車輪の下

「名字さん、来週の土曜日は空いてる?」







彼女に電話をすると、まず第一声で「はい、名字です。」と返ってくる。
僕は一度だって「もしもし」とか「どうしたの?」とか、一般的な中学生らしい受け答えを彼女から聞いたことがない。
いつもまるで社会人かと聞き紛うようなお堅い返答ばかりで、電話をかけたことを少し後悔する。
しかし、メールにすれば良かったかといえばそうでもない。
どうせメールにしたところで第一文が「ご連絡ありがとうございます。」から始まるだけだ。






「来週の土曜日なら、午前の授業が終われば空いています。」

「そうか。じゃあ、午後にでも会えるかい?」

「ええ。」

「じゃあ、授業が終わる頃合いを見計らって迎えに行くよ。」

「分かりました。お待ちしています。」







失礼します、と何の感慨も残さずに切れた通話からはツー、ツー、とこれまた味気ない電子音だけが鼓膜を打つ。
この瞬間が異様に虚しくなるから電話は好かないんだ。
今さらに、やはりメールにしておけば良かったと後悔しても後の祭り。
脱力してベッドに沈み込んだ。








名字名前は、椚ヶ丘からそう遠くない女子校の生徒会副会長。
彼女とは、僕らが2年生の冬に出席した近隣私学の生徒会交流行事で初めて出会った。
「椚ヶ丘の看板上、こういうものに顔を見せないのはまずい」と生徒会で協議した結果、半ば嫌々ながらも出席した会ではあったが、彼女の姿を見た瞬間に、来て良かったと率直に思ったものだ。
聡明そうな顔つきに、すっと背筋を伸ばして歩く姿の美しい少女。
欲しい、と短絡的な感情が湧いた。





見た目にもお硬そうな彼女に「個人的に君と会いたい」と伝えた瞬間の僕の心拍数を正確に計算などできるだろうか。
あの時は玉砕覚悟で特攻隊よろしく誘ったので、まさか了承してくれるとは微塵も思わなかった。
しかし、無表情ながらも諾、と返答した名字さんのお陰で接点を作ることに成功し、実際に2人で会うことを数回経験した後に何とか男女交際に漕ぎ着けた。
我ながらみっともないくらい必死だったと自覚している。
蓮や瀬尾にさんざん生温い目で見られたのだ、自分がいかに冷静さを欠いていたのか嫌でも悟ってしまった。







彼女は、名字さんは僕と交際することを了承したが、果たしてその真意がどこにあるのかは未だに掴めていない。
彼女自身が僕に好意を抱いている可能性も考えないではなかったが、普段の名字さんの僕に対する態度を鑑みるとそれはもはや万に一つどころか、兆に一つくらいの可能性であって、あまり現実的ではなかった。
論理的かつ適切な解は二つ……椚ヶ丘の生徒会長と関係を持っていた方が得策だと考えた、もしくは単純に断りきれなかった。
どちらにせよ、僕にとって好ましい解ではないのだが。




じっ、と無機質なスマートフォンを見つめても、蓮から鬱陶しいくらいにSNSの通知が来るだけで一向に彼女からの連絡はない。
小さく開いた窓からは、数ヶ月前に爆破されたままの三日月が僕をあざ笑うかのようにニヤニヤとこちらを見ている。
……もういい、寝てしまえ、と不愉快な月を締め出すようにカーテンを引き、明日の予習もせずにそのまま部屋の電気を消してやった。








「それはね、照れているだけだよ。」




蓮の第一声に、僕は盛大に怪訝な表情を浮かべた。
しかし当の本人は誇らしげに名字さんは照れているだけだ、と再び繰り返す。
瀬尾も同じく頷いているが、意味がわからない、あれが人間が照れる態度なのか。
あんなに淡白な照れ方があるものか。
無意識に米神を抑えれば、それを目ざとく見ていた蓮が不満を露わにした。






「浅野くん、信じてないでしょう。」

「当たり前だろ、どう考えても名字さんのアレは人間が照れる態度には見えない。」

「あのね、女の子ってのはそれはそれは複雑な生き物だよ。一を聞いて十を知る、が通用しない相手なんだ。」





いきなり真剣な目をし始めた蓮に、先ほどまでは苦笑いを浮かべていた小山と荒木は真剣に話を聞き出した。
おい待て、2人とも何を真剣になっているんだ。コツン、と荒木を肘でつつくと、「後学のために聞いておこうかと……」などと言う。蓮のような女性泣かせの不届者の話を聞いて、2人に悪い影響が有るのではないかと一抹の不安を抱いたが、僕も蓮のアドバイスを聞かざるを得ない立場にいるのだから何も言えなかった。




「女の子には色んなタイプがあるんだよ……素直な子、クールな子、憎まれ口をたたいてくる子、甘えん坊な子……照れの動作一つ取っても十人十色。みんながみんな顔を赤らめたりするわけではないよ。」

「だよなあ、俺も浅野くんの彼女はそういうステレオタイプな反応をする子じゃない気がする。果穂は分かりやすいけどな。」

「あー、分かる。瀬尾の彼女と浅野くんの彼女は180℃違う感じ。」

「ゲシシ!名字さんは扱いずらそうだな」

「小山、分かってないね。扱いずらい子ほど服従した時が可愛いのさ。」

「じゃ、じゃあ名字さんも……」

「生唾飲み込んでんじゃねーよ荒木!」







だめだ、こいつらに聞いた僕がバカだった。
人の彼女でありもしない妄想を繰り広げている4人を遠巻きに眺める。同類だとは死んでも思われたくない。
しかし、彼らの妄想は置いておくにしても、名字さんが扱いずらいという小山の言はあながち間違いではなかった。
彼女はクラスの女子と違って、微笑みかけても表情一つ崩さないのでどんな仕草や表情がツボなのか、はたまた地雷なのか掴みにくい。
さて、どう攻略してゆくか……。
これは彼女への悩みというより、反抗期の息子への対応を画策する母親のような悩みではないかと思うとため息を抑えきれなかった。







「浅野くん!次に電話する時、さりげなく名字さんのこと名前で呼んであげなよ。『名前』ってさ。」





荒木たちとあらぬ妄想に花を咲かせていた蓮が、そんなことを言って気障ったらしくウインクをこちらへ撒き散らす。
ゾッと寒気が背筋を走り抜けたが、そんなことよりも「名前!」「名前だってさ!」「名前かあ……」とわざとらしく名字さんの名前を連呼する他の馬鹿3人と共に後頭部をはたいてやった。











「あー、急に連絡してすまないね。今、大丈夫かい?」

「支障はありませんけど……?どうかしましたか、浅野くん。」

「いや、その、土曜日の件なんだけど、本当に予定に差し支えないかと思って。」

「ええ、大丈夫です。」

「……、」

「……?」

「じゃ、じゃあ、土曜日にね。」

「はい。ご連絡ありがとうございました。」

「楽しみにしてるよ、……名前。」

「……!」







ブツッと勢いよく切られた通話。
普段の彼女ならば間違いなく切り際に「失礼します」と言ったはずだ。
その最後の一言が無かった。
まるで動揺を隠しきれないかのような性急な幕の引き方。
そこで思い起こされる、あいつらの言葉。
「照れの動作一つ取っても十人十色。」「ステレオタイプな反応をする子じゃない」
まさかさっきのが名字さんの照れ方だと安易に考えたりはしない。しないけれども。






「ようやく、君の弱点を見られたよ。」






一人でに上がる口角を抑えられない自分がいた。




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