「あ、」
窓の外に見える姿を確認した瞬間、わたしの口からなんともいえない、声のような息のようなものが出た。エイト先輩が見えた反射だ。
この、3階の窓際の席がすき。
だってグラウンドを駆けるエイト先輩が見えるから。
今日のエイト先輩も素敵だ。夕日に照らされて風を切る先輩は、まるで絵のようにも見える。
アルバム委員なんて引き受けて、最初はセンスもないのに放課後長い間残らなくちゃいけないことに愚痴ばっかり言っていたものだが、最近は文句も言わず黙々と、むしろ積極的に顔を出していた。
この教室からはエイト先輩が見えるからなのだが、おかげでエイト先輩と同じクラスのケイト先輩と仲良くなれた。
クラスでも委員長決めでもじゃんけんに負けてしまったケイト先輩は毎日強制参加を義務付けられているらしく、自主的にくるのはわたしくらい。
つまり大抵は二人。
こうしてケイト先輩のクラスにお邪魔して作業を続ければ、仲良くなるのも当然かもしれなかった。
「んー? 誰のこと見てるの?」
「え、あー、えっと」
どの写真を使うか選んでいた最中にわたしが手を止めてしまったから、机をくっつけて前に座って同じ作業をしていたケイト先輩が、私と同じほうを見て詮索しだした。
「ちょっ、ちょっとケイト先輩! ほら、手を動かしましょう、手を!」
「えーっなまえだって手、止めてたでしょー!」
「ごめんなさいごめんなさい今動かします!」
「……うーん、さっきなまえはあっち見てたからー」
「ケイトせんぱああい!」
いいじゃないいいじゃない、とか笑いながら、ケイト先輩は興味津々な様子だ。お願い気付かないでバレたらわたし恥ずかしくて爆発してしまう!!
「あ、分かった! エイトでしょ!」
「あああああっ」
あっけなく爆発した。
勢いよく机に突っ伏す。
ケイト先輩はつんつんとわたしの頭をつっついてるようだった。どうして今日に限ってエイト先輩と同じクラスのケイト先輩と二人っきりになっちゃうかなぁ。顔が熱くてあげられない。
「ふうん、好きなんだ? エイトのこと」
「そ、そうです! ごめんなさい!」
「いやぁ別に謝ることじゃないけどさ、……ふぅん、なまえがエイトをねえ」
「……つりあわないのは分かってます」
「いやいや逆だよ、逆」
かさかさと音がする。またケイト先輩は作業を始めたようだ。
ケイト先輩が何気なく発した言葉に顔を上げると、ケイト先輩はこちらを見ずに続けた。
「まあ、その内分かるって」
「へ?」
「あっ、ねえねえこれ! 体育祭のやつ! アタシらのクラスとなまえのクラス、チームだったんだよね」
「あ、そうでしたね。確かケイト先輩は短距離で……」
はぐらかされた感じがあるが、これ以上突っ込んだことを言われて困るのはわたしなので、大人しくケイト先輩の話に乗った。
ケイト先輩が広げたのは秋に行われた体育祭の写真だった。
わたしは女子にしてはそれなりに足が速い方だったので、リレーの選抜選手だったのを思い出す。
そのときは、エイト先輩も選抜選手だったのだ。憧れのエイト先輩が走る姿をあんなに間近で見られたのは、本当に幸せだった。
「……って、やっば! 忘れてた! 今日の5時までに課題を先生に直接出しに行かなくちゃだった! ごめんなまえ! しばらく留守にする!」
「は、はい! 頑張ってください!」
唐突に立ち上がってはもの凄い勢いでカバンを手にとって走りだす先輩。じゃ! と一瞬振り返っては、あっという間に教室から飛び出してしまった。
あの焦り様は多分、あの先生なんだろうなぁ。彼に無言で睨み降ろされたときの恐怖といったらない。蛇に睨まれた蛙の気持ちがひしひしと理解できるくらいだ。
「……一人になってしまった」
仕方ない、写真の選別を続けてよう。
再び体育祭の写真を手に取ったら、廊下からこちらに近付く足音が聞こえた。
もしかしてケイト先輩が何か忘れ物でもしたかな。それにしては歩調がゆっくりだ。
「……ん? 誰かいたのか」
「っ、エイト先輩!?」
教室の入り口に背を向ける格好で座っていた私は、その声にびくりと肩を震わせた。
椅子の背に手をついて振り返ると、それはやはり間違いなくエイト先輩だったのだ。
「え、あの、どうして」
「部活も終わったから、忘れ物を取りに来た」
「なっなるほど」
声が上ずる。こんなじゃ緊張してるのがバレバレだ。
そんなわたしの内心の焦りもエイト先輩は知る素振りもなく、窓際の席に近付いてきた。
「何してたんだ?」
「アルバムの準備を」
「ああ、なまえはケイトとアルバム委員だったか」
「そう、です」
机に広げられた写真をじぃと見つめるエイト先輩。わたしが見られているわけでもないのに、わたしは俯いた。
「……久しぶりだな」
「そっそうですね、体育祭ぶりでしょうか」
「いや、あの後一回購買で会った」
「……あ、その説はありがとうございました」
1ヶ月くらい前に、購買のパン争奪戦でもみくちゃにされていたときに、エイト先輩はわたしが欲しかったあんぱんを抱えてきてくれたのだ。
なまえにやる、なんて渡されたそれは、今までで一番美味しかった。
だって、体育祭で同じチームだったというだけなのに、学年も違うしすれ違うことも滅多にないのに、名前を覚えててくれたから。
「……っ、あの、ケイト先輩とすれ違いませんでしたか?」
しげしげと写真を眺めている先輩との予想以上に近い距離と、わたしと先輩の間に降りた沈黙とに耐え切れず、わたしは切り出した。
「ああ、すれ違ったな。急いでたみたいだが、オレに『チャンスじゃん』とか言ってき……、……っ、アイツ、どうしてあんな焦ってたんだ?」
「? ……5時までの課題が間に合わないって言ってました、けど」
不自然に途切れた言葉を不思議に思いつつ、質問に応える。
また沈黙。ぼそりとエイト先輩が「このことだったのか」と呟いたようだが、何か思い出の写真でも見つけたのだろうか。
しばらくの無言の間。夕日はもう大分傾き、これから帰り支度をしても帰り道につく頃にはもう暗いんだろうな、なんて思い始めたときだった。
「…………なまえ」
「はい?」
「もう暗くなる。帰り、オレが送ってく」
「えっ、でもエイト先輩の住んでるとこ、わたしの家から遠いって、」
「いい。年上として当然のことだ」
「で、でも」
「先輩面、させてくれ」
な? なんて言われちゃわたしの心臓がもたない。
わたしは赤い頬を夕日のせいということにして、俯くのと頷くのをいっしょくたにした。
エイト先輩とわたし
「失礼しましたー」
げんなりとした様子で職員室から出たケイトのバッグから、一枚の写真が落ちた。
「あれ、さっきのアルバムのやつ挟まってたかな」
拾い上げて見てみれば、リレー選手の集合写真。
「……あはは、やっぱあの二人お似合いだわ」
カメラ目線で笑うなまえから何人か挟んで、エイトがちらりとなまえの方を見ている、そんな写真だった。