「ごめんなさーい!3-Eの分忘れたみたい。すみませんけど全部記憶して帰って下さーい!」






飛びかう嘲笑、悪意の視線。
僕たち以外の全てが敵のこの空間で、僕らはひたすらに耐え続けなければならない。
逃げることも反抗することも許されない。
ただ、無言で下を向いているだけ。
1時間もすれば終わるのだと自分に言い聞かせながら。






「はぁ……見て菅谷くん……いま浅野くん笑ったよ…!」

「バカか!今のは俺たちを鼻で笑ったんだよ!何キュンキュンしてんだよ名前!」






……はずだったんだけど。
後ろで生徒会長の浅野くんに熱い視線を送っている名字さんと、的確なツッコミを入れる菅谷くんの掛け合いを聞いていては、シリアスな雰囲気など一瞬にしてどこかへ吹き飛んでしまう。
少々気持ち悪い……というか、性犯罪者一歩手前の目で浅野くんを見つめている名字さんに寒気こそするが、彼女のおかげか全校集会でも僕の近辺はそれほど気を落とさずにいられる。
こういう時ばかりは彼女の存在に感謝するしかない……普段は遠巻きに見ていたいタイプではあるものの。








「うわっ、」









突如巻き起こった旋風。
その一迅の風は、僕の意識を一瞬にして呼び戻した。
いつの間にやら手に握られていた生徒会行事のお知らせは、小さな悪意によってE組には用意されていなかったものだ。
名字さんの気持ち悪…いや、熱烈な視線の行く先と菅谷くんの華麗なツッコミで頭がいっぱいだったが、僕らは生徒会から嫌がらせを受けていたのだった。
どうしてこれが……、まじまじと手の中のプリントを見ると妙に字に癖があり、明らかに印刷物ではないことが一目瞭然である。






「問題無いようですねぇ、磯貝くん。手書きのコピーが全員分あるようですし。」






まったくーーー、やってくれる。
軟体動物かと思う程度には骨格があいまいな黄色い担任の得意げな声に、ホッとすると同時にこちらもニヤリとしてしまう。
当の本人も”してやったり”と言わんばかりにくるくるとペンを触手で回していた。
それから、確かにE組に流れる空気が変わる。
磯貝くんが「プリントあるんで、続けて下さい」と宣言したその瞬間から、確かに僕らはみんな前を向いていられた。
容姿の優れている烏間先生やビッチ先生はもちろん、この人も僕らの先生なんだと、誇らしげな気持ちで。
………約一名、下を向いて何かを探している人間はいたものの。






「あ〜!プリント取り損ねちゃったよ……しかも風で向こうに飛んでっちゃったし……」

「浅野の方ばっか見てるからだろ…お前ほんとに馬鹿だな」





キョロキョロと取り損ねたプリントの行方を追って下を探している彼女と、それに付き合って一緒に左右へ目を走らせている菅谷くんに、思わず苦笑いがこぼれる。
彼女は、一見すれば明るく元気な女の子だ。
好感度も高いだろう。
例えば、朝一番に見るE組校舎の花壇。元園芸部の彼女が毎日、丁寧に世話をしている植物は、憂鬱な朝を吹き飛ばしてくれる。それに、楽しげに水遣りをする名字さんの眩しい笑顔。元気な「おはよう!」の挨拶。
そんな姿を一度でも見れば、名字さんを植物を愛する底抜けに明るい女生徒としか認識しないのだろうが、実際には少々屈折していると言わねばならない。





その最たる例が生徒会長の浅野くん。
彼に異常な熱を上げる名字さんには多少、その、気持ち悪い……というか、そのようなマイナスの評価を下さねばならない。(なぜ彼女がここまで浅野くんに好意を抱いているのかは不明である…聞いたこともないし、聞こうとも思わないが)
……あれだけ熱狂的、もとい気持ちの悪いほどに好意を寄せられては浅野くんもかわいそうである。
壇上で済ました顔をしている彼の顔を盗み見る。あれだけ整った顔をしているのだから、女生徒から好意を寄せられることには慣れているだろうが、ここまでの人間はそうはいまい。
願わくば、浅野くんの心の平穏のためにも2人が出会うことがないことを。
密かに彼に同情した。





「大丈夫だよ、名字さん。僕のプリント一緒に見よう。」

「ありがとう渚くん…!助かった!ほんと助かった!わたしプリント無しで生徒会行事の暗記とか無理ゲーだったよ!!」


「だろうな……」






呆れたような菅谷くんのつぶやきに僕も思わずクスリと笑った。またチラリと横目に教員側を見れば、殺せんせーを刺そうとしているビッチ先生とそれを目ざとく発見して彼女を連行する烏間先生が目に入る。
そちらの光景にも、抑えようのないおかしさが込み上がってきた。
妙齢の女性が体育館から追い出される様は、お世辞にも格好がつくとは言えない。
何なんだ、名字さんといい、僕らのクラスには変な人間しかいないのか。





「全く……いい年した大人が。」

「ほんとしょーがねーな、あの人は。」

「ビッチ先生、意外と空気読めないよね〜。」








ーーお前が言うな。
間違いなく、僕と菅谷くんはその瞬間にシンクロした。お前が言うな、本当に、それだけはことごとく雰囲気をぶち壊す名字さんに言えた義理はない。「あ〜あ〜、烏間先生に連れてかれた〜。」と僕らのツッコミもどこ吹く風で連行される様を見てケラケラとおかしそうに笑っている彼女には、もう何も言う気力が起きなかった。










(若い頃に無駄に過ごした時間が人生で唯一の自由であるかもしれない)


×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -