good morning

まさかそんな、と脳がけたたましく警鐘を鳴らしたことをハッキリと覚えている。
握った紙がグシャリと歪んだ感覚は、いつまでも私の手にこびりついて離れなかった。
泣きたいような、嬉しいような、それでも不安ばかりが私の全てを占めた、冬の終わりのこと。



【2年C組 名字名前
3年次よりA組への転級を認める】









冬が明けて春になり、ガクガクと小刻みに震えながら3年A組の教室に踏み込んだ日、真っ先に私を射るように無数の視線が刺したことを、一生涯忘れないだろうと思う。
椚ヶ丘中のA組といえば、全国屈指の秀才たち。
その彼らが「誰だアイツ」と猜疑と敵意とほんの少しの興味を含んだ視線を一斉に投げかけてくるのだ。
1年次、2年次とC組で学年ど真ん中の平々凡々な暮らしをしていた私にとって、A組の教室はまさに異世界。
アウェイたること甚だしかった。
当時の恐怖を回想し、静かに目を閉じる。
A組になんとか慣れた今でも、当時を思うと背筋が凍る。







「名前?」

「あ、おはよう。浅野くん。」

A組の学級委員でもあり、椚ヶ丘の生徒会長でもあり、また学年トップどころか全国模試1位で爽やかなイケメンという華々しいキーワードばかり併せ持つ彼は、浅野学秀くん。
毎朝わたしが初めに顔を合わせるクラスメイトである。
彼は必ず私の次に登校してくるし、私はA組では1番に登校して席に着いているので、必然といえば必然。
残念なことにその関係にトクベツな感情が起因しているということは、ないと思う。






「今日も朝から勉強とは、名前は相変わらず死角無しだね。」

「私はただでさえみんなの足引っ張ってるから……。」






朝一番に登校するようになったのは、三年生に上がってからだ。
ただでさえC組上がりの平凡な私だからこそ、他のみんなの倍は努力しなければ着いていけない。
こういった意図で毎朝学校で勉強しているわけだが、やはりこの学校はそう甘くない。
簡単に成績は上がらなかった。
得意な教科は何とかA組の上位層まで喰いつけるようになったが、総合点でみれば私はまだまだA組の最下層。
もっと頑張らなくてはならない。
みんなの足を引っ張りたくない、置いていかれたくない。
その一心でささやかな努力を続けている私を哀れに思ってか、浅野くんは毎朝勉強を見てくれる。
今日も彼は私の隣の席に自然と腰掛け、机に広げた課題をじっと見つめた。
ちなみに私の隣はあの五英傑の榊原くんだが、彼は登校がわりに遅いので浅野くんがその席を占拠しても大した問題はない。








「今日は英語?」

「うん、この間の中間テストで点数下げちゃったから……」

「名前に英語が苦手なイメージはないけどね。」

「2年までは得意だったんだけど、3年に上がってからガタガタ。」

「原因は完了形かな?」

「正解……」









私立の中高一貫校では、高校の内容を中学でやることはそう珍しくない。
椚ヶ丘も例に漏れずで、現在完了を3年の初めにやった時、本来なら中学ではやらないはずの過去完了、未来完了まで進んだのだ。
現在だの過去だの未来だの大過去だの、時系列がバラバラで訳が分からない。
中間テストの点数が私を急き立てる。
収拾がつかなくなる前に、と早めに手をつけておく必要があった。





<私の母は15年前に亡くなりました>
My mother has been dead 15 years ago.







「これは……惜しいね、使っちゃいけない単語が使ってある。」

「えっ、使っちゃいけない単語……?」

「ここ、」





トントン、と浅野くんの長い指が”ago”を軽く叩いた。
何が何だか分からずに、ぼんやりとその綺麗な指を眺めたままの私に浅野くんは解説を加えてくれる。







「現在完了は、あくまで完了形であって過去形じゃない。だから現在完了では”ago”とか”yesterday”みたいに明確に過去を表す語は使えないんだよ。」


「ってことは…」








浅野くんの指が指していた”ago”に消しゴムをかける。
<15年前>が”15years ago”でないとすると…。







「<15年間死に続けてる>って考えるんだよ。」

「あっ、そっか!」







My mother has been dead for 15years.







「そう、正解。この手の文は現在完了形の継続を使えば似たような意味になるんだよ。」

「そっか、ありがとう浅野くん。期末テストは何とかなりそうな予感。」

「ははは、”予感”じゃなくて何とかしてもらわなきゃ困るんだけどね。」

「うっ……」

「せめて学年で50位には入ってもらわないと。」

「が、頑張ります…」








ガシガシ、と私の頭をぐしゃぐしゃにかき回し、浅野くんは満足気に頷いた。
期末前には僕も手伝うからさ、と。
その一言が私にとってどれほど心強いか。
憂鬱なはずの期末テストに前向きに取り組めそうだ。








「おはよう……おや、朝から良いものを見たね。早起きは三文の徳とはよく言ったものだ。」

「あ、榊原くん。おはよう、こんな朝早くに登校してくるの、珍しいね。」






ガラガラと開いた引き戸から現れたのは、この時間に見かけることのほとんどない榊原くん。
いつもあわや遅刻かとこちらが心配してしまう時間に登校してくるのに、珍しいこともあるものだ。
隣に腰掛けている浅野くんも、榊原くんの登場に目を見開いている…というか、瞳孔が開いている。
いくら何でもびっくりしすぎじゃないだろうか。







「やあ、名字さん。今日はいつになく爽快な気分だったから早くに登校してみたんだ。…ということだから、ごめんね浅野くん、邪魔したみたいで。」

「ああ、本当に邪魔だよ。」

「そんなに怖い顔で睨まなくても……でもまあ、朝から微笑ましい光景を見られてラッキーだったよ。」

「蓮、」

「そう怒らないでよ、浅野くん。僕は空気の読める男だからもう少し朝の散歩を続けることにするよ。馬に蹴られて死にたくもないしね。」

「馬……?」







微笑ましい光景とか、空気の読める男とか、朝の散歩だとか、馬に蹴られるだとか、榊原くんの紡ぐ言葉は複雑でよく分からない。
けれど、私が真意を尋ねる前に彼は笑顔で再び教室から出て行ってしまった。
鞄は自分の机に置いたままだから戻ってくるのだろうけど、にしたって朝の散歩を続ける意味が分からない。
というか馬……?うちの学校、馬なんか飼ってたっけ……?
そもそも、教室に着いたのだし、友人の浅野くんがいるのだからここに居ればいいのに。






「ねぇ浅野くん、榊原くんは…」

「……あいつ、変な気を遣いやがって…」

「?」

「いや、名前は気にしなくていいんだよ。それより、もう少し勉強しようか。」






浅野くんは少々引きつったような誤魔化したような言及しづらい表情を浮かべている。
なんだろう、もしかして今の榊原くんの発言は、2人にしか分からない暗号か何かの体を取っていたのだろうか。
そう勘繰ってはみるが、浅野くんが引き続きわたしの勉強を見てくれるというから、あっさりとそちらの誘惑に負けてしまった。






「それなら今日提出の数学、ちょっと見て欲しいな。」

「お安い御用だよ。」









滅多に見られない浅野くんの柔らかい笑顔が私を直撃する。
わ、と思わず声を上げそうになって、寸前で堪えた。
普段の浅野くんはしかめ面か綺麗すぎる笑顔が多いから、この自然な、ふんわりした微笑みはなかなかレアなのだ。
それこそ、私はこの早朝の勉強中にしかみたことがない。
さっきの榊原くんじゃないけれど、朝からラッキーだな。
少しテンションが上がっているのか、ピンク色のシャープペンシルも教室の窓も、いつもよりきらきらして見える。




「ねえ、浅野くん。」

「ん?」

「わたし、この早朝の時間、けっこう好きかも。」

「かも、じゃなくて僕は好きだけどね。」










good morning!










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