私の時代になくなった自然、生物、芸術、文化。
それを探しに私はここにやってきた。
この時代にはなかった技術が私の時代には存在している。
たとえば、最近一番の話題といえばタイムマシン。
しかしまだあれは完成はしていない。テスト運用を兼ねて、私はこうしてこの時代にしか存在しないもののデータ採集にきたのだ。
私は、この時代の地に足をつけた瞬間。唖然とした。
空の色が、青い。
ぽかんと口を開いてしまった。
人工ではない空の色など、見たことがなかったのだ。
しかしいつまでもこんな本でしか見たことのない路地で立ち尽くすわけにもいかない。
「もしもし、なまえだけど。着いたよ」
私は耳元につけた小型連絡器に語りかけた。
ジ、ジジ、と少しのノイズの後、優しく柔らかい声音が応答する。
『無事到着出来たみたいだね。どう? 初めての時代は』
「う〜ん、昔の写真通り。ああ、空の色は思ってたよりずっと青いよ」
『いいなぁ。私も行きたかったけど、まだそれ試作品だし……』
「一人で、しかもいつタイムアウトかも分かんないんだよね。私もレムと来たかったなあ」
知らないところに一人取り残されるなんて。空が青いのは綺麗だが、出来るならとっととデータを集めて帰りたい。
しかし、時空間を飛び越えて繋がっているこの通信機器で親友レムの声が聞けるから、まだ落ち着いていられた。
『……帰ってきたらたくさんお土産話聞きたいからさ、どんどん情報、収拾してね』
レムの優しい声に私は動作は伝わらないと知っていながらも頷いた。
「じゃ、何か報告があったらまた連絡する」
『はい、頑張って』
「…………」
切ったのはいい。
……切ったのはいい、のだが、どうすればいいんだ。とりあえず念のための滞在場所の確保だろうか。通貨だって変わってしまっているからホテルは使えない。というかいつ戻ってしまうかも分からない。
とりあえず……、とりあえず。
俯くように視線を下げたら、道路のコンクリートの割れ目からタンポポが咲いているのが目に入った。すごい。植物園以外で初めて見た。自然の花なんて。
これはカメラに収めなければ。
ポケットからカメラを取り出す。できるだけ目立つべきではないからと、所持品は大昔……とはいってもこの時代のものだが、に変えられた。
だから、
「……わからん」
操作方法が。
だって私の時代なら……と一人愚痴を言っても仕方ない。
私はカチカチと様々なボタンをでたらめに押してみた。うぃいん、と音を上げて出てきたレンズらしきものを覗き込む。ぱしゃり。
「……っ!!」
突然の光に目が眩んでしまった。ちくしょう、とカメラに舌打ちをする。
そうか、このボタンを押すと撮れる。あ、でもズームは……。
もういい。自分から近づいてやる。地面にうつ伏せになってタンポポに接近した。
「……あれ、近い……。もう少し下がって……」
「……さっきから何をしているんだ」
「!?」
ずりずりとコンクリートの上を這っていたから迫ってきていた人になど気付かず、頭上から降ってきた言葉に心底びっくりした。
「写真を撮りたいんだ、けど」
「アパートの前でそんなことしてたら捕まるぞ。俺には関係ないが」
それもそうだ。考えてみれば、私のポーズは明らかに怪しいもの。
私はいたたまれなくなりつつも立ち上がる。長身の彼は私を頭から爪先まで一瞥しているようだ。私も観察し返した。
……現代人の基準が分からないから、どうとも比較出来ない。強いて言うなれば、整った顔をしているというところだろうか。いかにも寡黙な人って感じ。スーパーか何かの袋を片手にしているということは、このアパートに住んでいるようだ。
歳は、同じくらい……? いや、もっと年上か?
そうやって観察をつづけていたら、相手が言葉を投げ掛けてきた。
「……見た限り、カメラの使い方が分からないようだな」
「そこのタンポポを撮りたいんですが」
「貸してみろ」
おそるおそる彼にカメラを差し出すと、何やら手にとってあちらこちらを見た後、「なんだ、普通のデジカメじゃないか」。いやだからその普通が通じないのだが。
私は何も言わずにむっとした顔をしていたら、彼は「仕方ないな」と溜め息混じりにカメラを構える。
ぱしゃ、とシャッター音がした。
「これでいいのか」
「あ、ありがとう」
受け取ったカメラの画面には、目の前のタンポポが切り取られている。
私の時代と比べれば、そのタンポポは窮屈な画面に閉じ込められているような気がする。私はなんとなくその画面をなぞった。
「タンポポがそんなに、珍しいのか」
「うん、私のところじゃ滅多に見られないから」
「……どこから来たんだ?」
「あなたも知らない遠いところ」
カメラから視線を外さずにそう言ったら、彼はしばらくの無言の後、おもむろに切り出した。
「少し待っていろ」
「?」
私が顔を上げると、金色の髪の彼は私の返事も待たずにカンカンと階段を上がって行ってしまう。
取り残された。
彼は自分の部屋に入っていったようだ。待っていろ、との言葉を信じてその場に突っ立っていたら、2分程で再び彼が階段を降りてくる。
「こんなところでフラフラしてるってことは、暇なんだろう? なら、見せてやる」
「な、何を!?」
「来れば分かるさ」
ぶっきらぼうに答えて、彼が歩きだした。ついてこい、とでも言いたげな背中。
正直この時代のことなんて分からないからありがたい。私は素直に彼の後ろについていくことにした。
「名前は」
「なまえ、です」
いちいち覇気の籠もった声で聞くから、なんとはなしに敬語になってしまう。
「……」
「……」
その長身に比例するかのように彼の足は長かったが、私もついていけるような速度に落としてくれているのは気のせいなのだろうか。
しかし彼の隣に並ぶ勇気などなく、その顔色を伺うことは出来なかった。
名前を聞こうと何度か口をぱくぱくさせたが、結局切り出せずにいる。
……よし、今度こそ。
「あの、あなたの名ま」
「着いたぞ」
「ふえっ!」
俯いていた顔をあげたら、前を歩いていた彼に激突した。突然立ち止まらないで欲しいと抗議したかったが、今のは私の前方不注意でもある。
仕方ないのでそのまま彼が身体を向けた方向に倣った。
「わっ、わあああっ!!」
私たちが立っていたのは小高い丘、というか土手。
「たかが土手でそんなに驚かれるとはな」
「すごい! タンポポたくさん咲いてる!!」
空の青さと水の青さと芝の緑、そしてタンポポの黄色が私の目に飛び込んでくる。私は目を輝かせて坂へ走り出した。彼の真似をしてあちこちを写真に収めた。
「ありがとう、連れてきてくれて!」
合間に振り返って叫んだら、彼は小さく笑う。
「ああ」
私も満足して笑い返す。それから慌ただしくシャッターを切った。
彼も坂を下がってきているのが草の踏み締める音で分かった。
「なまえは、まだしばらくここにいるのか」
「分からない。今日かもしれないし、明日かも。多分今日中だとは思うけどね」
「…………何だそれは」
呆れたような声が返ってきたが、それ以外答えようがないのだ。私は笑って曖昧に誤魔化した。
「なら、今日どこか遠いところに帰るかもしれないなまえに、いいものをやる」
「えっ何なに!」
「家に友達が置いていったアイスが余ってるんだ。取ってくるから此処で待ってろ」
うん! と元気よく返事をしたら、彼はまた土手を上がっていった。
一通り写真を撮り終えた私は一人土手に座り込む。
まさかあんなに優しい人に会えるとは思っていなかった。私の手が耳元についた通信機の発信ボタンを押す。
「ねえレム」
『……っ、何かあったの!?』
「ううん、違うの」
『え?』
「この時代、思ってたよりずっとずっと、素敵だな……って」
『……そっか。でも、あんまりその時代に干渉したら、』
「うん。分かってる、けど」
『なまえ、ダメだよ、その時代の人のことを知りたいなんて思っちゃ』
私は思わず息を止めた。レムには私の心が読めるのだろうか。
しかし私は動揺を気付かれないように、なんでもないかのように笑って「分かってる」を繰り返した。それから一方的に通信を切った。我ながら酷いことをした。帰ったら謝ろう。
「……はあ」
私は膝を抱き抱えた。
まだ彼は帰ってこない。どうしてレムに忠告されて私は動揺などしたのだろう。
「干渉しちゃいけないとは言っても、名前を聞くくらいなら、いいよね」
自分に言い聞かせる。彼が帰ってきたらすぐに聞くんだ。
「アイスありがとう。ところで、」。
早く、帰ってきてよ。
今タイムアウトになってしまったらどうするの。
来たときには『帰りたい』とまで思っていた私なのに、せめて彼にまた会うまで、名前を聞くまで、彼と仲良くなれるまでは帰りたくない、と思い始めているのは、どうして?
彼と私