私が彼を初めて見たのはいつだったのか、鮮明に覚えている。
私は魔導院解放作戦のとき、噂の0組の伝説的登場のシーンに立ち会えたのだ。


「我ら、来たれり」


その声に背筋が張って、その瞳に脳が揺さ振られて、その容姿に息が止まった。

恥ずかしながら、私はその0組の彼への一目惚れにより卒倒した。
何が救いだったかといえば、まあ不謹慎きわまりないが、周りには同じく倒れた人が多くいたこと。




01.嘘のはじまり




恋というのは人を盲目にさせるというのはよく言った話で、私はまさにその泥沼に足を突っ込んでいた。
今日は彼を見つけるのにほんの1時間で済んだ。ラッキーだ。

クリスタリウムで静かにページを捲るその手を、私は数メートル離れた席から見つめる。
建前上開いた本の内容は私の脳を上滑りしていった。
今日も彼は美しい。最初は格好いいなとか、イケメンだなあとか、そういう安直なものばかりな感想だったが、彼に当て嵌まるのは美しいの一言だと気付いてしまった。

どのくらいそうしていたのだろう。

白金の髪の彼がふとした表情で辺りを見回した。私は慌てて開いた本で顔を隠す。
がたん、と椅子を引く音がしたのでそおっと顔を本の端から覗かせると、もう彼は本棚の向こうに。

時計を見ると、もうとっくに夜だった。彼はここが閉じる時間と分かって出ていったようだ。

「おやすみなさい」

私は見えなくなった姿に呟いて、席を立ったのだった。







「ねえ、最近どうしたの?」
「ん? 何が?」
「付き合い悪いじゃない」
「そうかな」

今日も授業が終わってすぐに、彼を探しに行こうと席を立ったときだった。
クラスメイトの友達に腕を引かれて、私は物理的に引き止められる。
どうしたの? 恋したの。
そう応える他ないのだろうが、明らかに返答として不適切だろう。

そうして思案していたら、友人はしたり顔でこう言った。

「何、彼氏でも出来たの」
「かっ彼氏!?」

思わず私の声がひっくり返る。いつからそんな話に。

「あはは、その反応じゃまだかー。まあいいや、今度またリフレでも付き合ってよね」
「うん、それは勿論」

冗談だよ、とばかりに笑って私の腕を解放した彼女に笑顔を向けて、私は教室を後にした。


しかしだ。

「……」

いない。
彼がどこにも見当たらない。
いつもならかかっても3時間で見つかるのに。見つける前にもう夜になってしまった。
最後のつもりで訪れた噴水前では、何人かがもう暗いのに魔法か何かの打ち合いをして遊んでいた。
鬼ごっこか何かのつもりらしい。……先生にバレて捕まってしまえ。心の中で八つ当りに近い愚痴を吐き捨てて、私は噴水の縁に腰掛ける。

今日は史上最悪のアンラッキーデイということにして部屋に帰ろうか。
そう決意したとき。

「おい! 待てって!」
「当てられるもんなら当ててみろよ! つうかもう暗いしオレは帰るからな!」
「うわっ! っぶねぇ!」

エントランスへの扉へ駆け込む候補生。後を追うもう一人におまけのつもりかもう一発魔法を飛ばしたようだ。光が私の背後で閃いた。
しかし先程の男子候補生の悲鳴は聞こえない。上手く避けられたようだ。もしかして噴水に当たって噴水破損とかしてないかな。してたらチクってやろうかな。

とにかく八つ当りしたい気分だったのだ。

「……え」

しかし振り返ったときに見えたのは、丁度背中から水へ向かってバランスを崩す人影。水越しでよく見えない。
どうやら先程の魔法はその人に当たったらしい。

ばしゃん、と派手な音がした。

私は思わず駆け寄る。


「だ、大丈夫!?」
「……っ」


これは運命の悪戯か。

水の中に浮かぶ人影は、正しく捜し求めていた彼だったのだ。その姿すらも絵になっていたから、私は息を呑み込むのにすら失敗して、危うく窒息しそうになる。

彼は案外浅い噴水の底に頭を打ち付けたらしく辛そうに顔を顰めていた。

私は彼を引き摺り起こして、地面に横にさせた。
ゆっくり目を開く彼。意識が朦朧としているらしく、辺りをきょろきょろと見回してから、覗き込んでいた私と目が合った。

「……誰、……だ」

彼と目が合ったのはそのときが初めてだった。
私の頭に、電撃的にひとつの案が思い浮かぶ。


多分、悪魔が私に微笑んだんだと思う。
それか、これも運命の悪戯?
そうだとしたら、なんて滑稽な喜劇だろう。
そして私はその喜劇の、観客からも恨まれる主人公。


「…………私のこと、覚えてないの?」

「え?」


一度か細い声で言ったら、彼は目を丸くした。
上ずりそうだった声が、一度言ってしまえばすらすらと吐き出される。

「私のこと覚えてないなんて、それ、大変だよ。今のショックで記憶喪失になっちゃったんだ。ねえ、自分の名前分かる? どうしよう、記憶喪失だ。私のこと忘れちゃったのね。私生きてるのに、ひどい。頭痛むの? ねえ平気?」
「…………僕の名前は、」


ぺらぺらと動き続けた口がぴたととまる。

「エースだ。それは覚えてる。……でも、あんたは」


彼の名前を聞いたのも、それが初めてのことだった。
私は一瞬(数分か数時間にも思えた)黙ったが、今度はゆっくりと言葉……嘘を吐き出す。

もう、後戻りは出来ない。

「私は、イリア。あなたの恋人です」
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