n=3のポリトロープ

麗らかな午後。
何とか研究にひと段落ついて、数時間ぶりにパソコンから目を離した。
周りを見渡したが、他の職員は誰一人いない。
はて、と首を傾げた瞬間、激しく火を吹くかのような轟音が響き渡る。
そこでようやく思い出した。
今日は我らがトクサネ宇宙センターが誇る∞エナジーを搭載したロケットが成層圏へと旅立つ記念すべき日であった、と。
外から微かに聞こえる歓声から推測するに、打ち上げは滞りなくいったのだろう。
これで、何度目の打ち上げ成功だろうか。









「やあ、名前ちゃん」









ぼんやりとロケットに思いを馳せていた私を現実に引き戻した声は、誰もいない2Fフロアにやけに大きく響いた。
いつの間に入ってきたのやら、ホウエンリーグのチャンピオン様が長い脚を見せつけるようにこちらへ向かってくる。
眩しい笑顔を浮かべるダイゴさんを前にして、思わずため息が漏れ出てしまった。
こんな真昼間からこの人は……。
またリーグを抜け出したに違いない、本当にどうしようもない人だ。
今頃は四天王全員での大捜索、カゲツさんあたりは必死でバトルリゾートを探し回っていることだろう。
ダイゴさんはたいていはトクサネ宇宙センターに潜伏している、とカゲツさんやプリムさんに教えてあげた方が良いのだろうか。
こうも度々宇宙センターへ来られては、ホウエンリーグはきちんと成り立っているのかと心配にもなる。








「またリーグを抜け出したんですね?」

「やだなあ、抜け出したなんて。ちゃんと書き置きはのこしてきたよ。”少し出掛けてきます”ってね。」

「どちらにせよ断りなく出てきたんですね……」






アハハ、と愉快そうに笑いながら流れるようにスーツのジャケットを脱ぎ、私に手渡す。
そしていかにも慣れたように研究員たちのデスクの後方に設えられた、心ばかりの来客接待スペースの椅子に腰掛けた。もうこの時点でここで追っ手をやり過ごそうという魂胆が丸見えである。
しかし、「まったく……」などと小言を言いながらも彼の職務怠慢に手を貸してしまう私は、相当ダイゴさんに甘い。







「ここは厳正なる宇宙研究の砦であって、あなたの隠れ家じゃないんですよ。」




おそらく高価であろうスーツを恐る恐るハンガーに掛け、私のロッカーにしまう。
2Fの研究フロアには職員もしくは来客用のコート掛けはあるにはあるのだが、ダイゴさんの高価なスーツに何かあっては困る。
ここの職員は慌ただしく走り回る上におっちょこちょいな人が多いから、誤ってクローゼットにかけたスーツを落として踏んでしまう可能性もなきにしもあらず、だ。
鍵をかけられる私のロッカーが最も安全だろう。
そっと、スーツをしまったロッカーに鍵を掛けた。







「まぁまぁ、いいじゃないか。僕だって宇宙には興味があるんだ。君の専門分野だからね。」

「興味はあっても面白くないでしょう、私の専門は理論モデルの組み立てばかりですから。」







ソライシ博士のように観測天体物理学……星や恒星の観測がメインの学問ならば、普通の人だってハイテクな宇宙望遠鏡を使った天体観測気分で楽しいのだろうが、私の専門は理論天体物理学。
ソライシ博士が観測したデータを基に、新たな現象モデルを組み立てることが主たる仕事だ。複雑な計算も必要なことだし、見ていて面白いものではない。





「そりゃあ君が解いている難しい計算式なんか見たって面白くも何ともないよ。」

「なら、宇宙センターに潜伏しないでバトルリゾートにでも行けばいいじゃないですか。」

「バトルリゾートじゃすぐカゲツに見つかるし、何より僕は君が不可解な理論モデルとやらを考えている時のその悩ましげな表情が好きなんだよ。だから、側で見ていたいな。」






半ば無意識に、口をつぐんだ。
にこ、と穏やかに微笑まれてしまっては、もう何も言い返せない。
例えば、「恥ずかしいことを言うな」だの「気障ったらしい」だの「変態くさい」だの言ってやりたい言葉はいくつも浮かんでくるが、頬の熱さが私の可愛くない反論を押さえ込んでしまう。
じわじわと際限ない熱が上ってくる。
思わず頬へ手をやった。
異常なまでに、アツイ。







「名前ちゃん、顔真っ赤。」

「う、うるさ……!」

「かーわいい。」







どうにもしつこく灯り続ける火は消えてくれない。ああもう!とダイゴさんから顔を逸らしたが、彼は飄々と「照れてるの?」と尋ねてくる始末。
ダイゴさん相手に勝ち目がないのはいつものことだが、あまりに恥ずかしい。
いつだって彼は惜しげも無く甘い言葉を投げかけて私をでろでろに溶かしてゆくのに、私ときたら悔しいことに一度もダイゴさんに反撃できた試しがない。
チラ、とダイゴさんを盗み見た。
机にゆるく頬杖をついている姿もやけにカッコよくて、慌てて目線を逸らした。








「名前ちゃんってさあ、本当に初心だよね。今まで研究漬けだったからかな?」







よしよし、なんて言いながら頭をやんわり撫でられて、どうしようもなくむず痒い。
胸が苦しい。
苦しいけれど、何故だかふわふわしていて、この感覚をどこにも逃がせない。
ここは私の職場であって、誰かに見つかるかもしれないというリスクがあるにも関わらず、その手を振り払えない。
辛い、けれど、確かに好きだ。








「普段の研究に夢中なキミも好きだけど、そうやって僕の言葉に照れてくれると嬉しいな。」



どうして、この人はこうも私をダメにするのだろう。こうやってダイゴさんは、私をぐずぐずに甘やかして、何も考えられなくしてしまう。私はただふわふわと夢心地になってしまう。
この様では、ダイゴさんに仕事をしろだとか、リーグに戻れだとか言えない。
何より、帰ってほしくないと望んでしまう。





ズルイ、とだけ小さく呟いた。
自分で思った以上に掠れて消えかけたような声だったが、視界の端でダイゴさんはやんわりと口角を上げていた。














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