「本当にいいのかなまえ、今からでも遅くないんだぞ、私が代わりに、」
「いいのよ、セブン姉さん。セブン姉さんがいなくなっちゃったら、いよいよ私たちの村も終わりだもの」

冗談めかして私はそう言った。
本当は今日でお別れだと思うと悲しくて泣いてしまいたかったけれど、そんなことをしたら大好きなセブン姉さんが困ってしまうのを分かっていたから、泣かずにひたすら草を掻き分けながら歩く。

「……すまない、なまえ」
「どうしてセブン姉さんが謝るのよ。こうなったのも当然の判断だわ」

私の生れ故郷は山奥の小さな小さな村。
周りは深い森に囲まれていて、たまに旅の人が迷い込んでくる以外には立ち寄る人もいない。しかも今二人で歩く森には獰猛な獣がいるから決して1人で行ってはいけない、という村の教えがあるためか、余計に孤立してしまっている。

そんな辺鄙な村に、昔からの言い伝え、というか、掟があった。

「でもまだお前は16なのに、生け贄なんて酷すぎる」
「姉さんだってまだ17じゃない」

この深い森をずっと行ったところに、吸血鬼が住む館があるらしい。なんでもその吸血鬼サマは昔村を襲う怪物から救った代わりに、それ以降10年に一度若い娘を1人生け贄に捧げよとおっしゃってとかなんとか。今年が丁度その当たり年なのだ。
基本的に現実主義な私としては、吸血鬼なんてほんとはいないんじゃないかというのが実の心境だった。生け贄になった娘は誰一人として帰ってこないのは、多分迷って森の獣に襲われたから。

「……っ、痛いっ」
「大丈夫か!」
「う、うん……ちょっと捻っちゃったみたい。こんなドレスで森の中なんて歩かせるからよね」
「おぶって行こうか?」
「ううん、歩けるわ。それにきっともうすぐ……あ、あそこ!」

木々の合間に見えたのは、大きな洋館。多分、いや間違いなくあそこがそうだ。本当にあるとは。
セブン姉さんが、私の手を引いてくれる。馬鹿みたいに大きな門まできて、姉さんは足を止めた。

「私が行けるのはここまでだな。館に入るのは1人と決められているから」
「セブン姉さん、送ってくれてありがとう」

努めて明るく、いつもみたいにお礼を言った。姉さんは少しだけ苦しそうに、でも笑って私にハグをくれる。私も姉さんの背中を強く抱き締め返した。吸血鬼はいないと信じているけど、セブン姉さんのように強くはない私は多分、村に帰れない。

「じゃあ、行って来るね」
「ああ、気をつけてな」

重たい門に手を掛けたら、案外あっけなく開いた。
セブン姉さんに背を向けて、館に足を踏み入れる。かつん、と石畳を叩く靴の音が響いた。

「あの、誰かいないの?」

生け贄がのこのこやって来たというのに、出迎えもなしか。ばたん! とかいうオチは嫌だったので、自ら音を立てないように扉は閉めておいた。そこら辺は周到なのだ。

「昼でよかった……」

わざわざ吸血鬼が一番活動する夜に出向くことはない、と姉さんが提案したため、今はまさに昼。……のはずなのに、中は埃っぽいし薄暗い。ステンドグラスから差し込む抑えられた光が唯一の便りだった。
まだ痛む右足を庇うように赤いドレスの裾を掴んだ。生け贄に選ばれた娘はとびきり豪華なドレスを着て捧げられる習慣がある。綺麗な姿でいれば、もしかすれば吸血鬼に気に入られて命は助かるかもしれない、そんな期待からなのだろう。
しかしまあ要らぬ配慮だと思う。どうせそんなものはまやかしだ。神に縋って祈りを捧げるのと何が違うのか。違うのはただ捧げるものが信仰心ではなくうら若き娘だということくらい。それなのに、なんでわざわざこんな自ら動きを制限するものを身に付けて森の中を半日近くも歩かなければいけないのだ。

……と、脳内では黙々と可愛くないことを考えていたのだが、ホールらしき広間から伸びた大きな階段を登ろうとしたとき、奥から何か大きな物音がして私はぎくりとした。

「だ、誰かいるの!?」
「〜〜! 〜〜〜!」

何と言っているのかは聞き取れないが、遠くから声が響いてきている。その声は低く、どうやら私の声がこだました、というわけでもなさそうだ。
私は階段の踊り場まで登った足を止めて、手摺りにしっかり捕まった。

「生け贄が来ましたよ?」

大きめな声でそんなことを言ってみたが、痛む足がさらに重くなるような感覚がした。こんな寂れた洋館に、一体どんな人がいるというのだ。
しかし、今度はちゃんと言葉としてとれた謎の声は、ひたすら明るい声色だった。

「えぇっもう着いたの〜!? 生け贄といえば夕方とか夜に来るものだと思ってたよぉ!」

とにかくひたすらに明るいトーン。私は反対に身を固めた。
階段の一番上に姿を現したのは、背の高い金髪の男だった。

「ごめんごめん、ドアをばたん! とか分かりやすい音がしなかったから気付かなかった!」

生け贄ってどうしてそんなベタなイメージなんだろう。
心の隅でそう思いながらも、口には出せない。足は固まったまま動けないようなので、せめて視線だけで思い切り彼を訝しんだ。

「そんな目で見ないでよ〜。あ、服おかしかった?」
「そう、じゃない……ですけど」

白いシャツに黒いマント。お伽噺の吸血鬼のイメージそのままだ。
階段を降り始める彼を視線で射ながら、私は脳をフル回転させた。もしかしたらこれはポーズなのかもしれない。明るく振る舞って油断させて殺そうとしてはいまいか。鈍器ならいくらでもあるし。
だから、彼を刺激しないように敬語をとったのだ。
私は自己防衛の策として、踊り場の壁際にあった花瓶を確保しようと移動したとき。

「っ、」

右足がずきりと痛んで、更に長いドレスの裾につまずいて、花瓶に頭から倒れこみそうになった。

「危なっ」

しかし、私の身体は斜めのまま停止する。いつの間にか彼が私を支えてくれていたのだ。

「あ、ありがとうございます」
「うんうん、ドレスは歩きにくいだろうけど気を付けてね〜。……っていうかキミその花瓶で僕の頭叩き割ろうとか考えてたでしょ。可愛い顔してえげつないこと考えるなぁ」
「え、っと……それは」

私の手の内はバレていたらしい。肩を支えていた腕が離れて「あはは、図星〜?」と顔を覗き込まれた。サファイアみたいな瞳と視線がかち合ったが、慌てて目を逸らす。

「あ、でも僕を殺すのって相当難しいよ〜? ほら僕、吸血鬼だし。半不死身だし」
「は」
「は……って」

思わず心の声が漏れてしまった。そんな反応をされて心外だとでも言いたげな顔で返される。

「えっと、まさか本当に自分が吸血鬼だなんて信じて……?」
「しっつれいだな〜! 僕これでもれっきとした吸血鬼だよ? なんならキミの血、今ここで吸ってあげようか」

彼の目が、一瞬だけ冷たく光る。私は後退りした。

「え、遠慮するわ! 死にたくない!」

いやいやなまえ。生け贄が何を言ってるんだ。どうせ殺されるなら今も後も同じで……

「あはは〜、素が出たって感じだねぇ。いいよ、殺さない。その代わりさ、いつもの感じでリラックスしてよぉ。僕まで緊張しちゃう」
「なっ、何を言って」

しかしすぐに出会ったときの笑顔に戻った彼に少し恐怖して、更に後退ろうと試みたが、右足の痛みに顔をしかめてしまう。

「っつう……」
「ありゃ、ケガしてるの? そりゃそうだよね〜。よくあの森の中こんなドレスで来るな〜」

しゃがみ込んで痛みに耐えていたら、自称吸血鬼の彼の声が近付いてきた。肩甲骨の辺りまでバックが開いたドレスを着ていたからか、その背中に触れた感触に思わず「ひっ」と淑女らしからぬ声を上げてしまう。何があった。自分の状況を理解したのは、自分の身体が地面から浮いて……いるわけではなく、彼に抱き抱えられてからだった。

「何するのっ、やめて!」
「お客様をご案内〜」
「聞きなさいよ!」

ぺちぺちと相手の肩口を叩くが、抵抗虚しく彼は明るく笑って易々と階段を昇り始める。私は半ば諦めたような口調で、ぼそりと呟いた。

「あなたみたいな吸血鬼らしくない吸血鬼に殺されるなんて……。セブン姉さん、私帰りたいわ」
「吸血鬼らしいって何さ〜。それに僕、キミのこと殺さないって約束したじゃん」
「吸血鬼さんほど吸血鬼らしくない吸血鬼いますか!」
「…………え〜っと。あれ、ちょっと待って、僕が吸血鬼ででも僕は吸血鬼らしくなくてでもやっぱ僕は……あり?」
「……」
ダメだ。この人はあれだ、あっち側の人だ。

「うん、面倒だしさ、僕のことはジャックって呼んでよ」
「ジャック?」
「そ。で、キミの名前は?」
「なまえよ」
「そっかぁ。なまえ、ね! っとぉ、到着〜」

彼が足を止めたのは、長い廊下に立ち並ぶ一室。彼は肩でドアを押し開けた。ひどく豪華な部屋だった。天蓋付きのベッドに座る形で降ろされて、足首の様子を見られる。

「う〜ん、ちょっと腫れてるなあ」
「大丈夫、放っておけば治るわ。それより……こんな女の子らしい部屋があったの、驚いたわ」

痛みを紛らわせようと話題を変えたのだが、彼は「痛かったら言ってね」とだけ言って、部屋をぐるりと見回した。どうやら私の意図は汲み取ってくれるらしい。あっち側じゃない。あなたは一体どっちなんだ。

「一応そろそろ来るだろうなとは思ってたから、掃除してたんだ〜。で、なまえが来たのに気付かなかったんだよね。どう? 気に入りそう?」

なんだか楽しげに言うのだが、私には理解出来ないことがいくつかあった。

「私の前の生け贄も、ここに?」

確かに部屋は赤を基調とした、豪華ながらも気品漂う雰囲気のする素晴らしい出来だ。しかしまあ10年前にここで前任の生け贄が殺されていたのだとしたら。幽霊などいないと信じたいが、吸血鬼(多分)が存在するのだ。いておかしくはない。

「ううん、キミが初めてのお客様だよ」
「……え?」
「もうかれこれ100年くらい前から待ってるんだけどねぇ、やっぱり場所が場所だからか、迷子になっちゃうみたい」

その先を彼は語らなかったが、つまりそういうことなのだろう。私の予想は半分当たっていたのだ。セブン姉さんの身が心配になったが、彼女は男を差し置いて村で一番の鞭使いだ。その強さは私も知っている。きっと大丈夫。
というか100年って。やはりジャックは本当に吸血鬼らしい。私はふと1つ心に疑問を抱いた。

「ということは、ジャックは100年もここで1人だったの?」
「うん、そういうことだねぇ」

まるで何でもない世間話をしてるみたいな明るさで、彼は言う。私はなんだか彼を見て空虚な気持ちになった。

「……私を殺さないでいてくれるのよね」
「約束したでしょ?」
「なら私もお礼をするわ、殺さないでいてくれる限り、私、ジャックの友達になる」
「……ありがとう」

ふにゃりと眉を下げて笑う彼の顔は、今まで浮かべていた底抜けに明るい笑顔と違うものだった。
胸がきゅうと締まったような感覚。あれ? と内心首を傾げたが、多分今のは気のせいだ、と思う。

こうして、私とジャックの、生け贄と捕食者で友達という奇妙な関係が始まったのだ。

ジャックと私