「今度の週末は暇か?」

二人で人気もなくなった廊下を歩いていたとき、ふと足を止めてエースが言った言葉に、私は耳を疑った。

「え、今なんて」
「明後日、二人で出掛けないか」

すごく……すごく、カップルっぽいこと言われたようです。



06.嘘に酔う



「……ふ、ふふふ」
「おーいイリア? どうしたの大分気味悪い感じだよ?」

リフレで昨日のやりとりを思い出しては、頬の緩みを抑えられずにいた。友人がひらひらと手を振るのを見てようやっと焦点を合わせるが、友人の目は私をおかしなものを見るそれだ。
私はなんとか弁明しようと口を開いた。しかし。

「いや、聞かない。聞かないよどうせ惚気話だろうからね! 恋は人をおかしくするとかなんとか言うけど、イリアも大分アテられちゃってるわ」
「そうかなあ」

恋におかしくなってしまっているのは、もう随分前からだ。それが拗れて引き戻せないところまで来てしまったけれど。
……随分前、か。
私はエースの名前も知らず、ただただその背を追い掛けては眺めていた頃のことがぼんやり脳裏に蘇る。
それが今や、まるで恋人みたいにデートに誘われる仲。一応、恋人って設定なのだけれど。

「久しぶりに、マクタイに行こう」。エースの言葉が反復された。久しぶりも何も、あれは私の口から出任せだったのに、約束、ちゃんと覚えててくれたんだ。つまり。うふふ。昼間にエースとデート、かあ。

「ナギー! いいところに! イリアをどうにかしてよ! 見てイリアのスプーン! すくったスープまんま器に戻ってる!」
「おー」

滅多に着ない私服でも着ちゃおうかな。お洒落しちゃおうかな。エースはどんな格好が好きなのかな、……
と、脳内お花畑状態の私はまさかナギという刺客がたまたま昼ごはんのトレーを片手に通りかかったなんて知らなかった。
そのトレーには私の天敵が乗っていたことも。

「イリアー」
「ふふ、……ふふふふ」
「唐揚げ食わすぞ」
「う、わっ!」

ずい。
焦点を合わせずしていた視界に突然何かが勢いよく入ってきて、私は身を引いた。そ、それはもしや、いや確実に。

「鳥ィィイイ!!!」

椅子からひっくり返るレベルで引いた。周りの人の視線が集まる。しかし次の瞬間には、「ああまた9組がばかやってるよ」とその注目も方々に散った。こういうとこ、茶色のマントという看板は便利だ。それはいいとして。危うく倒れかけた体勢を戻して私はナギを睨んでやった。

「なっ何するの! 私が鳥嫌いなの知ってるでしょ、アレルギーなの!」
「調理済みのものでも見ただけで発狂するケースは少ないんじゃないかな」
「黙って首謀者!」

ナギをそそのかしたのは友人だろう、と、ぎろっと睨んだら、彼女は視線を逸らして口笛の真似をした。空気が虚しく吐き出る音しか聞こえなかったが。……吹けないのか。





「疲れた」

意図せず私の口から言葉が漏れた。たとえばこれはそう、溜め息みたいなものかもしれない。
あれから私は延々と二人に文句を食らわしていた。人の苦手なものを突き付けるな、人の思考トリップくらい許して欲しい、私がのろけてたことは人には言うな。いや言わないで。キャラじゃないのは分かってるからほんとお願い内緒にしてください今度何か奢るから。
……大半、自分のための話になってしまった気がするが、二人ともどこ吹く風で聞き流しながらチキンソテーと唐揚げを頬張っていたのだった。嫌がらせか。しかしちゃっかり奢り云々のところは聞いていたらしく、「じゃあ私クレープね」とか言う辺り、友人は強かというか。
……ナギはあのとき何やら考え込んだ後、「……じゃあ、」とまで言って、それからを続けなかった。さらりと他の話題へ移していたが、あれはなんだったのだろう。

「……と、とにかく! 明日が本番なんだから」

私は首を縦を振って些細な思い出を忘れるように自分を諫めた。いそいそと明日の用意をすると、気分も弾む。
明日はエースとデートだ。





待ち合わせ場所は魔導院ゲートを越した場所。休みとあってか、何人かの候補生も、同じく誰かと待ち合わせをしているようだった。着る機会なんてほとんどないのに皆おめかしなんてして。もちろん私も例外ではないけれど。
それにしても、エースと、あの0組と二人きりでデートなんて。心が弾んだ。心が踊った。
きっとエースも私服で来るだろうし、あの赤いマントを纏っていなければ、少しくらいはばれずにやり過ごせるだろう。

「イリア、待たせたか」
「あ、エース、おはよう。大丈夫だよ、私も今来たところで……」

白いワンピースを揺らして約束の半刻前から待っていたのは、ただただその一言が言いたかったからである。
伏せていた瞳をゆっくり上げ、満面の笑みを見せようとしたのだけれど、エースの姿を見た刹那、私は弧を描かせようとした口を半開きにしてしまった。

「え、エース……えっと、それは」
「何かおかしいか?」

エースは自らの格好を一通り見回して、しらっと言い返す。

「い、いや……」

いいか悪いかと聞かれれば大変良い。むしろ模範的だ。バックルはきちんと締め、ズボンをきちっと履き、赤いマントを……ちゃんと纏って……。
そう、エースは制服姿だった。

「……?」

そんな猫みたいに首を傾げられても。私が間違ってたのかと疑いそうになる。え、あれ、制服デートだっけ?
いやいや、そのはずはない。だって常日頃から私たちの関係は秘密ってアピールしてるし、そういうことは考慮してくれるはずで。
……いやいやいや、今はとにかく集まり始めた視線から逃げるのが先決だ。
私は訳の分かっていないらしいエースの袖を引っ張って死角に身を屈めさせた。

「エース……あの、洋服、は」
「これ以外を持っていない」
「持ってない……?! って違う違う、そ、そうだったよね、エースは私服とかあんまりないんだったよね。ご、ごめん、久しぶりすぎて忘れてた」
「あんまり、というか完全に一着もないけどな。制服が何枚かあればそれで充分だろう?」

確かにそうだけれども……。
まさかプライベートの時間とか、そういうのを持っていないのだろうか。ずっと定められた服装を守って朱雀を守ることばかり考えているのだろうか。

「……とにかく、私服の私と制服のエースじゃ目立っちゃうから、どこか町で買い物でもしよう」
「兄妹のふりをすればいいんじゃないか?」
「…………エースおにいちゃーん、イリア、遊びに来たよー!」

制服同士ならこれから任務に行くんですとかなんとか苦しくとも言い訳できるが、この組み合わせは明らかに目立つ。仕方なくエースの作戦に乗ってみようと満面の笑みを作って見上げたら。

「……くっ」
「ひどい!」

言い出したのはエースなのに!
あほらしくなって私は走りだした。後ろのエースは何かを言ったようだが、私はそれすら振り切って走り続けた。
しばらくすると、後ろから足音が追い掛けてきているのが耳に届く。「イリア!」。声も続いたが、私は振り返らなかった。どうせ追い付かれるのは分かっているけど。
彼が私の名を呼んで、私の背を追っている。
走る足取りが軽い。私は、ひどく興奮しているらしかった。

「はあ、は、つ……、ついた……」

やっと足を止めたのは、マクタイの町の入り口までやって来てから。止めた途端にぶわりと汗が吹き出して、前髪が額にはりついた。ずっと全速力だったからまともに立ってもいられず、膝に両手をついて肩で息をする。
私に影が落ちたのは、隣にエースが立ち止まったから。顔だけ上げれば、涼しい顔で私を勝ち誇ったように見下ろしている。表情に乏しい……、まるで彫刻みたいな人だと思っていただけに、そうやって様々な顔をされる度、またひとつ近付けたようで嬉しくなった。

「……で、これのどこがデートなんだ」
「これからこれから。それよりどこか適当なところでエースの服買わないと……」
「っ、勝手に行こうとするな」

多少息も落ち着いた私が再び歩きだそうとしたら、エースに腕を捕まれる。
何事、と振り返ったら険しい顔のエース。どうやらさっきのことでご立腹らしい。私は眉を下げた。ごめんって。視線で告げたら、エースはそれを分かったのか私の腕をひいたままつかつかと進みだした。でも、ああ、楽しいな。もつれかけた足を少し早めて、洋服店に向かう。
緩む頬を抑えられない。二人で初めて陽光の下を歩いた、午前11時のことだった。
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