クルックシャンクのおとぎ文庫

物心ついた頃から、私の頭には悪魔が住み着いていた。
ズキズキと鈍い痛みを植え付ける、片頭痛という名の悪魔。
忘れた頃にやってくる彼らのせいで、昔から私が楽しみにしていた色々なイベントはぶち壊しにされてきた。
幼稚園のお遊戯会も音楽会も、小学校の運動会も遠足も、抑えようのない痛みに視界は揺らぎ、最終的には立っていられなくなって、先生と一緒に少し離れた場所でみんなが楽しそうにしている様子を見てきたのだ。
ずっと楽しみにしてきたのに、私もみんなと一緒に参加したかった、恨めしい気持ちをぶつけようにも、悪魔は何も答えてはくれない。








「大丈夫?名前。」

「ここで休憩してれば大丈夫だから…行って来なよ。」

「でも…、」

「本当に大丈夫だって。せっかくの修学旅行なんだし、みんなは行ってきて。」

「……じゃあ、急いで回ってくるから!早く帰ってくるからね。」

「ありがと、」







じゃあね、と何度も何度もこちらを振り返って手を振る友人に、「気にしなくていいから」ともう一度投げかける。
心配してくれるのは嬉しいが、私のせいで彼女たちの修学旅行まで壊したくない。
未だ私を置いて行くことに迷いを見せる友人に再度「早く行きな!」と声をかけると、ようやく彼女たちは博物館の順路へと入っていった。









まさか中学校の修学旅行でまで片頭痛に苛まれるとは。
予想の範囲内ではあったものの、やはり現実を突きつけられると気分は沈む。
落ちた気に比例して頭のズキズキも苛烈さを増したように思って、眉根を寄せた。
また、だ。また私は、みんなの楽しそうな様子を外から見ていることしかできない。





修学旅行の二日目は班での自由行動日。
私も仲の良い友人たちと班を組んで、思い思いに好きなルートを巡って楽しむ予定だった。
特に班なんて、友人の1人がずっと思いを寄せていた榊原くんを誘うことに成功し、そのついでと言ってはなんだが、浅野くんまで班に組み込むことができたのだ。(ちなみにもう1人の班員は瀬尾くんだが、彼はC組に彼女がいるとかいう噂だ。)
榊原くんにしても浅野くんにしても、どちらも女の子からの倍率の高い人たち。
私たちは友人の恋愛成就のために全力で榊原くん狙いだったが、まさか浅野くんまで釣れるとはまさに棚からぼたもちである。
クラスメイト達から存分に羨ましがられて悪い気はしなかったし、かく言う私も密かに浅野くんに興味があった(いや、決して好きだと確定したわけではないけれど)ので、随分とこの修学旅行を楽しみにしていたのだ。





なのに、まさかこんなところで頭痛が顔をだすなんて。
1日目は何の問題も無かったのだ。
新幹線の中でも、ホテルに着いてからも、頭が痛いどころか楽しくて仕方なかった。
二日目の朝だって気分はスッキリしていたし、午前中に祇園を見て、その流れで八坂神社や清水寺、六道珍皇寺の辺りを回って幽霊飴にテンションが上がったりして。
そして午後1番に予定していた京都国立博物館に行く道中、頭に微かな痛みを感じるようになってきた。
地下鉄に乗ったあたりから、だんだんとその痛みは大きく、強くなってきて。
瀬尾くんに「顔色が悪い」と指摘されると、私の頭痛癖を知る友人たちから過剰に心配されてしまった。
申し訳ないー、この修学旅行では榊原くんと友人をくっつけるために尽力するつもりであったのに。
そんなこんなで博物館に到着すると私はもう立つことすらままならない状態に陥り、みんなが博物館を見て回っている間は受付前の休憩スペースで座ってみんなが帰ってくるのを待つ羽目になってしまった。








「うっ……」





痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、思わず呻き声が漏れるくらい痛い。
もはや座った状態で頭を垂直に保つことも辛くなり、後ろの壁に後頭部を預ける。
頭部が異様に重く感じた。
これは、じきに目を開けていることにも耐えられなくなりそうだ……そっと、目を閉じた。







「……名字さん、」

「……、?」






ぽすん、とキューブのソファが沈む感覚と呼ばれた名前に瞼を上げると、私の隣には無表情の浅野くんが座っていた。
なぜ彼がこんなところに。
先ほど、他の班員と共に順路へ送り出したはずだが……、ちらっと時計を見ても、さっきから5分も経っていない。
この時間で順路全てを見終えるのは無理だろうに、なぜ浅野くんは……逡巡すれば脳が更に痛みを増した。
襲ってきたひときわ大きな痛みに、思考を打ち切る。だめだ、考えるのは止そう。






「名字さん、薬は?」

「一応、気休めに飲んだけど…もう薬も効かなくなってるから……」

「そう、なら余計に無理をしない方がいい。ここを見終えたら、少し早いけど全員でホテルに帰ろう。」

「…!だ、だめ!!」









突然大きな声を出したせいか、ズキン!と急激に脈打つような感覚が私を襲う。
しかし、それでも浅野くんの提案を受け入れるわけにはいかなかった。
絶対にだめだ、そんなの。
私1人の都合でみんなの予定を狂わせるわけにはいかない。
私に付き合ってみんなまで楽しまない必要はないのだ。
むしろ、私が楽しめないからこそみんなには私の2倍楽しんでほしい。
すこし寂しいけれど、私はみんなの様子を見ていれば気が紛れるから。
そうたどたどしく伝えると、浅野くんは「しかし……」と不服そうだった。
きっと責任感の強い彼のことだ、病人(というか、頭が痛いだけだけれど)を連れ回してよいものか考えあぐねているのだろう。
パッと見ると完璧すぎて近寄りがたいけれど、浅野くんは意外と優しい。
いや、面倒見がいいと言うべきか……今だってこうして、私を気にかけてくれる。








「わたし、慣れてるから大丈夫。」

「そうは言っても、酷い顔をしているよ。真っ青じゃないか。」

「あはは……でも、本当に慣れてるから。ずっとそうだったの。イベントの度に頭がいたくなって、こうして先生に付いてもらって一緒に外からみんなを見てきたから。」

「……なるほど、なら今日は僕が先生の代わりか。」

「ごめんね、私に付き合わせて。」

「気にすることはないよ。ここの展示には興味がなかったから。」






興味が無かったなんて、嘘。
だって、京都国立博物館に行きたいと言い出したのは浅野くんなのだ。
今、ルノワールの展示をやっているから、と。きっと彼がこの修学旅行で1番興味を抱いていたものだったはずなのに、私に付き合って、ただ受付の前で人の流れを見ているだけの時間を過ごしてくれている。
申し訳なくなると共に、不謹慎だが少し嬉しかった。








「…ああ、ごめん。頭が痛い人に喋らせちゃ辛いよね。」

「ううん、こちらこそごめんね、ワガママばっかり。」

「……肩、貸すよ。少し眠るといい。」








え、声を発する間も無く後ろの壁に預けていた頭を優しく抑えられる。
ぽすん、と鈍い痛みを感受しつづける頭がそのまま浅野くんの左肩に収まってしまって、一瞬だけ痛みを忘れてしまった。
え、あ、う、と意味のない言葉を口から散布していると、「とにかく寝ろ、」とやや乱暴な口調で浅野くんにたしなめられる。
ただでさえリーダー気質の彼にそう言われてしまったら、おとなしく従うしかなかった。
しかし、頭以上に心臓に負荷がかかって、そう簡単に眠りの底に意識を落とせそうもない。






「ほら、この後も予定通り観光するんだろう?少し寝て、頭を休めなよ。」









言い方はぶっきらぼうだったけれど、見上げた浅野くんの耳元がほんのり赤くなっているのを見つけてしまった。
ぼっ、そんな光景を見てしまうと私まで熱を灯してしまう。
落ち着かない心臓に触発されてか、頭に住む悪魔は張り切って脳内を痛ませる。
ああもう、頭は痛いし心臓はうるさいし、本格的に視界が揺らいできた。
これも責任の一端は浅野くんにあるのだから、肩くらいは借りても罰は当たるまい。
意外とたくましい彼の肩に、しっかりと頭を預ける。
浅野くんの言う通り、少しだけ寝かせてもらおう……そっと目を閉じれば、ダイレクトに伝わる熱。






「おやすみ、名字さん。」







起きたら必ず浅野くんにお礼を言って、それからもう少しお話できたらいいな。
もっともっと仲良くなれたら、嬉しいな。
そんなふわふわした気分と共に、ゆっくりと深い眠りの底に近づいた。









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