Blight in the Darkness | ナノ
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Blight in the Darkness

 山々に木霊する、絶望的な悲鳴。
 それまでは不穏な音に、不気味な音が騒がしく木々を揺らしていた。
 この時間ならば、誰も通報する者もいないだろう。
 一台の闇色の走り屋仕様の車と、数台のいかめしくも下品な車。
 それらが混然と停められている広場の中央、一人佇む背の高い頭に白いものを巻いた男は、ひと仕事終えたように煙草に火を点けた。

 男の周りからは山海を擦り抜ける風の唸りのような、なのに悲壮感を一杯に漂わせた、そんな音が何重奏にも聞こえる。
 まるで性質の悪いサンプリングを施された、気分の悪くなるドラッグミュージックのようであった。

 その音の発生源である、男の足元に転がる数本の枯れた木枝のようなものは、ぎこちなく動いている。
 どんよりとした夜に吹く湿った風に靡く、そんなすべらかな動きではなく、ぎちぎちとした奇妙な動きだ。
 そのうちのひとつが、掻くように男に伸ばされた時、男は頭を僅かにちらりと動かすと鈍くも重い音を立てて、何の躊躇もなく木枝に見えるものを踏み折った。

 そしてまたひとつ、絶叫が響き渡る。それでも満足しないのは、全て急所を外し、怒りのまま殲滅させられなかったからである。

「……二度とここいらでくだらねぇ真似すんな……わかったな」

 泣き呻きながら、それを了承する男達を尻目に、そういえばこの男はアレに返り討ちにあったんだったな……と思い出した。
 ロシア、スペツナズ(特殊部隊)ご用達"Systema"や、米軍式軍隊格闘術"Combatives"を殺傷能力を抑えて駆使し、男を拷問まがいに責めて聞き出した経過は、京一の口端を皮肉に歪めるものだった。
 顔を泣き腫らして歪ませて、嗚咽しながら語る男の、震える両の指先が痛々しくも変色している。

 それを見て、京一は不可思議な気持ちになった。感傷に近い、この場にそぐわない気持ち。
 自分が相応に叩きのめそうとしている目の前で震える男に、数日前アレは触れたのだと。
 いや、この男の指が、手が。アレに触れたのだと。

―――――……あの穢れ無きイノセントな美しい白に……

「……指どころか、お前がアレに触れた場所全部、切り落としていいか……?」

 呟くように言った内容はとてつもなく物騒な中に、遠くを見ているかのような棒読みだった。

 刃物の扱いもグダグダだった男達は闇雲に京一に向かって、量販店で仕入れたのだろうサバイバルナイフや、鉄パイプを振り回した。そういった物から身をかわす訓練ももちろん受けている。
 振り下ろされたり、突進してくるのを捌いて、捻って。そして取り上げて突き立てる、そこまではしないが本心はそうしたかった。
 呻き転がる男達から弾き飛ばされた、銀色に光る得物を大きな手が掴んで掲げる。

「……それとも削ぎ落とした方が俺の気は治まるか……」

 泣き叫び、懇願する相手の尋常ならざる声に、別の何かを見ていたような京一の目が忌々しげに細められた。

「……どころか―――――レイプしようとしたんだったな……」

 地を這う声音、腹の底に響く低音。底冷えするような怒りの気を滲ませた呼気。
 ぶんぶんと顔を振る男は謝り懇願する術を全て出し尽くしても、なお男の前に這い蹲って許しを乞う。
 そして煌きが夜目に舞う。

 茫然と、呆けて見てしまうくらいに流麗に操り、鮮やかに得物―――――取り上げたサバイバルナイフを手に閃かせて、ドスン! と寝転がる男の股間の間に突き立てた。

「……その粗末なモノを始末してやる。二度とそんな考えが及ばねぇようにな……」

 それは成されたのか、成されなかったのか。続く、断末魔の悲鳴は木々を細く鋭く揺らした。




「……マジか?」

 目を見張って話しを聞いていた涼介が、京一の気まずそうな顔を凝視している。

「……マジだ」

 己の武勲などというものでもない。ただの八つ当たりというか、要は涼介を辱めようとした、山に出没するくだらない連中を叩きのめしただけなのだ。

「……俺を―――――辱めようとしたという噂を聞いて? そいつらを特定して、捜し出して?」

 ソファで自身を抱え込みながら話をしていた、苦々しい京一の顔を覗き込む。

「……ああ……」

 素直に驚きに目を見開いている涼介に、さらに気まずそうな顔を向ける。

「……だからひと頃より、走りやすくなったのか……」

 合点が言ったという感じで、感心したような声を上げた涼介を京一は「は?」と見遣る。

「言わば俺は新参だし、ガキだったからな。走りで思い知らせる以前に、峠を走る事自体も中々大変だったんだ」

 その頃の涼介はチームを持たずに一匹狼だったと聞く。

 京一は二輪を操っていた時代から日光のいろは坂ではチームを率いて、車に関する走り屋達の中でも顔であったのだから、そんな不自由はなかったのだ。

「……走り屋連中が何往復もタラタラ走るのを避けながらなんだ。ロータリーというのも生意気に見えただろうし、何しろこの外見だからな……」

 機を得て走り出せればいい。それまでの忍耐は相当なものだった。
 時には、一般車を巻き込んでのレースにもならない団子状態が行ったり来たりで、走るのを諦めて帰ったことも何度もある。

 暴走族と紙一重の騒いだり、目立つのが最優先な者達は、突然に現れて速さを見せ付けた文字通りの「白い彗星」に評判と人気を根こそぎ持っていかれたのだろう。

「相当に嫌われたんだろうな、俺は。仲間に迎えられるどころか、嫌味や無視、陰口なんか当たり前だったし。わかりやすいのは走るのを妨害されたりな……物をぶつけられたり、何かを撒かれたりすることもあった……」

 京一の眉が不快げに寄せられる。

「一番驚いたのは、コーナー出口で前から走ってきた車にシートを被せられた時だ」

「なんだと?」

 不愉快を通り越して、京一の体躯から声音以上の怒りの気が立ち昇る。
 涼介は京一を宥めるように背に手を回した。

「ブルーシートがフロントガラス全面を覆ってな、取ろうにもライトやミラーに引っ掛かって取れないんだ」

「完全にブラインドじゃねぇか! 涼介! 大丈夫だったのか?」

 今更ながら、涼介の体を擦りまくって無事を確かめる京一に嫣然と微笑む。

「……俺の頭の中にコースはあるからな……ゆっくりと停めて、シートを取ったよ」

「……無事で良かった……」

 安堵の深い溜息と、力が抜けた京一の手が涼介の肩からパタリと落ちる。ふふ……と笑いながら、涼介はソファに落ちた京一の手を自身の頬に持って言った。

「昔のことだ……それでも心配か?」

 数年前の出来事。それであったとしても。京一からすればとてつもない。

「当たり前だ……そん時に俺がいてやればと思いまくって自分自身をぶん殴りたいぜ……」

 苦々しく、悔しそうに天を仰ぐ。二人がお互いを想いながらも離れていた時間は、今現在取り戻そうと躍起になっていても。

 二度と戻っては来ない。

「……そいつらは……」

「また捜し出して叩きのめす気か? もう忘れたぞ……昔のことだしな……」

 京一の手がクスクスと笑う涼介の頬を優しく撫でる。なのに、京一の表情は苦虫を噛んだようなもののままだった。

「……できるなら今からでも半殺しにしてやる……俺の涼介にやらかしたことだ。借りは返さねぇとな……」

 律義な皇帝だな……と涼介は笑みを深くする。そう、さっきから涼介へ嫌がらせの類を仕掛けた連中の話を聞いて、怒りはあっても。
 京一は怒りの表情よりも、どちらかと言えば弱ったなという顔をしている。

「……そんな嫌がらせも、ある日を境に突然無くなったんだ。俺が走るのを何故か皆は優先―――――と言うか、逃げるように除けていった。俺は無視かそういった嫌がらせの類なのか? と思ったんだが、実際凄く走りやすくなって単純に喜んでいたよ……」

 何故なら、手にしている者があまりに嬉しそうだからだ。

「……知らない間に俺は……闇の皇帝に守られていたんだな……」

 ほう……と甘い溜息を吐く、この白く眩い彗星が。

「……彗星を守り、包む。そして何より輝かせることができるのは、闇だ……」

 京一の言葉を受けて、ふふ……と笑みを浮かべてしなだれかかり、自然に首に細い腕を回す。
 その嬉しそうな黒い潤んだ目が長い睫毛に伏せられて。
 柔らかくも甘い花びらのような感触が京一の唇に触れた。


「そうだ……京一。"Systema"を教えてくれ。あと、"Combatives"も、確か"Combatives"はブラジリアン柔術ベースがあったよな」

 嬉しそうにソファから立ち上がって、京一の手を引っ張る。その少年のような幼い笑顔に「参ったな……」と片眉を上げる。

「ああ……近接格闘術は総合格闘技みたいなもんだからな……スペツナズのコマンド・サンボなんかは、一通り致命までの動きが組まれてる奴もある。スペツナズの訓練を受けた人間は思っているより多いからな。あんまロシア人とは揉めるなよ」

「そうなのか、わかった。さあ、京一」

 ゆったりと立ち上がる京一に向き直って、構えの姿勢を取る。
 小さい頃から祖父の道場で、あまり体の丈夫でない涼介の健康づくりとしてというのと、実質護身になるような技を習っていただけに、涼介が取る構えは中々のものだった。

 片眉を上げて、京一は何でもないように涼介に近づき、間合いが詰まってたじろいだ涼介の腕を一瞬でさばいて巻き込み、腰を軽く掴んだかと思と、あっと言う間にふわりと体を持ち上げた。

「うわッ……」

 ソファに反動なく放り投げられた。まるで衝撃なく包むように。
 京一は幾分邪まな気分で、このまま……と計算していたようで、口端を緩ませながら涼介に覆いかぶさろうとして。

「……おわッ!」

 にやついて油断した手首を返されて、ソファから落ちた。

「クスクス……一本取ったぞ、皇帝から」

 ソファの上で髪を揺らして笑う、輝くように美しい想い人。
 京一はぶるりと頭を一回振ると、苦笑しながら起き上がり、涼介に近寄る。

「一本どころか……俺を骨抜きにしちまいやがって……」

 小首を傾げる様も限りなくいとおしい。

「……初めて逢った時から、ずっとな……」

 微笑む涼介の手を取り、闇の皇帝は跪く。そして、ひときわ白く輝く彗星に慈愛と、生涯ガーディアンたらんと思いを込めて忠誠のキスを贈る。

 そうして、失っていた時間を凌駕していく。
 熱く甘く、濃厚でとてつもない幸せな時間を積み重ねながら。




Pict

end

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