「あ、エース! おはよう!」
「……ああ、おはよう」

朝、学校に向かおうと飛び出した交差点で、ばったりと顔を合わせたのはエース。彼とは何週間かぶりに顔を合わせるのだけれども、そっけない態度だ。

エースはわたしの家の近所に住んでいる、同い年の高校生。所謂幼なじみだとわたしは思っているが、彼の方はどうだか。
生まれた頃から付き合いが長く、幼稚園も小学校も中学校も一緒だった。どちらかといえば控えめなエースを、昔のわたしは振り回して遊んでいたものだ。
しかし、高校からは二人別の学校に進学。
当然といえば当然なのかもしれない。いつまでも『幼なじみ』に甘えていられるのは、あそこで最後だったのだろう。
少し、寂しい。

「じゃあ、僕はこっちだから」
「う、うん、またね」

近所の高校に進んだわたしと違い、エースは電車で数駅向こうの進学校。実力の差なんて昔からあったから、そうなることなんて分かってた。
手を振ろうとしたけれど、エースはわたしの方を一瞬見るなり背を向けて歩きだすものだから、わたしは半分上げた手を慌てて引っ込めた。少しの間離れていく彼の背を見つめて、わたしも反対方向へ足を向ける。思わず大声で何かを叫びそうになった口元を押さえた。





「どうしたんですか? 今日はずっと、元気がないみたいです」
「そうかなぁ。そう見える?」

はい、とクラスメイトのデュースが真剣な顔で頷く。昼ご飯のお弁当を文字どおりつついてばかりで口にしようとしないわたしの顔を覗きこんでいた。

「何か悩みごとでも?」
「悩みごと……うん、そうなのかも」

卵焼きをつんつんと箸でつつく。どうにも食べ物を口の中に入れる気がしないのだ。弱々しく突かれる度にへこむ卵焼きから目をデュースに移し、曖昧な笑みを浮かべてみせた。
デュースは心配そうにわたしの目を見つめ返した。わたしはいたたまれなくなって、重たい口を開く。

「ずっと幼なじみだと思ってた人がさ、最近人が変わったみたいに冷たいんだよね。もう子供でもないのにこんなこと言ってるなんて、その時点でおかしいけど」
「そんなことないです!」

なぜか強く否定されて、わたしはきょとんとした。

「関係を変えたくないと思える人がいるなんて、すてきなことだと思います」
「そう、かなぁ」「……でも」

そこまで反論は許しませんとでも言いたげな瞳に気圧されて肩を竦めて話を聞いていたのだが、突然デュースの声色が変わった。

「なまえさん、幼なじみのままがいいと思っているというのは本当ですか?」
「……え?」
「なまえさんの様子を見ての予想ですから、あとはなまえさんの気持ち次第ですけどね」

デュースはかわいい。そんな微笑みを向けられたら、どんな男子もイチコロなんじゃないだろうか。
わたしもそんな可愛らしさを持てていたなら。
いたのなら?

「今こそ関係を塗り替えるチャンスじゃないですか、なまえさん」





帰り道、わたしはとぼとぼと歩いていた。車に抜かれ、自転車に抜かれ、歩行者にさえも抜かれた。それでも速度をあげる気にはなれなかった。頭の中がぐちゃぐちゃで、それでもその中心にはエースがいて。

「わたしもデュースみたいに可愛かったら」

可愛かったら、どうするんだろう。そこでエースの顔が浮かぶ。でも、どうして? なぜかその先を考えたくなくて思考を閉ざす。
そのループ。わたしは道路の端に見つけた小石を蹴った。思いの外勢いのついたそれはころころと転がって交差点に飛び出す。

「あ」

車が小石を踏んでパンクなどさせてしまったら大変だ。少し小走りで小石を追い掛けたとき。

「れ?」

止まった石の一歩分向こうに、靴が見えた。どうやら立ち止まっているらしい。わたしがはっと顔をあげると、朝会ったぶりのエースが、わたしを見下ろしていた。

「まだこんな子供っぽいことをしてたのか」
「こ、子供って」

違わないだろう、とエースはわたしの言葉を遮った。繋げ掛けた言葉が喉につまる。
わたしは小石に視線を落とした。エースは、そんなわたしをやっぱり見ている。

「……エースは、変わっちゃったよね」
「いつまでもあのままの僕たちでいる訳にもいかないだろ。僕たちはもう高校生だ」
「そうだね、高校生だね」

高校生に、なっちゃったね。
この道を二人で走ったことも、イタズラして笑ったことも、辺りが暗くなったのが怖いと泣いたわたしの手を握ってくれたことも。みんなみんな、過去になってしまった。
わたしは、その先があると信じてばかりいた。変わらない、未来が。
そのとき、ふと浮かんだのはデュースの言葉。

『幼なじみのままがいいと思っているのは本当ですか?』

わたしは、変わることを恐れている。
その先が想像も出来ないから。でも、本当は……本当、は。

「変わることは、悪いことなのか?」

わたしの心が答えを弾き出そうとした瞬間、エースが切り出した。
その瞳が、くっきりとわたしの顔を映している。映った表情はひどく困惑していた。我ながらなんて可愛くない顔。

「僕が変わった変わったと言うけど、なまえはそれが嫌なのか。僕は、変わりたいんだ」

畳み掛けるように続けられる言葉にわたしは反論出来ない。しかし、エースが最後言った言葉が、なんだかいまにも泣きそうな声に思えてしまった。
案の定彼の顔はなぜか歪んだそれで。わたしは何も考えることなく口を開いていた。頭の中が警報を鳴らしている。何を言うつもり、わたし。

「僕は、なまえと僕の関係をこのままで終わらせたく」
「わたしだって、変わりたいよ」
「…………本当に?」

今まであんなことを言って置きながら、突然変わりたい、だなんて遮るわたしを、エースが怪しむのも当然だ。
しかし、わたしは覚悟を決めていた。気付いたのだ。やっと、自分の気持ちに。

「わたし、わたしね、エースの傍にいたい。それは今も昔も変わらないの。でもね、どうしてこの歳になっても傍にいたいって思っちゃうのか、分からなかった。エースが『もう高校生だから』って言うのが寂しくて仕方なかった」

一度切り出したら、なかなかわたしの言葉は終わらなかった。息継ぎすら上手く出来ない。けれど、ちゃんと伝えなくては。わたしの気持ちを。

「でも、でもね、エースと少し離れて分かったの。やっと分かったの。わたし、……わたし、エースのことがす」

息が続かない。言葉が声にならなくなってくる。でも、言わなくちゃ、早く、今しか。
しかし、やっと言い掛けた最後の二文字の途中で、唇に人差し指が押し付けられた。

「な、」
「そこから先は、僕に言わせてくれないか。なまえに最後まで言われちゃ、僕の立場がない」

軽い酸欠状態に陥っていたわたしには、エースが何を言おうとしているか考えることができない。ゆっくりと離される男の子にしては細く、しかし骨張った指。それからエースは少し微笑んだかと思うと、ふと真面目な表情になる。
うわ、エースってこんなに整った顔してたんだ。
今更それを理解した。と共になぜか顔が熱くなる。

「なまえ、」
「へっ」

なんだか真剣な空気なのに、名前を呼ばれただけでわたしはおかしな声を出してしまった。
ぼうっとエースの顔全体を見ていた視線を、エースの瞳に集中させる。

「僕は」
続く言葉に、わたしは泣いてしまいそうな予感だけがした。

エースとわたし
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