トリノスケール

○月×日某時刻
トクサネ宇宙センター天体観測所




ここ最近は、ずっと徹夜だった。
眠い目をこすりつつデスクへ向かうも、睡眠を欲する身体はなかなか仕事へ向かってくれない。
研究者にとって大事なのは、1に体力、2に体力、3、4がなくて5にアルコール耐性だとカントーの大学院時代に言われてはいたが、まさか指導教官の教訓をこんなところで噛みしめることになろうとは思いもしなかった。
なるほど、確かに研究者にとっては徹夜など日常茶飯事。
その徹夜を引きずることなく日中も研究に従事せねばならないのだから、確かに研究者は体力勝負だ。
しかし、今回の私の徹夜の原因は研究ではないので研究者としては不満ではあるが。





「名前さん、大丈夫ですか?さっきからフラフラじゃないですか。」

「いやいや、このくらい何とでもなりますよ。まだ大丈夫です!」





あまりにフラついている私を見かねてか宇宙センターの受付のお嬢さんが声をかけてきてくれたが、そういう彼女もどこかゲッソリしている。
彼女たちは受付員であって研究職ではないので、定時の17時30分には上がれるはずだが、昨日は20時頃まで受付に詰めているのを見かけた。
恐らくは、問い合わせの電話対応に追われていたに違いない。





「にしても、私たち受付員は電話対応が仕事なので良いんですけれど……研究者の皆さんがチラシ作りなんて、ナンセンスですよね。」

「不満ではありますけど、仕方ないですよ。うちもそうそう楽な経営じゃないですし…チラシ作りくらいは職員でやらなきゃ。」

「名前さん、ここ数日はチラシ作りのせいで徹夜でしょう?ここまでやらなくたって……。」


「あはは、慣れてないから時間がかかってるだけですよ。それに、今回の天体ショーは皆さん楽しみにされてますからね。」





そうなのだ、近日に控えたシシコ座流星群天体ショーこそが私の徹夜の原因の全てである。
毎年、夏になれば見られるシシコ座流星群だが、今年は例年よりも流れのピークが比較的早めの夜11時頃で、更に天候との相性も良く、よりいっそう見易くなるだろうと予測発表したことから、”なら、天体ショーを行えば良いのでは?”との声があちこちから出され、宇宙センター総出で「シシコ座流星群天体ショー」と銘打ったイベントを実施することとなった。
これが約1ヶ月ほど前の話。
それから、なんとトクサネ宇宙センターが出資を受けているホウエンの大企業、デボンコーポレーションのツワブキ社長が自らこの天体ショーを楽しみにしている、とコメントしたことで、私たちも気合いを入れざるをえなくなったのだ。
ツワブキ社長がいらっしゃるのなら…と、何だかんだと全職員で議論しているうちに大掛かりなイベントとなってゆき、最終的にはシシコ座流星群の観測展望台まで用意することになった。
予想外に大規模になってしまった天体ショーの準備に私たちは顔を青くしたが、もう後には退けない。
果たしてうっかり屋ばかりのこの宇宙センター職員だけで滞りなくイベントを終えることができるのか……不安ではあるが、できる限りのことはやるつもりだ。







「名前さんのイラスト、可愛いですね。このシシコとか。」

「あああ……!素直に下手だって言って下さい…!」

「え?お上手ですよ?」






私が握っていた仮決定のチラシを覗き込んだ受付のお嬢さんはそう言ってくれるものの、私のイラストが下手なのはダイゴさんが実証済み。
先日、またもやリーグを抜け出して宇宙センターに遊びに来たダイゴさんにこのシシコ座流星群天体ショーのチラシ(仮決定版)を見せたのだが、バッサリと「うん、可愛いよ。この……ブ、ブースター?」と評価を下されてしまったのだ。
シシコ座流星群天体ショーのチラシにブースターを描く馬鹿がどこにいる。
そうツッコンでやりたかったが、しかし私のイラストがブースター(しかも?マーク付き)に見える、というのがダイゴさんの実直な感想なのだから、それは甘んじて受け入れようと思う。





「名前さんのイラスト、ゲージュツっぽくて可愛いですよ。前衛美術?っていうのかなあ。」

「あはは…優しい評価をありがとうございます。」






お世辞でも嬉しいですーー、そう続けた瞬間のことだった。











WARNING! WARNING! WARNING!

【緊急事態発生。職員はすみやかに2Fフロアへ】

【繰り返します、緊急事態発生。職員はすみやかに2Fフロアへー】





けたたましい音とともに、普段ならば滅多に鳴らない警報機が鳴ったのは。










「!?」

「うそ、警報機……!?どうしましょう名前さん……!いったい、何が…」

「落ち着いてください、何かシステムに不具合があったのかもーー、」






耳をつんざくような警報機の音は、どこか人を不安定にさせる。
先ほどまでの和やかなムードとは一転、張り詰めた緊張の糸がセンター内に張り巡らされた。
周囲を見渡せども、誰もが状況を把握しきれずに右往左往するばかり。
ここでこうしていても仕様がない……、意を決してお嬢さんには一階の展示室にいる見学者への対応を任せ、私は自分のデスクへ向かった。






「名前!」

「せ、先輩!この警報、……!」






階下から慌ただしく階段を登ってきた先輩に大慌てで詰め寄る。
すると彼もまた、動揺を隠しきれない様子で私の肩を掴んだ。
近くで見れば、先輩の額には大粒の汗が浮かんでいる。
いつもは「これで〜回目の打ち上げ成功だ!」と子供のようにはしゃいでいる先輩らしからぬ真剣な顔。
肩に先輩の指がめり込む。
掴まれた力の重みに骨が軋んだ。







「さっき展望台で確認してきた……隕石だよ。最近、ソライシ博士が観測対象にしていた隕石…」

「え…?あれ、私も観測報告見ましたけどそんなに大騒ぎするような隕石じゃなかったですよ。軌道も安定してましたし、星間爆発の予兆も……」

「いきなり軌道が変わったんだ。このままじゃ…間違いなく……」


「そ、そんな……!だいたい、ここ何十年もこの星のトリノスケールはレベル0ですよ!?」






トリノスケールとは、天体物がこの星に落下する危険レベルを測る単位のこと。
この数十年間この星はレベル0、つまり「落下の危険は0に近いほど非常に低い」と判断されている。
「ありえない」とまた呟くと、とりあえず座れ、と促された。
その鬼気迫る様に押されて大人しくデスクに座る。
いつもロケット発射台前の展望デッキに詰めている先輩も、滅多に座らない私の隣デスクに腰掛けた。
しかし、この非常事態にそうそうゆっくりしてもいられない。
とりあえずソライシ博士を呼んで来なければーー、と私が立ち上がりかけたと同時に、カツカツと早歩きな革靴の音が研究室に響いた。






「ソライシ博士!大変です!隕石の軌道が突然変化して――こっ このままではこの星に衝突しますっ!!」

「なんですと?!軌道を確認!名前くん!予測計算急いで!」

「は、はい!」







まさか博士から直々に指名を受けるとは思わず、情けなくも声がひっくり返る。
しかし、周囲は私のそんな姿を気にするそぶりもない。
慌てて演算ソフトを起動し、画面とにらめっこをしながらキーボードを叩いた。
カタカタカタカタ、タイプする音だけが響く。
いつの間にやら警報機の音は姿を消していた。
宇宙センター内の天体観測システムから対象をロック、ここ数時間の隕石の軌道とスピードを計算式に打ち込んでゆく。







v = √gR = √9.8*6.4*106 = √49*2*10-1*64*10-1*106 = √7²*2*8²*10-1*10-1*106







「えっ、」





ピタリ、キーボードを叩く手を止める。
時間ごとに観測された隕石の軌道が、明らかにおかしい。
これはもはや天体物の軌道ではない。
普通の隕石なら、こんなにぐにゃぐにゃとした軌道は描かないはず。
まさか自分がどこかで計算をミスしたのか?と疑って式を見返すも、おかしな点は見当たらない。
まるで……ホウエンを狙ってこちらに向かってくるような…、得体の知れない気味の悪さが背筋を通る。
あまりの不気味さに思わず、頭を振った。




 

≒ 757500 * 1017
= 75.75 * 1021
⇒r ≒ 75.75 * 107
= 4.23 * 107
= √7²*2*8²*104 = 7*8*10²*√2 ≒ 56*10²*1.41 ≒ 79.0*10² = 7.9*10³





「軌道計算のグラフでました!落下点予測お願いします!」




計算により作成されたグラフのデータをそちらの専門の女性に送付すると、彼女はすごい勢いでタイピングを始めた。
慣れない軌道予測計算にどっ、と疲れた私は力も抜けてデスクに倒れこむ。
一応、おつきみやまで研究をしていたこともあるので隕石落下に関しては専門外ではあれ、全くの無知ではなかったが、さすがにこの緊迫した状況では神経も使う。
自らのわずかな呼吸の乱れに気がついて、胸に手を当てた。





「落下予測地点は……ルネの南西131番水道近くの孤島!」







ざわっ、それを聞いた途端にざわめき出した室内。ルネの南西といえば、トクサネからそう遠くない。カナズミやミナモ、カイナ、キンセツのような大都市……そもそも、ルネシティ自体に落下しなかったことが奇跡だが、あれだけの規模の隕石だ。
二次災害でどうにかなってしまう可能性も十二分にある。



バタバタ、と慌ただしくソライシ博士が私のデスクに近寄り、計算で出したグラフを除きこむ。そのあまりに難解かつ意味不明な軌道に、ソライシ博士ともあろう高名な学者も目を瞠った。



「これはまるで……生きているような……」

「どうしましょう?!どうしましょう?!博士?!」

「落ち着きたまえ!」

「はっ!?はは はっ はいぃぃ……」







研究所で一番落ち着きのないことで有名な研究員は、博士にたしなめられてもなお相変わらず慌てふためいている。
あわあわと意味のない動作を繰り返しながら「名前くん、さっきのグラフ……」と彼も同様に隕石の軌道グラフを除きこんで、言葉を失った。




「なんだ……これ……明らかに普通の隕石の軌道じゃない……」





もれ出た呟きに他の研究員も何だなんだ、と私のデスク周りに集まってくる。
しかしみな一様に驚愕するばかりで、この不可解な隕石の軌道には誰も説得力のある解答をあげられないまま。
「中に宇宙人でも入ってるんじゃ……」
先輩がふざけて言ったこの一言も、謎だらけの隕石の前では妙に信憑性があるように聞こえてしまう。






「……ぬう、かくなる上はーー」







ソライシ博士の絞り出したような苦渋の声が、私の鼓膜を打つ。
トリノスケール レベル0の崩壊は、ゆっくりと、確実に私たちに近づきつつあった。

















mae ato
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