とある早い春の日に | ナノ
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とある早い春の日に

 春にはまだ早い。咲いているのは梅の花と早咲きの桜だけで、朝晩には暖房を使うのはまだ止められなかった。

 そこへ出向いたのは年を開けてすぐ、亡くなった身内の骨を持って、田舎へと帰省したついでであった。隣県に位置するそこは日本有数の観光地でもあった。昔からやんごとなき方や海外数か国の外交官達の避暑に使われていたり、元々古い歴史を持った建造物が多いから、そういったものに造詣の深い者や近年増えた海外からの観光客がたくさん訪れていたりもした。
 ここへ来たのは初めてではない。いや、数回あると言っておこう。隣県へ宿泊することもあれば、ここへも宿をとることもあった。ここは自身にとって何か郷愁とは違う、なにがしかの安寧をもたらすところだった。
 
 今回も宿――――――とは言っても今回はたくさんある温泉宿施設の一つに世話になった。以前なら外国人の多い、値段は格安なゲストハウスを使うことが多かったのだが、あまり調子のよくない股関節を持った自身は杖を必要とし、ゲストハウスの二段ベッドの上しか空いていないという旨でそれを諦めたからだ。自分のみを簡易はしごを登って二段ベッドの上段に行くのはいいが、着替えや他荷物を詰めたキャリーカートを引上げるのはまた骨が折れる。それに今回は療養気分であるために、そういったゲストハウス特有である、談話室で一つテーブルを車座に様々な人種の人達と会話すると言う事にも少々気後れしていたのだ。

 今回予約したそこはJR日光駅のそば、日光クラシックホテルという洒落たホテルだった。電車を降りて、駅の目の前であるから便利はいいし広い風呂もある綺麗なホテルだ。ここを予約した理由の一つでもあるレンタカーショップが近いのが良かった。
 この地に来るとたいていはレンタカーを借りる。それは初めて訪れた時にバスでの観光をしようとして、えらく大変だったのを後悔したからだ。一時間に一本のバスでは都合よく観光名所を回れず、バスの時間を気にして観光にも気もそぞろだったこともあったからだ。
 なにより今日も行くつもりであった、明智平パノラマレストハウスでは、バスを降りて観光したあと、土産物など物色していたが15時には閉まるのが冬場では当たり前だと言う。次にやってくるバスの時間にはそれこそまだまだ40分以上あったのだから、まだ男体山に雪が残る寒い中、停留所に一人佇み、シャッターを閉められるレストハウスの音を心細い思いで聞いていたのだ。風の音だけがする中、レストハウスからぞろぞろと数人の従業員達が出てきて、車がどこからともなく現れたと思うと、従業員の一人が私を見てこう言ったのだ。「中禅寺湖までで良ければ一緒に乗られますか」と。
 天の助けと私は喜色満面で同乗させていただき、ありがたく中禅寺湖で降ろして貰ったのであった。そういった経験からも、やはりレンタカーは外せなかった。

 様々にこの地での出来事を思い出し、頷きながらホテルの部屋で荷物を広げる。さっさと必要なものだけ手提げにでも入れて予約したレンタカーを取りに行こうと手を動かす。
 自分の部屋のドアを閉めて、ここはオートロックだったか、オートロックというものはこのままでいいのかとまごついていると、隣の角部屋からもちょうど人が出てきたところだった。このフロアにはシングルほかツインや、ダブルもあるようで賑やかでもなく、話しながら出てきた長身の男に少しぎょっとした。
「慌てなくていいぞ、涼介」
 低い、渋めの日本語が廊下に響いた。それを発した男は何というか、白系ロシアなどの外国人ぽくあり、ましてやまるでアーミーのようないで立ちであり、革ブルゾンにカーゴパンツ、そして重々しい編み上げブーツを履いていてまさに軍人のようだった。その体躯はどっしりと重々しく、男としては背はあるし厚みもあり、見事な偉丈夫の部類だろう。そもそも頭に巻いた白いバンダナと、見え隠れする短い金髪、彫りの深い目鼻立ちに浅黒い肌となれば当然外国人だと見まごうだろう。だが、彼はこちらをちらと見ると僅かに会釈するかのような目くばせで、うるさくしてすまないと言った風の視線を寄越したのだった。
 うるさいなどととんでもないですよと言うようにこちらもあわてて会釈をした。相手は厳つい顔つきゆえに柔和な態度を取られてこちらは少し面食らってしまったのだが。
 男が開けたままにしているドアから次に出てきた細身の背の高い人間に再び面食らった。
「すまない、靴紐が固くて」
 こちらの低くはあってもまるで涼やかな風に乗ったような甘い声が応える。伏し目がちに男が開けているドアをくぐったと思ったら、ちらとこちらを見た。

 不躾ながら口を開けて見ていたかもしれない。白い端正な顔は僅かに首を傾げた。はらりと艶のある黒髪が幾筋か、その面に揺れ落ちた。あっと思って軽く会釈すると、その切れ長の夜空のような目が微笑んだ。優雅な、それはスローモーションのように魅了された時間であった。何という美しい青年だろうかと感動すら覚えた。
「さ、行こうか」
「外はどうだ? 寒いか?」
「まあ、上に登ればな」
「そうか、コートは車に…」
 こちらはただあんぐりとしたまま、そしてそれは次に堪能の溜息となった。滅多に見ないであろう絵になる二人の緩やかな足音を、高級そうな絨毯が受け止めていく。二人の会話は廊下に響きながら、遠ざかる二つの長身と共に小さくなっていった。

 杖を助手席に置き、レンタカーを走らせる。今年は雪がまだ残っているようでタイヤはスタッドレスである。自身のスマーフォンで音楽を鳴らしながらナビの案内に向かって車を走らせる。何度か来ていても、ナビは実際に助かる。まずは駅から近いところからと、二荒山神社を目指した。
 ここは、かの有名な日光東照宮がある。日光輪王寺が下手にあるとすれば東照宮は中央、上手に二荒山神社がある。二荒山神社は中禅寺湖前にも中宮祠がある。ご神体である男体山の登り口があるのだ。その男体山の頂上には奥の宮があり、山頂には鳥居と光り輝きそびえ立つ御神刀が鎮座している。当方の足ではそこへ登ることなど生涯望めないだろうが、180年前に建立された神剣が東北大震災の後、ぼっきりと折れて発見され、あらたに建立されたという。以前の鉄の神剣ではなくステンレスで作られたそれは草薙の気を受け光り輝いているらしい。
 そんな思いをはせながら古くなったお守りを返納し、新たに「いちいの木」のお守りを購入する。そして、中禅寺湖へ向かって階段を注意しながら降りると左前の方向、湖畔ぞいに黒い車が停まっているのが見えた。
「……インプレッサのようだが、違うか……」
 車を運転するために購入した眼鏡は車の中だった。おいおい年齢から目も若いころに比べて弱ってしまったゆえにはっきりとは見えないが、車のそばには背の高い人が二人いたような気がする。
 びゅうっと風が吹いて、その冷たさに身震いをし、私は着こんだコートの胸元を合わせて少々急ぎながら駐車場に停めてある車へと向かった。


 二荒山神社に参った後は、中禅寺湖クルーズへと車を進めた。小一時間、大きなクルーズ船で中禅寺湖を周回するというものだ。平日で就航開始日から僅かだから船に乗っている人も少ないだろうと思っていたら、けっこうな人数の外国人の団体さんに会った。大きな声で騒ぐ近隣国の皆さん、船が動く、揺れるたびに感嘆の声を出す欧米人と共に、私は窓を通り過ぎる景色を船のアナウンスを聞きながら堪能していた。遠く岸辺に見えるとアナウンスされているのは、フランスとベルギーの大使館だ。そう言えば奥にある英国大使館イタリア大使館には喫茶もあったなと独り言つ。時間があれば行ってみようと頷いていた。
 窓の外のアナウンスが二荒山神社が麓にある男体山を説明しだした。勇壮な、まだ雪が残る以前は活火山であった聖なる山がそびえ立つ。目を細めていると各国の外国語の中、日本語が小さく、そして涼やかに聞こえてきた。
「―――――……りたくても何故か乗らなかったんだ。初めて乗ってこの天気は恵まれている。さっきまでは曇って風もあった――――」
「――――しかし天気が良くてもここからじゃ――――」
「神剣か? 角度が――――」
 声の主はどちらだろうと思ってきょろきょろしていると、あのホテルで会った二人の男性の姿を騒ぐ外国人グループの向こうに見え隠れするのがわかった。
 観光か。と頷くとまた窓の景色に目をやる。一人旅をよくする私は、会話する人間がいない時は周囲の会話も気にしないながらも空気としては楽しむということもある。
「――――行ってみよう―――――のままなら」
 彼らは男体山の神剣を見たいようだった。あの神剣は確かに一見の価値はあるとしても案外観光客に知られていないのだ。観光課も何故もっと宣伝しないのかと思いながら、尊いものだからかなと思った。

 船は中禅寺湖の裏、奥にある千手ヶ浜近辺まで来た。ここには赤池、戦場ヶ原から徒歩か低公害車のバスでないと来られない。いつか来たいと思っていたのだった。
「京一! ここから見える男体山―――――」
 嬉しそうな声が中韓英語その他ごた混ぜの会話の中から聞こえた。
 うん、そうなんだここから見える男体山はまた素晴らしい。テレビでしか見たことなかった景色が晴天のいい日よりの中で目を眩しさに細めさせた。

 中禅寺湖を進むクルーズは元いた場所へと戻ってきた。がやがやと観光客に混ざって下りて駐車場に行くと、数台の観光バスや車が停まっている中、一台の派手な音を轟かせた真っ黒の車が行くのが見えた。特徴的な音だった。あまり車は詳しくないのでわからないが、インプあたりのような気がする。


 昼食はスマートフォンで開いた食べログを参考にしながら、以前行ったところではない評判のよいところへ行こうと思った。当方の好きな湯葉の定食が評判の中禅寺湖を眺める店へと入る。時間のせいかその店にもたくさんの観光客がいた。もちろん日本人のほうが少ない有様だ。私はつつがなく湯葉定食を頼み、窓から見える中禅寺湖の美しさを眺めていた。そしてついっと視線を店内にやるとたくさんのにぎやかな外国人達の向こうに、先ほど船で、いやその前のホテルでも会った男性二人に気が付いた。偶然が重なることもあるかと定食を口に運ぶ。ここは評判なだけあって流石に美味かった。北関東らしくない繊細な味付けが京を思わせる。やんごとなき方の住んでいた地としてそういう味付けが根付いたのであろうかと、まだまだ拙い推測を頭に浮かべる。
 何の気なしに視線を、騒ぐ外国人の向こうに見え隠れするくだんの男性二人に向けているとそのとても秀麗な、美しいと言ってしまっても失礼ではないだろうか、黒髪の青年がにこやかに、上品に食事をしているのが見えた。大柄なもう一人はその大きな背を向けていて、白いバンダナと短い金髪が見える。黒髪の青年がクスクスと楽しそうに笑いながら箸を口にしたと思うと、大柄な男の左腕がすっと伸びて青年の口の横をその親指が撫でたように見えた。
「…………」
 あまりに自然な行動ゆえに、それがおかしいとも思えない時間が僅かにあり、はっと気が付いて目がパチパチしてしまった。しかも青年はあっと照れたような顔をして悪戯っぽく大柄な男を見つめ、男は親指をどうやら自分に口に持っていったように見えた。
「…………」
 仲がいいのは大変よろしいと思うし、不躾にその様子を見てしまった自分に恥じ入る気持ちがある。なんだかこれも表現の上なだけで実際は悪い物でなんでもないのだが、そういった見てはいけない物を見てしまったような気になって、視線を無理やりさざ波を光らせている中禅寺湖に向けた。

 食後のお茶もそろそろと済まし、賑やかに食事をする人達を見るとくだんの二人は既に会計を終らせてレジを後にしようとしていたところだった。私も杖を回りにぶつけないよう気を配りながら、レジへ向かう。そして入口の自動ドアが開いて、外の冷気を運んできた。二人は駐車場へ向かうのだろうと目端に留め財布を出そうとして、その目端に???な光景が映った気がした。しかし会計を告げられたので慌ててクレジットカードを出した。もちろん、取得した食べログクーポンを映したスマホを提示するのは忘れずにだ。そして会計を済まし、追うように二人に目を向けた。眼鏡を車に置いてきているから確かではないが、店を出るときに腕を組んだ気がしたのが目端に映った違和感だった。大柄な男がポケットに突っ込んだ腕に青年があまりに自然に腕を絡ませた気がした。そして、駐車場で黒い車に乗り込む時にすっとその腕が離れた気がした。あくまで気がした、だけなのだが。
「美味しかったです、ありがとう」
「ありがとうございました〜」
 食事の後店を出るときに一言声を掛けるのは習慣だった。玄関の自動ドアが開いて駐車場が見渡せるようになると、あの二人が乗ったようだった黒くて四角い車は大きな音を轟かせて店から離れていったところだった。車はどうやらランサーエボリューションのようだった。三菱のラリーによく使われる車である。あの角ばったリアウィングはエボVのような気がした。そして自身が借りたレンタカーに乗り込んで思い出した。
 あの長身の、見るかぎり正反対の外見を持つ目立つ二人のその様を。
「……なんというか………」
 よほど仲がいいのだろう。なんともその一人が信じられないほど端正で美しいゆえ、それにその人を守るように厳つい風貌のガタイのいい男が並んでいるのだから、何というか、仲がいいと単純に考えるよりも秘密めいたなにがしかのこう……。
「無粋だな。申し訳ない」
 私は首を振りながら車を始動させた。


 いろは坂を上るのは何度目だろうか。レンタカーを借りる前や必要のない時は友人の車で三度ほど走ったことがあった。ここいらが地元の気のいい友人と、少し遠くから乗せてきてもらう楽しい友人数人と共にだった。今回はやはり身内の……というものがあって少々メランコリックな気分のいろは坂ではあるが、過去にはワイワイ楽しく笑い合いながらだったのだ。
 思い出はたくさんあって、そのどれもが胸に懐かしさと温かさ、眩しさを感じる。若い頃だ、青春だと言うほど昔の話ではないが、無邪気に楽しんでいた過去を思い返せばそんな気分になるのだ。そこでふと、さっき店で会った二人の事が頭をよぎった。
 楽しそうだった。あの、麗人というような、周囲がそれとなく盗み見してしまうような外見の青年はともすれば決して表情豊かでは無さそうなのに、あの軍人のような男といる時間を本当に楽しんでいる気がした。
 羨ましいという感情が自身に沸き上がったのを不思議に思いながら、数えるのも大変なたくさんのコーナーを駆け上がる。目指す先はまだまだ見えない、これでもかと続くコーナーを進んでいくと急に視界が開けるところがある。そう、あれはその開けた場所にあるのだ。以前はそうだった。そして今回は。

―――――――……そこにそれはもう既に。その姿は存在していなかった。その事実は知ってはいたのに。
「そうか……」
 風が吹く明智平は、以前とは違った。あのパノラマレストハウスは取り壊され、重機と廃材が残されていた。しかし左にあるロープウェイはちゃんとあった。稼働もしていた。
「…………」
 寂しいと思う。あの中禅寺湖まで乗せてくれた従業員達はどうしたのであろうか。パノラマレストハウスを取り壊したのは老朽化のせいだと聞いた。そうなんだろう、もう古い、かなり古い建物だったから。また、新しい建物が建つんだろうと思う。そういう風に時は流れているのだ。
 ここはいわゆる走り屋という車好き達が集まるスポットであったという。そういった漫画本があって時代もあり人気が出たと言う事だ。モーターバイク隆盛から走り屋仕様の車へと波は移り変わって、峠でありコーナーもたくさんあるここをサーキットのようにする連中が以前はたくさんいたらしい。そういった場所は峠以外にも高速道路や、臨海筋のスポットがよく使われていたのは知っている。いわゆる暴走族が廃れて、そちらの方へ流れたらしいのだが、たくさんのチームがあったらしい。
 特に群馬、栃木、埼玉、茨城にはその土地を代表するチームがあったと聞く。そしてここはうっすら聞いたところでは、とあるチームが仕切っていた場所なのだと。「皇帝」と言われる男がリーダーで相対する「彗星」と言われた男と伝説にもなったバトルをしたと言う事らしかった。それはまるでここ日光二荒山に伝わる伝説と同じじゃないかと苦笑した。あれは中禅寺湖を欲した赤城の神が戦場ヶ原で日光の神と戦ったというものだったが、神話と伝説が重なっているなど奇妙な偶然だと思った。
 そういった事は伝説にしろ、はたまた峠で腕を鳴らしていて後々にプロレーサーになった人もいるという事にしろ都市伝説のように語り繋がれるんだろう。プロになった走り屋というのは確かに数人いた気がするが。
 まだ雪の残る男体山を見ながら、ぼんやりと考え事をしていたら大きな観光バスが入ってきた。そしてまた賑やかな外国人観光客が降りてきた。やれやれと肩を竦めた私は、また騒がしくなった駐車場からロープウェイ乗り場へと向かった。

 ロープウェイ乗り場の階段を降りる。杖をついて注意しながら行くと、数人の観光客が慌てて乗っていくのが見えた。私もまま急ぎながらゴンドラに乗ると満杯に近いそれはゆっくりと上昇していく。ガヤガヤと人の話す声が聞こえる。左下、眼下にはいろは坂が見えている。私はふと目線を南、下方へと向けた。そしてたくさんいる外国人の中、あの二人とまた同席したことに気が付いた。
 黒髪の美しい青年と軍人のような男は、進みゆくゴンドラの後に続く景色を見ていた。なんだろう。やはり違和感がある。楽し気に景色をみて騒ぐ外国人たちとはムードが違った。ただ、下に流れゆく景色を見ている。印象的だったのはゴンドラの窓の硝子に黒髪の青年が手を触れていたのが――――――そこまでおかしいしぐさではない普通の事なのに、その手が何故か惜しむように見えたのだ。その青年を労わるように寄り添う軍人のような男も静かに下方の景色を見ている。ロープウェイ乗り場を見ているのかと思い少しの不思議を感じながら私は上昇していく先に目を向けた。

「OH! Great!」
「It's amazing!」
「□*☆▽×!!」
 英語他全くわからない言語の感嘆が飛び交う。ゴンドラを降りて展望台へと登れば、そこは日光の名所を見渡せる絶景となっている。風はあるが天気もよく、日の光を受けて光り輝く中禅寺湖とあの有名な華厳の滝が見える。人々は展望台を行き来しわいわいと騒ぎながら景色を楽しみ、そして手にしたスマートフォンやカメラで撮影している。自撮り棒というもので自分達のバックに景色を映している若い者もいた。私は椅子にもなる杖を持っていたので椅子型にし、そこへ腰をかけて景色を堪能していた。右に目をやれば男体山、右後方にはいろは坂含む、屏風岩やはるか遠くには筑波山が見えることもあるらしい。そちらを見るとあの二人がいた。どうもアチラ方面に興味があるんだろうなと思いながら男体山を見る。
 天気が良い今日なら、ここから神剣は見えるだろう。しかし僅かな雲がちょうどの辺りにかかっている。私は小さなデジタルカメラを手にじっと雲が途切れるのを待っていた。周囲では私の座る椅子付きの杖を興味ぶかそうに見る観光客もいた。珍しいものなので何度か声を掛けられたこともあるゆえににっこりと笑いかけると、観光客は拙い日本語と英語で話しかけてきた。
 すると遠巻きにしていた人達までもがやってきて、それを見せてくれと言う。私は照れながら杖でもあり、こうすれば椅子にもなると実演してみせた。何故か「おお〜」と歓声があがり写真を撮られる。中でも中国人の女性はどこで買ったかを聞いてきたので、ネットでこうこうでと説明をすると、足の悪い母親にプレゼントしたいと言っていたのが微笑ましかった。
 そんなちょっとした騒ぎの向こう、あの二人が視界に入った。ああ、お二人だな……と思っていたら、青年の肩を軍人のような男の左腕がそっと抱くのを見た。「え……」と思う前に、杖の事をまた質問されたので、私の意識は他に向けられてしまった。
 一群が私から離れて、私はまたデジタルカメラを構えて男体山の神剣を見ようとした。雲が上手い具合に切れてその山頂部が露わになっている。小さなデジカメの望遠を一杯にして何度かシャッターを切り、出来上がりを見てみたがやはりいまいち遠いのだ。光り輝く何かは映ってはいるが遠すぎてボケてしまっている。私はそばにあった百円を入れたら3分は見られる望遠鏡の覗き込むレンズにカメラのレンズをつけてみようと思い、不自然な体勢を取りながら望遠鏡であたりをつける。
「わわわっ」
 中々神剣の場所が定まらないのと体勢がぐらぐらとするから、私はバランスを崩して椅子付き杖ごと転びそうになった。だがあっと思う間に、肩を誰かに支えられた。するとまた誰かに手を取られてうまくバランスが戻り、転ばずにすんだ。落としそうになったカメラは取られた手が持ってくれていた。肩を支え、体勢を戻してくれたのはあの二人、だった。
「大丈夫ですか?」
 涼やかな声が間近で微笑む美しすぎる青年の口から洩れた。
「だ、大丈夫です! あ、ありがとうございます!」
 右を見ればあの厳つい男が穏やかな顔で頷きながら、支えてくれた肩からそっと手を離すところだった。
「あ、あの! ホテルの部屋……」
と、思わず言うと二人は一瞬不思議そうに顔を見合わせたが、合点が言ったというように頷いた。
「隣の部屋の方でしたね」
軍人のような男が低くも穏やかな声で言った。
「そうですね! 偶然ですね……よろしくお願いいたします」
 思わずとはいえ、たかがホテルの部屋が隣になったくらいでよろしくお願いも何もと言った言葉に狼狽しきり、二人もえっと言うような顔をしたが苦笑しながら、
「いえいえ、こちらこそ」
とフォローしてくれた。私は座ったまま話していた無礼に気づき、慌てて立ち上がろうとすると青年も男性も「お気遣いなく、そのままでどうぞ」と、その手を上げてそれを制してくれた。
「男体山を撮影されてるんですか?」
 青年が私の手にあったカメラを指さして言った。
「あ、そうなんです。男体山の神剣が好きで、天気が良ければここから見えるので」
 その神剣の傍に、登山をしていくことなどこの足では到底無理な事まで暗に言ってしまったようで少しうろたえた。
「ああ、あの神剣ですか。僕も好きです。ここから見えるんですね? やっぱりそうじゃないか京一」
 青年は京一と呼んだ軍人のような男に言った。
「それは俺も知らなかった。まあ、てっぺんは雲を被ってることが多いからな」
「お前のバンダナみたいにな。しかし今日は日よりもいい」
 ちょっとしたジョークに笑ってしまった。京一と呼ばれた男性は口をへの字にした。
 特に冬場はほとんどの日は雲が覆ってしまっているらしい。
「今は雲が切れてますね、望遠鏡をレンズにして撮影とは考えましたね。僕たちが手伝うのでどうぞ撮影してください」
 青年はえええと言いながら遠慮する私に、にこやかに笑う。
「ほら京一」
「ああ、支えよう。涼介、お前は大体の方角を見てくれ」
「わかった」
「そ、そんな、すいません」
 恐縮しきりでこの無謀な、望遠鏡レンズに小さなデジタルカメラをつけて撮影をすると言う事に挑戦する。
「もう少し右か。京一」
「神剣は男体山の最高位置にある。え〜っとこのあたりだな。仰角はこんなもんか」
 背の高い二人も妙に腰を屈めて指示をしてくれている。その間にどうやら再び上がってきたゴンドラから観光客が下りてきたのか、周囲が賑やかになった。
「あ、見えました! 撮ります!!」
 こちらも腰を屈めて二人が支えてくれる望遠鏡からカメラが外れないようにして画面を覗きこむ。男体山の一番高いところが神剣のある場所だ。その左には一見すると神剣と間違ってしまうような鳥居がある。慎重に山頂を眺めて神剣が建立されているだろう場所をカシャカシャと何枚も撮影する。
「撮れたと思います!」
 感謝しきりでデジカメの再生ボタンを押す。青年と男性はそうかそうかと笑みを向けてくれている。
「ああ! 神剣が! ばっちり映ってます、ご覧になってください!」
 私は真っ青な空を背景に神剣が見事に光り輝いているさまを撮影できた喜びに、二人にデジカメの画面を見せた。二人はどれどれと顔を寄せ合い画面を見ている。
「素晴らしい! これは見事だ! なんと綺麗な……良かったですね!」
「おお光ってるな、こんな風にこの場所から撮れるなんてな。しかもあんな方法もあるんだな」
 大きな望遠レンズをつけたカメラなど、到底持ち運べない私の苦肉の策が功を奏したように言われたが、私は手伝ってくれてこの撮影をやりやすいものにしてくれた二人に感謝の言葉を何度も送った。
 その様子を見ていた外国人観光客が、後ろから何があるんだ? というように顔を見せている。いわゆる名所で、見ごたえのある中禅寺湖や華厳の滝ではなく、男体山山頂を撮影してわいわいやっているのだから、何があるのか気になるのだろう。
 すると青年が流ちょうな英語で説明をしだし、私が差し出しているデジカメの画面を指さして男体山へとまた指先を向けた。
 外国人観光客達は神の力を持つ巨大な日本刀が飾られている! と理解し大変驚き、スマートフォンやカメラで撮影をし、望遠鏡を手にして男体山を眺めて神剣を発見しては驚嘆していた。

 観光客で賑わうゴンドラに乗って再びロープウェイを下る。その間、私は共に乗り合わせた二人と少し話をすることができた。まず杖付き椅子を青年に褒められ、私は頭を掻いた。そして旅の目的を説明した。身内の〜と言うと申し訳なさそうな顔をしたのでいやいやと手を振った。そして彼らの事を聞いた。
「思い出を辿りにきたんです」
 黒髪の青年は涼やかに言った。私はあまりに端正過ぎる青年が眩しくて、うんうんと頷くばかりで気の利いた言葉も返すこともできなかったが、それとなく促すように質問をした。
「思い出ですか。どういったもので……」
 すると青年はふっと懐かしいものを見るように笑みを浮かべ、その花のような面を知らない間に私達を守るように立っていた軍人のような男性に向けた。
「……若い頃、この男とここで色々あったんです」
「……色々ですか……」
 悪戯な感じで青年は男性を見上げ、男性は片眉を仕方ないなと言うふうに上げた。青年と男性の風情は当然に若いものだがそれ以上に若い頃だろうか。そして、色々あったと言うのはたいていはまあ、複雑、揉め事を指し示すイメージがある。
「昔はここも騒がしいところだったんですよ」
「……走り屋とかいう人達がここにいたとか聞きましたが」
 青年の騒がしいと言った言葉にそう言えばと思い当たり、何の気なしに言った。
「走り屋……そうですね。昔はたくさんいましたね」
 青年はなんだか秘密めいた目で軍人のような男をちらっと見た。
「ここは何でしたか”皇帝”と言われた伝説の走り屋と、”流星”でしたか”彗星”でしたかそういった異名を持つ人と対戦したらしいとか」
「……そういったこともあったでしょうね」
 青年はなんだかおかしそうにしている。そして、あっと顔を上げたので私も青年が見た方向に目を向ける。そこは、明智平パノラマレストハウス跡地が味気なくある光景だった。
 私は「パノラマレストハウスも無くなってしまって寂しい限りですね」と言おうとした。
 だが、青年は何とも言えない目をしてその跡地を見つめていた。そして私は言葉を継ぐことができずにそのままその光景を見ていた。

 ゴンドラはゆったりと下りて私は気を使ってくれた男性と青年の導きで段差を下り、階段を上がった。駐車場に出れば爽やかな風が吹いていた。
「ありがとうございました」
 私は二人に礼をした。二人も「良き旅を」と笑顔で手を振ってくれた。杖をついて奥の駐車場へと向かう。外国人の観光客もぞろぞろとバスに向かう。そしてふと、後ろを振り返った。以前、パノラマレストハウスのあった場所へと視線がいく。
「…………」
 その傍で、そこを見つめるあの二人がいた。
「…………」
 風に吹かれて、二人静かに佇んでいる。
「…………」
 展望台で見た光景だ。男性――――京一と呼ばれていた人が涼介と呼ばれていた人の肩を左手でそっと抱いていた。それは支えるようにも見えた。何故なら、涼介と呼ばれた人の肩が揺れ、右手で――――――目が悪いので確信はないがハンカチのようなものを顔に当てて頷いているようで。
「……泣いて……」
 大切なものを喪くした。そんな気がした。そこで頭に浮かんだ―――――――悼んでいるのだ――――――思い出を――――――ふたりは―――――――あのパノラマレストハウスを―――――――
「…………」
 私は自身も悼みの旅である事を思い出した。なぜ、そうするのか。何かに浸るためだけではない――――――その場に来て―――――――そこを見て、何かを感じ今の想いをそこに置いてくる意味があるようなものだ。
 多分、先に進むために。
 彼らも何かを置いてくるのであろうか。それが何なのか、私はわからない。

 そう言えばバスが出ていった後ろに黒の車があるのが目に入った。エボVは彼ら二人が乗ってきた車である。明智平に威風堂々と駐車しているそれ。過去に、今は無きパノラマレストハウスの前でもそれはそこにいたことがあるのだろうか。
「Emperor……」
 漆黒の車のリアウィンドウに、その文字が入ったステッカーが目に入る。おそらくそうであろう、その文字は「皇帝」を意味した。
「彼らが……」
 「皇帝」であり、「彗星」なのだろう。ここで、二人は今でも大切に胸に抱える思い出を持つほどのバトルをしたのだろう。

 こんなことは言っていいのかわからないが、まるで恋人同士か夫婦のようにその距離を蜜なものにしている彼らにとっての大切な思い出は、伝え聞いたものよりももっと深い何かがあった気がした。慈しみ合っているかのように見えるそれは彼らにしかわからない、若い頃の眩い光であり熱情なのかもしれない。
「……良き旅を」
 私は背を向けて自身のレンタカーに乗り込む。思い出を巡り、胸にまた染みこませ、記憶は背後に消えてゆきながらも心に刻む。それはこれからを生きてゆくための長い長い旅と同じなのかもしれないと、私は微笑んだ。
                  

 終 2019/3/7


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