To Mobile [10]
ロータリーの端に停めた厳めしいフロントマスクの黒の車を涼介は目ざとく見つけた。その車に近寄って来た背の高い細身の青年の姿をミラーで確認した京一は、助手席のドアを内側から開けた。
涼介の前で自動でドアがゆっくりと開かれたようだった。中を伺うように身を屈めると、久しいが最近会ったような、車に相応な厳つい男を見た。
来い、乗れと。大きな手がふわりと合図した。
再会を少しのよそよそしさと冷静なふりで、迎えた二人であったが。エボVに乗り込むよう促し、遠慮がちながらシートにその身を沈めた涼介に京一はやはりというか、隠しきれずにというか。
若干緊張の余韻から抜け出せていない涼介に比べ、慣れた風に薄い笑みを浮かべ見る。
「久しぶりだな涼介。変わってないな」
ただその以前よりは細くなった白い端正な面を、どこにも異常はないかというような、確実に一歩踏み込んだ姿勢で見つめてくる。その視線に涼介はほんの少しだけ眩しそうに睫毛を揺らしたが、真っすぐに受け止める。
「お前も相変わらずだな。やはり変わらず怖いくらい見つめてくる」
京一の、室内ライトからの光源を受けて透けた目が僅かに見開いた。
涼介はふと、AI――――――人口OSにその人となりをわずかに語った時に出た言葉を思い出して、口にしたのだ。
「そうか? まあ……見てしまうってのもな、あると言えばあるか……」
歯切れ悪く、自嘲気味に言ったのは、そのAI本人であった京一もあの時のことを思い出したからであった。
涼介の、まるで見てはいけない秘密を見たようなものだった。小さな願いのような。そんな風に思っていたなど知らなかった。あのバトルを経て、自身の事をAIに語った内容の元は男であろうが、女にであろうが綺麗だと言われて数多な涼介の、一つの希望だった。
お互い、暫く会ってはいなかったのが、今は車の運転席と助手席、いきなりの至近距離である。駅前の騒々しさにネオンの明るさ、そして車内パネルの人工の光が今の二人の世界の全てだ。
「なんでだ?」
暫くぶりの対面なのに、時間の隔たりがない。
それは自身にだけなのかという我の強い感情がふとよぎって、京一は問いかけに返答を一呼吸詰まらせる。単純に素直に向けてくる疑問に答えは出かかっている。
涼介を見つめてしまう、何より本人に指摘された気づかなかった癖。なぜかと問われれば、喉の奥底から簡単に舌に乗りそうなくらいだが、理性なのかどこかがとどまろうとしている。
「噂の赤城の白い彗星で、俺を二度負かしたとんでもねえ奴だからな」
大人の小賢しい誤魔化し方だ。そしてそれは涼介を満足させる答えだろう。
京一は涼介がぱっと破顔するのを横目に、苦笑しながら思いを込めた言葉を飲み込んだ。
エボVを走らせたのは僅かな距離だった。
空腹だろう涼介と、それなりの腹加減の自身に相応な繁華街の懇意にしている店を選んだ。半地下のバーでもあるが十分に腹にたまるものも置いてある。何より、ゆっくりできると京一は言った。
車を店のすぐ横の駐車場に入れて店内へと向かう。涼介は京一に大人しくついて来ている。特別、はしゃぎもせずに冷静な風情で。
階段を下りて重厚な扉を開けると、ジャズのメロディが流れてくる。どうやら小さなステージがあってそこで演奏しているようだった。
「いらっしゃい、須藤さん!」
若い声は嬉しそうに飛んできた。馴染みだろう証拠に嬉々として店員たちが笑顔で声をかけ、寄ってくる。
涼介は少し驚いたようだったが、誰より京一のそばに行き、礼をし、京一に耳打ちをされ、涼介にも優しい笑顔で挨拶をしてきた中性的な長い金髪の青年の案内で奥の静かな席へと案内された。
「人気者だな」
席について、あの金髪の青年によって運ばれてきたグラス、京一の見立てのサングリアを手にして涼介は目の前でノンアルコールのベルギービールを受け取った京一に言った。
それを聞いた金髪の青年は噴き出すのを堪えるように下を向いたが、京一はバツが悪そうに涼介に言った。
「なわけあるか。古くから知ってる店だからだ。な、義時」
名を呼ばれた青年は涼介にん〜〜〜と言う顔をした。
「いえいえ、そんな。確かに古くからお世話になってますが、須藤さんご謙遜を」
「そうなのだな。エンペラーでもそうみたいだしな」
「あ、そっちの須藤さんご存じならすっごいですよね! もう、厳つい男達が京一さん京一さんって…」
「知ってるぞ、確かにあの髪をくくったエボWの岩城だったか、そんな感じだった」
「岩城さんもそうですよね! 須藤さん命で〜」
「おい、お前ら」
は〜いごゆっくり〜と言いながら、青年はそそくさと席を離れた。何とも言えないまんじりともしない顔でいる京一に涼介が直球で質問をした。
「お前のような厳つい男は需要があるのだな。男に」
涼介の嫌味なのか素直になのかわからない言葉に、京一は眉間にしわを寄せて困った顔をする。
「どういう意味だそりゃ……」
「言葉どおりだ。女に―――――綺麗な女からの需要の方が嬉しいか?」
また? ? ?な言葉が出たので京一はは? と涼介の顔を凝視したが、その視線に涼介はみじろぎもせずに、口を閉じた。
「お待たせしました」
義時の声が二人を我に返らせた。運んできた料理はちょっとした海鮮もので、涼介は腹が減っていたのか好奇と期待の目を料理に向けた。
「ムール貝! 美味しそうだ!」
色とりどりの野菜と新鮮な海のもの、それらがトマト風味の汁気たっぷりに浸かり、ほくほくと湯気を立てている。目を輝かせた涼介に、京一は手際よく皿を並べ、大きな匙とトングで魚介と野菜を涼介の皿へと取り分ける。
「好きだっ……ろうと思ってな」
京一は僅かに言葉を詰まらせた。涼介は一瞬「ん?」という顔をしたが、目の前に差し出された料理に気を取られたようだった。
「腹が減ってるようだな、ほら喰え」
「いただきます」
夜の峠では存外生意気そうに見えた端正な顔が、思いのほか幼く見える。暫くぶりとは言っても、こっそりとその顔を液晶越しに見ていたのではある。それこそ、見たことのない顔で日々の色々なこと、思い出、とりとめのないことを話していた。
「美味いな!」
口に含んでは笑みを浮かべる。こんな顔は見たろうか? いや、覚えはない。
「あと何品か頼んでいる。ここはこのビルに入ってる店が全部同じオーナーで、本格的なイタリアンや洋食、和食にと頼めば持ってきてくれる。けっこう融通が利くんだ」
京一はほ〜っと感心しながらも、目を細めて次々に口にモノを運ぶ涼介を見ている。
「酒も、俺はあまり詳しくないがこれは白ワインのカクテルか?」
サングリアを口に涼介は問うた。京一も涼介のお前も食べろという合図に促されて貝を口にしながら、ああと頷く。
「何だか、俺好みのものばかりだ」
これもいいな、それもいいと涼介は何の悩みもないように、食事を楽しんでいる。京一は胸を撫でおろすような、ほっとした気分を味わっている。
「お前のセンスがいい……とは言いたくないけどな」
悪戯めいた黒の目が笑いかける。まるで夢見るような美しい目。
「なんだそりゃ。久しぶりに会ったと思えば言ってくれるな。エボみたいなえげつない車に乗っているからか?」
「ふん、あの車はいい車だ。いつもしかめっ面で怖い顔して、男達に大人気のお前のセンスにしちゃいい線ってとこかな」
かつて、走ることが全てだった二人にとって、己の信条とプライドを賭けて全力で戦える相手、そして真っ向から己のロジックをぶけられる相手はお互いだけであった。
若き二人はそれこそ意地になって、相手を見つめていた。
いつも、バトル――――走りにこだわっている間は。
プライベートは互いに深くは知りえなかった。
それまで何度かはコンタクトを取り、会ったこともあったが。チームリーダーとしての顔を捨てきれずに、どこかに昔の好敵手としての想い出を後ろ手に、情報を伝え互いの浅い近況を言い……。
京一はその頃に見た涼介のどこか寂し気な風情を気にしていた。
一度目のバトル、京一の居城である日光いろは坂でのバトルは、それまでサーキットやジムカーナでの競技にたまに顔を見せては素晴らしい成績を叩き出す美貌のFC乗りとの何度かあった持論のぶつけ合いの結果だった。
互いに己の全てをさらけ出し、京一はもちろん涼介にとってはあそこまで自分という人間のままにふるまったことはなかったかというような―――――涼介はそうできたことに感謝さえしていた。
牙を隠し、我を抑え、誰より熱く執着する人間が人に譲り笑っている人生だった毎日。
それを解き放つきっかけはあのかそけき幽の世界へと逝った一人の女の言葉だったのかもしれない。
ずっと執着していた車、峠。それは誰にも、家族や友人にも理解されない、その女にとってもどうでもいい趣味―――――世界だった。
元はと言えば後に知るその女の婚約者だった人間が教えてくれたものでもあるのだが結局、非日常を駆け抜ける爽快感に夢中になった涼介は、自分の孤高なる走りに相応な人間を見つけた。
そう、婚約を引き換えに有り余る金銭的援助を実家と親が持つ会社ともども享受しながらも。
欲しいものをもっとと求め、宝石を散りばめたようなけばけばしいネイルが象徴する、白魚ような手は打算から更なる望みの人生を掴もうと欲の爪を伸ばし―――――命をもその手から滑り落とした。
涼介の生を不幸と言い放ったその女と同じように。
乗り換えたのだ。はしたなく。欲も露わに。
走りたかったのだ。
見染め印象づけ、二人で会う機会を何とかして作り、相手の視線を自分から離させないよう一番固執するものを狙いすまして否定し、反する論をぶつけた。
もちろん、持論を曲げたなどはない。
ああいうものは突き詰めれば相違が出てしまうものなのだ。 近い位置に居れば居るほど、相違は鮮やかになっていく。そんな涼介の手に京一は。案の定、乗ってきたのだ。
女という性がする、気に入った男の興味を引き、性的に注視させて興奮させた勝利宣言にも似ていた。
その視線を一身に受けてぞくぞくとしていたのは形容しがたい悦びだった。そして再び己に対峙してきた時、運命さえ感じたのに。
プロジェクト始動から走りに遠くなる自分は、輝く二人のエースの背後で光を失っていきそうだった。
エース二人にかつての己と、目の前の男を見てしまう日々は、それこそかつての己を抑えていた日々となにが違うのだろうかという疑念の影に悩まされた。
かの女は死によって欲を終わらせられたが、自身はどうだろう。
涼介は京一から次々と提案され、薦められて並べられる料理を味わいながら、心の中で自分の欲の深さに呆れ―――――物ともせずに受け止める京一を見て幸せそうに笑った。
[11][企画2]