私、マキナくんのことが好きです。
そう言って、ちゃんとフられてたらいっそよかったのに。ふとしたとき、同じ思考を未だに心の中で繰り返しているということは、私の中にはまだ未練とかいうドロドロしたものが渦巻いているらしい。
なんて浅ましい。吐き気がしそうだ。……とか思ってみてもやっぱりそれもこれも全部私を構成する要素な訳で。
「……あーあ」
今日も今日とてこんな私に呆れた。
庭に0組の皆と植えたチューリップが咲いた。季節は春である。
魔導院解放作戦で電撃的成功を収めた0組が有名になるのは当然のことで、あれから2ヶ月が経って、いくつかの作戦には0組が参加するようになった今でも、朱いマントやタイの候補生が通るとなれば自動的に道がさあっと開いてこそこそ話が蔓延する。
「……正直疲れる」
たまたま花の水やりに行ったときにベンチで座っていたエースさんがそう愚痴っていたのはまだ記憶に新しい。
私は「幸せな悩みじゃないですか」と笑ったが、エースさんは「笑い事じゃないぞ」と溜め息を吐き出して返した。
「私だってきっと0組が候補生として現れる前にエースさんとここで会ってなければ、同じでしたよ」
「そういうものか」
「そういうものです」
エースさんとの会話にもそこそこ慣れてきた。……気がする。
「だって会話に正解不正解があるだなんて分からないし……」
チューリップにしゃあしゃあと水を振りかけながら私は呟いた。
春の昼下がり。どうにも瞼が重くなる時間帯だ。
「あ、ハイネさん。今日もお花の水やりですか、ご苦労様です」
「デュースさん! こんにちは」
振り返ると、何やら重そうな本をいくつか抱えたデュースさんがそこにいた。
「きれいに咲きましたね、チューリップと……」
「それは、スズランとスミレっていうんです」
「そうでしたか! えっと、この本に載って……」
教えた名前を探そうと、デュースさんはおもむろに持っていた分厚い本を花壇の淵に積んで、ひとつずつ開きだした。
「この巻じゃなくて……こっちでもない、のかな……あれ」
「デュースさん、もしかしてそれ全部辞典じゃ」
「はい! ハイネさんは花に詳しいようなので、教えてもらおうと思って」
クリスタリウムで百科事典を何冊か借りてたんです、と朗らかに笑うデュースさん。私は、春の温かな風がぶわりと私たちの間を吹き抜けるまるまる数秒その笑顔を見つめてぽかんとしてしまったが、はっとして口を開く。
「えっと、花のことを知りたいなら植物図鑑を一冊借りる方が重さも内容もお得なんじゃないかなぁと」
「へっ、そうなんですか! これだけ量があればと思ったんですけど」
わたわたと慌てる様子をみせるデュースさんに思わずくすりと笑ったら、デュースさんは少し目を丸くして、それからまたいつもの穏やかな笑みを見せた。
「え、あ、ごめんなさい、デュースさんが可愛かったのでつい」
「……ハイネさんこそ、笑うとすごく可愛いというか綺麗というか……」
「お花みたいだよね〜ハイネっちは〜」
「シンクさん!」
ひょこりと扉から顔を覗かせたのは栗色の髪のシンクさん。と、その向こうに見える黒髪はクイーンさんだろうか。
「ハイネ、こんにちは」
「こんにちは、えっと……何の用で……」
「特に用はないけど〜、ハイネっちとお話したいなぁって思ってたらクイーンとばったり会ったんだ〜」
「わたし、今ハイネさんに花のことを聞こうと思ってたんです。でもこれより他の方がいいみたいで……」
「丁度いい機会です、わたくしも一緒に聞いていってもいいでしょうか」
「んじゃまあその前に〜デュースのこれ分担して返しに行っちゃおうよぉ」
「そうしましょうか。いいですかハイネ」
「へっ、あ、はい!」
置いてかれていた。
女の子のトーク力というのはすごい。一言一言いちいち考えてしまう私が口を挟む間もなく、さくさくと予定が決まったらしい。
特にこの後予定もない私が首を横に振る理由などなかった。
「私のお気に入りの図鑑があるんです!」
クリスタリウムで一番お気に入りの植物図鑑を借りに私たちは百科事典を一冊か二冊ずつ抱えて歩きだした。先程までデュースさんがこれ全部を一人で抱えていたのかと思うと、たった一冊で既に皆から数歩遅れて歩く私が不甲斐ない。
その間にもガールズトークは続く。
「ねーねー、聞いたぁ? 隊長って〜、候補生時代からやっぱりモテてたんだって〜」
「まあ、そうでしょうね。あの冷静沈着さに惚れる女性は多いかと」
「そういうクイーンさんはどうなんですか? わたし、クイーンさんのタイプとか知らないです」
「わたくし? ……今のところこれといった理想はありませんね」
「え〜、クイーンはやっぱりクールな人が似合うよぉ……あ、でも逆に正反対でもアリかなぁ」
「クール……0組でいえばキングさんでしょうか……あ、エイトさんも」
「クールだったら〜エースも入るんじゃないかなぁ?」
「エースといえば、ハイネとエースの関係をまだ聞いたことがありませんね」
「あっ聞きたいです!」
「うんうん! 前から気になってたんだよねぇ〜。ハイネっちとエースってぇ、どーいう仲なの?」
「……、私!?」
三人から一歩後ろをついて歩いていたが、不意に私の名前が出てくるわ、三人に興味津々といった眼差しを向けられるわで焦った。
エースさんとどういう仲かと聞かれても、話して聞かせるほどのものはないのだが。
「これといって特別なわけでは……」
「ええ、そうなんですか? 嘘はダメですよ?」
「うっ嘘も何も、エースさんは命の恩人っていうかなんていうか」
「そこからラヴーい関係になるって多いよねぇ〜?」
「はい、ありがちです」
「みみみ皆さん! クリスタリウムに突入します静かに!」
「ふふ、そういうハイネさんが一番声大きいですよ?」
丁度クリスタリウムについたのを口実に、私はその話題から逃げ仰せたのだった。
*
「で、植物も生きてますから、自己防衛のための策を身に付けている訳です」
「ほへぇ〜、たとえば?」
「そうですね……リフレの美味しいカレーに入ってるジャガイモ、あれって美味しいし栄養もあるけれど、そこから生えた芽には人が死ぬことすらある毒が入ってるんですよ」
「そうなんですか! 知らなかった……」
「わたくしたちは戦闘に関する授業ばかりですから、こういった知識を得るのは珍しいことですよね」
「いっつもこれがいいのになぁ〜。シンクちゃん、ハイネっちのお花の授業なら真面目に聞けそ〜」
0組教室の隅を借りて、植物図鑑を開きながら私の雑学披露の会となっていた。
「私のは趣味ですから」
「でも、いいですね。綺麗な花はどうして咲くのかとか、そういう、戦いじゃないこと、学びたいな」
「今はこの情勢ですから、叶わぬ願いかもしれませんが、わたくしもそう思います」
三人の笑顔に、私も笑う。
そこで、ポケットの中がやけに軽いことに気付いた。愛用の櫛がない。クリスタリウムかどこかで落としてしまったのだろうか。事情を話したら、三人も手伝ってくれると言ってくれたが、大した用でもないので、私はそれに首を振って歩きだした。
「……ふふ」
廊下に出て、後ろ手でドアを閉めたら、ふと笑いがこみあげた。
幸せ、だ。春の日差しを感じられるのも、こうして友達が増えたのも。
しかし、顔を上げてはっとする。誰かが私のことを見ていたからだ。その顔はどこかで見覚えがある。
「……ドクターアレシア」
「あなたね」
「……?」
「最近2組の候補生が私の子ども達と仲が良いって聞いたのよ」
魔導院内ならば言わずと知れたドクターアレシアが、煙管を片手に私を頭から爪先まで一瞥した。私は硬直したまま動けない。
そういえば聞いたことがある。マキナくんとレムちゃん以外0組の人たちは皆、ドクターアレシアの秘蔵っ子、だとか。
「こ、こんにちは……ハイネです」
「ハイネ…………ハイネ? …………ああ、あのハイネね」
「ドクターアレシア、私のこと知ってたんですか」
何度か私の名前を口にして記憶を辿っているようだったが、合点がいったとばかりに一人で納得されても、私はドクターアレシアとは初対面だ。
「あなたが生きていたなんて、何千回……いえ、何万回ぶりかしらね」
「生きていた、って?」
私の質問には何一つ応えるつもりはないらしい。宙を見つめたまま数秒沈黙を守っていたドクターアレシアだったが、ゆっくりと私の方に焦点を戻した。まるで、まだいたのとでも言いたげに。
心外だったが、それ以上に何故八席議会のメンバーともあろうドクターアレシアが私のことを知っているかの方が気になって仕方なかった。
「あの、どうしてあなたが私のこと知って」
「あなたには関係のないことだわ」
当の本人なんですが。
どうやら世界にはエースさん以上に会話が難しい人はごまんといるようだ。
「……でも、そうね。あなたは関係ないのよ」
視線を虚空に向け、なぜか二回繰り返された。
私はその先を待っている。ドクターアレシアのその先の言葉を、待たなくては、聞かなければいけない気がした。
「あなたは本来なら死んでいるはずの存在。それが、あの子たち……いえ、エースという運命の不確定要素が関わったことによってあなたの運命がねじ曲げられてしまった」
死んでいるはずの存在。
意味が飲み込めない。……違う。心当たりならあるが、信じられないだけだ。
あの魔導院解放作戦のとき。彼が助けてくれなかったなら。
「私の記憶の限りだと、あなたが生き残った回は毎回ロクなことが起きない。エースとあなたが出会う確率なんて1パーセントにも満たないというのに、エースはいつもあなたを助けて、しかもあの子はあなたに…………と、そんなことはいいわ」
ドクターアレシアは私を威圧感のある目で見る。私はただただ彼女を見つめている。
ドクターアレシアはひとつ息を吸う。そしてゆっくりと私に告げた。
「エースに、いいえ、あの子たちに近づかないで。あなたはただの"運良く死なずに済んだ役者"なのよ」
「どういう、意味ですか」
「まだ分からないの? あなたは0組に悪影響しか与えない、必要のない要素なの」
必要のない要素。
思い出した。0組の、朱のマントのみんなといるとき、自分だけは異色であることを。
――私だけが、地味で、浮いて。
「……っ」
私は逃げるように走り出した。
ばん、と扉を開いて前も見ずにただ前へと駆ける。
「っ、あぶな! オイ、平気か!?」
「ごめんなさい!」
エントランスに出たら誰かとぶつかってよろけたが、私は少し振り返っただけでまた走る。
「……あ、オマエ! ちょっと待てよ! この櫛さっきオマエが落としてったんじゃ」
後ろでまだ誰かが言っていたが、櫛なんてもうどうでもいい。
さてどこに逃げる。もうあの庭は私だけのものではない。部屋も駄目だ。相部屋のナデシコがいる。
私は駆けた。
私が生きていることが、0組に悪影響。
レムちゃんに、マキナくんに…………エースさんに。
私は走る。走って走って、魔方陣を使って、また走る。
逃げても逃げても、何からも逃げられないことは分かっていた。