To Mobile [11]
車で送ろうかと言えば、楽しそうに峠に行けと言う。今からどこの峠だと聞けば、俺とお前の思い出の峠と言えばわかるかと言う。
思い出なら二つあるが、どっちだと聞くとやっぱり遠いなと言う。行って帰って京一は朝方になるなと見るからに落胆するから、つい望みを叶えてやりたくなる。
「どうするんだ? 酔っ払いさんよ」
「酔っていない。とても素面だ素面」
京一が車に放り込んだ涼介の横顔に問いかけるも、そういう目がとろんとしているから溜息が出る。
「さっきまで話してた議論はまだ途中だ……ふぁ」
その端正な顔からは信じられないくらいの大きな欠伸をして、涙目で口をカプンと音をさせて閉じるさまは京一に猫を思い出させた。
「わかったわかった。公道最速ってのは……」
京一が片眉を上げて呆れたような声を上げた瞬間
「そうだ、俺は公道最速でお前は俺の次だ」
と目の据わった涼介に襟を掴まれて真正面の至近距離にその美形な酔っ払い顔を突き付けられた。
「パンパン」
「は?」
京一が涼介の上気して熱に浮かされたような面、そして赤みの増した唇から漏らされた意味不明な言葉に間抜けな声を出す。
「うるさくて黒い四角いのが追い抜いてったけどな、抜き返してやったザマアミロ」
狭い車内の中、しかも繁華街の駐車場の一角で迫り合う男二人という絵面で、涼介にたち悪く絡まれているのは理解はできるが、京一はクエスチョンマーク四つ並びで対処に悩む。
「狙いすまして抜くっていうのは本当に快感だな」
うんうんと京一の襟を掴んだまま感慨深く頷く涼介の顔を京一は凝視していたが、不可解ながらやはりどこまでコイツは綺麗なんだろうと思ってしまう。
「……涼介、よくわからんがこの酔っ払い」
「酔ってない……と思うぞ、多分、多分……」
「いきなり気弱になるな」
「お前が美味しい酒を薦めるからだ、京一よぉ」
「清次みたいな呼び方すんな」
「…………」
とりとめのない会話の中、清次の名前が出て途端に涼介はカッと目を見開いた。
「会ってんのか? あのエボWの岩城だったか、髪を尻尾に括った男と?」
「え? あ、清次か? そりゃたまにな……」
驚愕と。見間違いでなければ僅かな怒りと嘆きが混ざったような顔をして涼介は京一に言った。そして、京一の言葉を聞いた涼介はその面にまるでカーテンがさーっと降ろされたように、顔が――――――高橋涼介になった。
「そうか。仲間なんだしな、親しくても変じゃないな」
物わかりのいい、それは今まで見てきた涼介の冷たくも見える顔。
「まあ、俺も清次も仕事はあるしな。昔のように馬鹿もできねぇから、昔ほど会っちゃいねえ」
「……そうか。そうだな」
透明で危うい光のような涼介。さっきまでの涼介はカーテンの中に隠れてしまったのかと京一は会話を繋ごうとするもただ涼介を見つめる。
「お前はどうなんだ? あの広報部長や弟、秋名のハチロクとは今はどうなんだ?」
「……それぞれがそれぞれの所に行った、と言うのが正しいかな」
「…………」
答える涼介はふと睫毛を揺らした。京一はそんな涼介の様子を注意深く見ている。暗いエボVの車内、僅かな光源は涼介の白くも脆そうな横顔を移す。
涼介の様子が変わった、それは京一も自覚していた。様々な涼介、昔の――――バトルをした走り屋の涼介。今日の、不思議と幼く見えるような涼介、そして自分がAIになって見つめてきた涼介。
「祭りは終わったんだ。まあ、それが芽吹いて行っているのが救いだが」
そして今話すのは高橋涼介然とした涼介。
涼介はあの祭り――――――北関東の走り屋たちを揺るがしたあの一大プロジェクトの中、何を得たのだろうか。実質、その手にしたものは何だったのだろう。
「お前はどうなんだ?」
これは京一の心の声であり、涼介の僅かに切なげにも見える表情から漏らされた言葉。
「終わった事だ」
京一の低い声は涼介の心の声とシンクロしていた。
「……俺は医師としての道を変わらずってとこだ」
繋いでいたものは車、そして峠だった。京一とのことも涼介の「夢」である公道を舞台にしたプロジェクトも。
「夢を見させてもらった、一時の夢を」
涼介の言葉に京一ははたと気づいた。「夢」、夢という言葉の意味。
「違うぞ涼介」
不穏な悲しみを感じた。
涼介の車――――――速さを追求する夢は、未来を目指す夢ではなく、はかなく消える幻の――――――意を含んでいると京一は感じた。
涼介はわかっていてその手から二人の後継に夢を譲り渡し、白昼夢を見る方を選んだ。
自分が誰よりも輝くダイヤモンドの原石であり速く走れるのに、その限界を自身で体現し超えることなく、後継を育てるという手段に意を変えたのだ。
「お前は俺と走った。それは傍から見れば一時の狂騒かもしれねぇがそれは"夢"じゃねぇ」
涼介が驚いたように京一を見た。見開いた目は先ほどの高橋涼介ではない、今日それまで楽しそうにしていた涼介の目だった。
「現実に俺はお前と最高のバトルをした、そして今ここにいる」
京一は伝えたかった。涼介の"夢"は儚い幻の夢なんかではない、己の手で掴むを諦め誰かに手渡して見る"夢"でもない、と。
「…………」
「……車の、あんなバトルでもしないと、俺達はこうやって会うこともなかったかもしれねぇぞ」
「……俺達は車だけの縁ってこともあるって意味か」
涼介はぽつりと言った。京一はふと片眉を上げる。
「実際、お前と俺じゃ住む世界は違うだろうしな。車、つうかお互いが走り屋でなければわかんねぇな」
「…………」
「ただ、出会いはどうあれ俺たちはバトルをした。俺にとっては生涯心に残るバトルだ」
「……負けたのにか」
涼介はちょっと遠慮したのか小声になった。
「ふ……それを言うな。だがな涼介」
狭い車内であるが、運転席にどっしりと座る京一が片手をステアリングにかけて涼介に向き直る。
「あの時ゃそりゃ悔しかったがな。……穢れなき白のFCとお前に負けたなら本望だと今なら言える」
涼介は京一の慈愛に満ちたような目を見て、少し居心地が悪そうに眼を逸らす。
「……FCは綺麗な白だが、な……」
「…………」
「……俺はそうでもない」
―――――――汚れているんだ 汚れたんだ 夢も 道も
涼介の目に一文字に切られて開いた手首から、とろとろと流れ滴る血が見える。
流れ出た赤は「秘密よ」と笑った口紅の赤となり、ぐにゃりと歪んではFCの車内に舞い狂った香水の赤の破片となり、捨てられた男の狂気の嘆きと叫びと、動かない色の消えた女の体がフラッシュのように脳裏によぎって思考を止める。
「涼介」
声をかけられてハッとした。AI? いやこれは目の前にいる確固とした眼差しで自身を見つめる男の、須藤京一の声だ。
そして気が付いた。
今日、今の今までこの亡霊のような負の記憶に捕らわれたことはなかった、京一と会う、会ってからはまったくの忘却の彼方にそれは消え去っていたということ。
「ぼんやりしてどうした?」
「……あ、いや……やっぱり酔っているかな」
「疲れてたんだろう。……送るぞ。いいな涼介」
エボVのサイドブレーキを大きな手が下す。同時に男らしくも聞こえる野太いエンジン音が夜の繁華街に響く。
「送るって俺の家は高崎だ。ここからじゃ遠いぞ、一時間半はかかる。行って帰ったら三時間だ」
「夜だからもっと早い」
京一はステアリングを切りながら何でもないように言った。
「……下ろしてくれたら電車で帰るぞ」
「それこそ遠回りで時間がかかるぞ。その様子じゃ心配だしな。それに……本音を言えばもう少し……話してぇ」
「…………」
他の、ろくに京一を知らない人間なら怖く感じるだろうその男臭い横顔。
高い鼻梁に引き締められた口にがっしりした顎、大きなのどぼとけ。軍人のような京一の顔を、涼介は眩しそうに見つめている。
もう少し時間を共に過ごしたいと思ったのは自分だけではなかったのかと涼介は何か言いたげな表情で京一を見ていた。
車中、二人は取り留めのない会話をした。先ほどまでの高橋涼介は鳴りを潜め、食事をしたときのような穏やかで楽しそうな涼介だった。軽い嫌味も小気味よく、涼介は京一との会話に嬉しそうだった。
「そうだ、京一。お前に似たものがあるんだ」
「似たもの?」
涼介は突然話題を変えると、ポケットにしまっていたスマートフォンを手にした。
「知ってるか? 最近のこういったデバイスの進化は物凄いな」
「……それは」
「AIだなんだと最近宣伝しているが、俺のは特別なOSなんだ」
「……SIRIとか、オーケイGoogleの類か」
「そう、それの進化版だ、KYOという名だ。な、KYO」
「…………」
『どうした?涼介』
おもむろに不味い展開となって京一の運転するエボVの挙動が僅かにぶれた。涼介は「ん?」という顔をしたが、すぐにスマートフォンに向かって話し出す。
「俺が言ってた男の車に乗っているんだKYO」
『通称エボV、ランサーレボリューションに乗っていた男だな』
「そうそう、お前に似てるんだ話し方や声のトーンも」
『電話で聞いた限りではそうだったな。実際は知らないが』
京一は焦っていた。両手はハンドルを握っているので端末からの指令ができない。通常のAIモードにしてはいるから大事はないが、やはりどこか心もとない。
「京一、話してみろ。何でもいいぞ」
涼介がぐいっと京一の顔の横にスマートフォンを突き出した。京一は不味いなと思いながらも
「KYO……と言うのか、俺は須藤だ」
と、ぎこちなく言った。するとAI、KYOは
『こんにちはマス……』
と言ったので、京一は慌ててアクセルを踏んで爆音を響かせた。
けっこうな距離だったが、それなりには楽しめる時間だった。涼介は礼を言って京一の車から降りると、開けたドアの間に身を屈め京一に言った。
「楽しかった、ありがとう京一」
「……こっちこそだ。涼介、ま」
た、会えるか? と二人が同時に口にした。
「ああ。いつでもいい」
京一が涼介の目に浮かぶ色――――――懐かしさのような寂しさのようなものを汲んで再会を希望する言葉を繋ぐ。
「わかった、またな。電話する」
和らいで微笑んだ涼介に、京一は胸にあった言葉を口にした。
「変わらず、綺麗だお前は」
涼介ははっと面食らった顔をした。自分が綺麗だと言われたい相手だと言った男に言われたのだ。それはKYOに呟いた言葉だった。
「……綺麗……って」
「男相手に言うのも変だがな、その……今も昔も変わらず、お前は汚れてなんかいねぇ」
「…………」
かの昔から自分を綺麗だったと京一は言った。あの悲劇と言えばいいのか、血生臭い醜聞も信頼していた人に命をも取られかけた怨恨も。
京一は知らない、はずなのだ。
「……んな顔すんな」
自分がどんな顔をしているかわからない。
自身は浅ましくもあの貪欲な女性の真似をしてこの男を手に入れようとした。
「京一」
居並び立てるあの世界に。
蜃気楼のように消えてしまう夢の世界を、現実のものとしての証を残す――――――それは自身の中にだけでも残す思い出のような――――――この男でないとだめだったのは何故だろう。
「会えてよかった」
本心が口を突いて出る。
出会いも再会もお前と―――――そうあって良かったと。
涼介は涼し気な面に笑みを乗せて、エボVのドアを閉めた。
[12][企画2]