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To Mobile [8]

 使っているスマートフォンは肌身離さず、いつも身に着けている。
 やはり何かあればすぐに調べ物ができるという点で、こういったデジタルデバイスは本当に便利だ。
 日常の些末なことや、ある程度偏ったこと、専門的なことまで本当に多岐にわたる。

 涼介は元々持っていたスマートフォンにプリインストールされていた人口音声認識知能プログラムOSからさらに、それをグレードアップした選ばれた者だけが使えるAIを使用していた。

 単なる気まぐれと言えばそうなるだろう。
 元々あったOSでも良かったのではあるが、涼介の傾向や嗜好、行動原理まで詳細に学ぶ新しいAIの使い勝手は素晴らしいものがあった。
 例えば、医学的知識が必要となる言葉や単語の検索でも、いらない情報満載の個人のブログや繋がりなど皆無に等しい宣伝ページまでもが引っかかり、案外本当に欲しい情報を得るため、ネットの海を調べていくのに手間がかかったりする。
 それらを振り落とすアプリも最近はあるらしいが、それは個人のブログや宣伝のページをはじく程度である。
 それをしたとしても自分で検索を絞っていくのにいくつか単語を組み合わせ、試すという二度手間もある。しかし、新しくイントールされたAIは、持ち主の特性、好み、方向性すべてを学び、理解して理想的な検索結果を提示するのである。

「いまさら、前のはな……」

 研修が終わったあと、一人ラウンジの隅で涼介は昼食を食べていた。知り合いはサンドイッチを片手に、熱心にテキストとスマホをいじる涼介に声をかけるのを憚っていたようだった。
 涼介の端正な面に見とれる何人かも遠巻きにしているのではあるが、涼介はその整い過ぎた外見ゆえに気軽に話しかけづらい風情を持つ。
 たまにズカズカと踏みこんで来る者はいる。単に無神経で厚かましい人種もいるが彼ら、彼女らはよほど自信があるのだろう。
 その自信はどこからくるものなのか、頭脳、成績、外見、資産家であるかどうか。どれもよほどに涼介にかなう人間はいないのに。
 だがたった一人、年上だから、見目のいい女性だからとそれを盾に近づいて来る者はいたが。

「……そう、こんな風に一人でいたところに……」

 通りすがりにテーブルの横で躓いたらしい。
 医学書を手に集中していた自分が衝撃に我に返った。置いてあった湯呑から茶がこぼれ出て、慌ててスマホや本、ノートをどかした記憶がある。
 被害はそんなにないようでホッとする間もなく、艶めいた声が聞こえた。テーブルにぶつかったのが痛かったらしい。
 文句口調の甘えた声音。
 大丈夫ですかと定型文を口にして声の主の方を見ると、派手に化粧をした女が腕組みしながら顔を突き出してきた。
 全身から、今まさに美容院に行ってきたところのような巻き髪から強烈に香る特徴的な香り。
 躊躇せず、いきなりにパーソナルエリアを詰めてくる、しかも自信ありげに笑みを浮かべた顔を真正面に持ってきて、見事に化粧を施されたその表情は今思えば獲物を捕食しようとしていたかもしれない。
 えっと思う間もなく、口を開こうとしたら小声で聞こえた「はやく取って。人目があるじゃない」らしき言葉。
 不可思議不可解に眉を寄せると腕組した胸の上に二本の指先に挟んだ紙切れが見える。
 は? と言う間に「もう」と怒ったような声が聞こえ、ひらひらとそれをテーブルに落とした。
 なに? と目を上げると赤い唇が楽しそうに「約束よ。涼介くん」と言った気がした。
 どこで知ったのか、調べたのか。見ず知らずの女性にいきなりの名前呼び。
 からかわれたとしか思えない、突飛な不可解な、首をかしげる出会いだった。
 そのメモの切れ端には殴り書きで緊急であるからどこそこにいついつに来てと記されていた。
 そして何が緊急かわからないまま逢瀬へと繋げる意味深な言葉を、先輩風を吹かせた挑発的な口語で書いていた。
 それに添えて、後に人生最悪の通話となる携帯番号が書かれていた。
 そしてまた命令調で、誰にも言うなと。秘密にしないとあとあと何かこちらが困るような……とか。
 名前を「くん」呼びされたときにうっすら気づいた、巷でいうマウント。
 主導権を握る、駆け引きでこの医学部にはそうそういない派手な女性はいきなり自分を格下としたのだ。そんな風にされたことはめったにない。特に女性には。
 緊急だからという言葉に引っかかってのこのこ出向いた自分を意味深な含み笑いが迎えたのを思い出す。確かにこの医学部、大学には似つかわしくない派手な赤い口紅の肉厚の笑った唇。

「…………」

 思い出は血生臭い。赤い口紅と流れた赤が脳裏で重なる。
 あの時、殺そうと仕掛けてきた先輩を助けようとする自分と、偶然に居合わせた池田というZ乗りでゼロ理論を持論にする住職に抵抗するように車内に広がり狂った香り。
 その香水の名前は聞いた気がするがあやふやだ。
 確かクリスチャン・ディオールだったか、そのあたりのよく聞くお高いブランドのものだった気がする。女性的なのに強く。
 優しく甘く、包み込んではかなく散るというよりは。自己を主張し、印象をづけて主導権を持って行くような意思を感じる。ブランドには疎いが記憶では血のような赤い瓶に入っていた。

「…………これだ。まさに、だな」

 「Hypnotic Poison」催眠術の毒と言う意味の赤い瓶の香水。まるで洗脳のように夢は何だ、なんのために生まれたか、答えろと繰り返し繰り返し答えのない詰問をしてきた。自分を強引に誘って大学以外の何処かに連れ出す彼女が纏う香りはまさにそのものの名だった。

「…………」

 まだ催眠にかかっているかのように。
 過去の。現実であるのにどこか非現実的な思い出に頭を持っていかれていた。異世界にいた涼介ははっと気が付くと目をパチパチさせた。

『お疲れのようだな。ぼんやりして』
「ああ……調べ物が途中だったな……」
『さっきのページから類似するサイトをタグ付けしておいた。後で見てみてくれ』
「ああ、了解した。ほぅ……中々いいもの拾ってくるな」
『お前が好きそうだからな。気に入ったならよかった』

 今では片時も離さないスマートフォンに向き直り、器用に指先を行き来させる。しかし、このスマートフォンに入れたアプリはあまりに便利、まるで熟練の執事、秘書がそばにいるようでもある。

「執事、秘書か……うん。近いな」
『褒め過ぎだ。まあ悪い気はしないが』
「ふふふ」

 顔の前でスマートフォンをひらひらとさせながら、涼介は笑う。

『涼介。何、ひらひら振ってるんだ?』

 涼介の目がぱっと見開く。

「わかるのか?」
『当然だ。センサーが反応しているからな』
「ああ……」

 昨今のスマートフォンにはそれこそ様々なセンサーが搭載されている。GPSどころか、ジャイロセンサーに加速度センサー。それらをこのAIは見ることができる。

「なるほどな。しかし、そんなにわかるなら、AIは見てはいけない部分まで見ることができるんじゃないか? 俺の個人情報とか」
『…………』

 最初、このAI「KYO」をインストールするにあたって、約款を見たはずであった。様々な個人情報の部分に触れることもある、もっとも口外、持ち出し、流出はなしであるのだが。

「まあグーグルなんかも個人情報の取得に了承させるくらいだしな。今更というのもある……」
『…………』

 押し黙っているAI、涼介にとってここのところ最も信頼を置き、最も会話をし、最も心を許す人工知能が無言でいる。

「KYO?」
『あ、すまない……、ぼーっとしていた』
「……まるで人間だな!」

 機械らしくない会話に涼介の口から嬉しそうな声が飛び出した。


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