冷戦日和


息があがる。
酸素を求めて喘ぐ口は、ミュウツーの尾に塞がれた。
岩陰に身をひそめて息を殺す。
ワタルさんの声とハクリューの気配が近づいてくる。
胃がせりあがる程の不安に、思わず口にあてられた尾を掴むと、上からミュウツーの手が添えられた。

「*ちゃん、何処にいるんだ?
いいかい、君は間違っている。ポケモンを私利私欲のために使っていいはずがない。君のポケモンたちだって…」

声が段々と遠ざかっていく。
やがて朧気に聞こえていた声が短い叫び声をあげ、ポケモンに何か命令した。

恐らく、先ほどミュウツーのフラッシュで撒いた、洞窟中のポケモンたちの集まる部屋に入ってしまったのだろう。

おそらく、暫くは出てこられまい。

ほっと一息ついてしゃがみこめば、ミュウツーの何か言いたそうな目線が私に突き刺さる。

言いたいことは分かってる。あえてそれを、直接聞いてこない訳も。

「ポケモンを私利私欲のために使う…。
そんなつもりじゃ無かったわよ」

呟いて、鞄の中のモンスターボールを眺める。

ワタルさんは正義感の強い人だ。その彼の定義する「悪」に、どうやら私は引っ掛かってしまったらしい。

ボールのポケモンたちは、疲れ切った表情で眠っていた。
丸一日、やれるだけバトルをしたあとはいつもこうだった。
彼らを、私は一度でも労ったことがあっただろうか。

「別に、ミュウツーを捕まえて悪いことに利用しようとした訳じゃないの」

って言っても、あくまで私の定義の「悪いこと」だけど。

嗚呼多分ここで見放されるだろう。
背筋に戦慄が走る。

此処はミュウツーの庭だ。
私を置いて身を隠すことなんて造作もない。
或いは、私がこれ以上役に立たないとわかった今、この場で殺されてしまうか。

初めミュウツーとの戦いに負けたときは覚悟が出来ていた筈だったのに、今更になってひどく恐かった。

今度こそ、本当に私の味方はいない。まさしく独りきり。
鞄の中に唯一残された傷薬では、私の命は救えない。

ワタルさんは私の死体を回収してミュウツーを探したあと、見つからなかったと諦めて帰るのだろう。
利用するあくどい人間がいないかぎりは、最強のポケモンの存在は切羽詰まった問題ではない。
指先が震える。
鞄が落ちた音がした。
遠くでワタルさんが洞窟のポケモンたちをなんとか傷付けずに撒こうとしている声が聞こえる。

「…!」

まさしく八方塞がり。
無敵の*、此処で敗北。ジ・エンド…

「*!」

体が揺さ振られていた。
遠退きかけていた意識が戻ってくる。

「何をしている。
逃げろと言ったのはお前の筈だ」

「えっ…」

何の話をしているのか、一瞬判らなかった。

「ワタルは今、洞窟のポケモンに足止めされている。
これは幸運だが、同時に不運だ」

「逃げる、の?」

一緒に?

出口へのルートを簡潔に説明し始めたミュウツーに尋ねると、妙な顔をされた。
「他にどうするつもりだ」

「でも…私は…」

言葉が思うように出てこない、目の焦点が合わない。

言いたいことを察したように、ミュウツーは言った。

「私を捕獲しようと目論む時点で、お前がまともな人間では無いこと程度心得ていた」

「見かけによらず、あなたって本当に失礼」

いつの間にか死への恐怖は影を潜めていた。
まだ平気、大丈夫。

息を吸って、睨み付けながら微笑む。

「考えがあるの」

落とした鞄に手をのばした私は、自分でも驚くほどはっきりと告げていた。

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