってもらうとして。


既に半数近くが逃げ出し始めていた。
だが残りの半分はしぶとく残って此方を攻撃している。
そろそろスプレーも切れかけてきた。
早く、他のポケモンもどうにかして撃退しなくては……

思ったより作戦が長続きしなかったことに焦りを覚える。
何か代案を、と必死で思案をめぐらせるのだが、
今までスプレーに頼ってきた分、なくなってしまうとよりどころが無いのも事実だった。
回復の薬、ピーピーマックス…。
鞄の一番下にあることはある、のだが。

「目を閉じろ」
「え?」
「早く」

突然言われ、考えるよりも先に目を閉じた。
まぶたの裏が急激に明るくなる。

「よし」

その声にゆっくりと目を開ければ、先ほど目前まで迫っていたメタモンが、あらぬ方向にふらふらと進んでいた。

「逃げるぞ」

その言葉に異論は無い。
ぐるりと周りを見渡せば、一箇所少しだけ明るい出口が見えた。

「あそこね」

頷いて走る。
ミュウツーの尾に巻きつけたスプレー缶がカラカラと煩かったので、走りながらほどいてその場に捨てた。
正直、走りながらあそこまで固く縛った紐を良く解けたものだと思う。





「っ……、もう、平気かしら…?」

「恐らく……」

ようやく敵が見えないところまで来たときには、どちらともなく安堵の溜息をついていた。



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