いつから、どうして花が好きだったんだっけ。
小さい頃にお母さんに教わって?
いや、違う。教わったのはあっているが、根本はそこではない。
というか、私の花に対する認識は『好き』であることに間違いはないが、そのどこかに義務感やなんだか泣きたくなるくらいの切なさが存在する。
「ハイネは、いっつも植物図鑑読んでるんだな。花が好きなのか?」
「う、うん! でも、それ以外にもね、花を見てると泣きたくなるときがあるの」
「泣きたくなるような思い出があるのに進んで見るのか、変な奴」
「わっ笑わないでようマキナくん! 別に何か思い出があるわけじゃなくて、ええと、その」
あのときも、自分でもよく分からなかった。
花に囲まれると落ち着くし、そんな場所でうたた寝したときは決まって夢を――
「うっわー、ひっどいねこりゃ」
「!」
思考がトリップから引き戻された。しかしあまりの事態に脳は未だショートしかけている。
私の後ろ、扉から姿を現したのは赤い毛の女の子だった。
「アンタ、ここの花のお世話係かなんか? 災難だね」
「ええ、まあ」
「目が虚ろだ! 平気なの?」
「ええ、まあ」
「しかもそれ笑おうとしてる? 口角痙攣してるから!」
「ええ、まあ」
「ちょっ、トレイー! なんかこの子壊れちゃったみたいなんだけどー!」
笑おうとしても私の表情筋は言うことをきかなくて、なんだか引きつった笑みになる。脳なんかは使い物にならなかった。
ショックだけど、落ち込んでいる暇もなく女の子は話し掛けてくるし、挙句扉の向こうの誰かを呼んだようだ。ただでさえ人見知りなのだから勘弁して欲しいのに。
「どうしたのですケイト」
「なんかこの子さ、ショックすぎて立ち直れないみたい」
「この花壇のことでですか?」
「ええ、まあ」
「またそれ! ほんっと、平気なの!?」
「そうですか……。そもそもショックというのは急激な末梢血液循環の不全状態のことを指し、意識障害等を招く場合もあるため」
「ええ、まあ」
「だああっもう!」
「はは、ハイネ、またショートしてるのか」
「あ、マキナ! アンタ元2組ってことはこの子の知り合いでしょ? どうにかしてあげてよ」
「どうにかって言われてもなあ。ハイネは許容範囲外のショックを受けると、いつもしばらくはこうなんだ。硬直したまんま同じことしか言わない。大抵ふらりとどこかに行って帰ってきたら戻ってるけど」
そのどこか、心の拠り所がなくなったのだ。
……しかもこの状況。落ち着くに落ち着けない。
それどころか庭に集まる人数はどんどん増えている。
「ん〜? みんな揃ってぇ、どうしたのぉ?」
「さっきケイトが大声出してたが」
「……ひどいな」
知らない人ばかりだ。
あの日、あれでも私の中ではもの凄く知り合いが増えたつもりでいたのに。
私はついに何も言えず、周りの話し声の中一人取り残されていたら、最後に入ってきた人も、私と同じ状態になっていることに気付いた。
「………………」
「エースさん? エースさん? みなさん、エースさんがフリーズしてます!」
「はあ!? 二人目じゃん!」
「エース〜頬っぺたむにぃってしちゃうよお?」
「やめておけシンク、エースは繊細なんだ」
「オイエイト、テメェ人に洗剤ってーのはひでーぞコラァ」
「惜しいが、エイトは洗剤などと言っていない」
「……繊細すら聞き間違えるのか」
「ふ、ふふ」
「ハイネ?」
「……いえ、ただ皆、楽しそうだなって」
固まっていたはずの私の笑顔は、自然に砕けた。知らない人たちばかりだけれど、皆悪い人じゃないことはよく分かる。黒く煤けてしまったこの場所でも明るく出来るのだからきっとそう。
私一人では出来なかったことだ。きっとショックのまま立ち直れず、出来事を悲観し続けただろう。
「ありがとうございます、皆さん」
「私たちはハイネに礼を言われることなど何もしていないが」
「ここに来てくれて、です」
「よく分かんないけどー、ハイネちゃんがそう言うなら、どういたしまして〜」
「ねぇねぇ、ハイネっていうの? レムっちみたいにハイネっちって呼んでもいい〜?」
「はい、どうぞ」
固くなる必要なんかない。自然体でいいのだきっと。彼らなら、受け止めてくれるような気がした。
「それよりエースをどうにかしないと!」
「ったく、おい、エース」
「さ、サイスさん! 蹴るのは痛いんじゃないですか!?」
「エースのことは放っておいても平気だろ。それよりこの庭、どうするかだ」
「さらりとひどいこと言うねぇ」
「先ずはこの庭に新たに植える花をどこかで買って」
*
「エースさん、エースさーん」
「…………」
「だめか」
相変わらずエースさんは放心状態のままだ。何か深い考え事をしているように見えた。なんとか腕を引っ張ってベンチに座らせたのはいいが、なんだか私も疲れてしまった。少しだけ、と隣に座って、今に至る。
クイーンさん指揮のもと、私とエースさん以外は新しく植える花を買いに行ったりその他諸々。私はこの場所の整理を任されている。前からこの場所を知っているのは我を失っている人を除けば私だけだったからだ。
「ほんと、あっけないくらい何もなくなっちゃった」
辺りを一応見てみると、じょうろがベンチの下に転がっているのが見つかった。
身体を折り曲げ手を伸ばして、じょうろを広いあげると、その下に小さな雑草があった。
「シロツメクサだ」
小さなその雑草は、それでも強く根を張っていたようで、ちゃんと緑色の葉を広げている。頭を逆さにしたままそれを見つめていたら血が逆流してきた。
「く、くらくらする……」
勢いよく頭を上げたせいで余計に目眩がひどい。頭がふらふらして、エースさんの肩にこつりとぶつかってしまった。
「……駄目だ」
「ほぇ? あっ、ご、ごめんなさいっ! ちょっと目眩が、」
「思い出せない」
「……?」
「違う、これは記憶じゃないのか? なら、なんでこうなることがまるで初めてじゃないような、」
「あの、エースさん」
「…………っ」
いつの間にか目眩も治まった。それどころではないからだ。
何かを呟く彼の肩を軽く揺すると、揺れ動いていた彼の瞳がやっと焦点を合わせた。
「……ハイネ」
「はい、私です、ハイネです。……エースさん、大丈夫ですか?」
「ああ、うん、僕なら平気だ」
「本当に……?」
全然平気そうに見えない。顔は青ざめているし。
私は何か心配の言葉を口にしようとしたが、エースさんが遮るように口を開いた。
「それより皆は」
「ああ、新しく植えるお花を買ってきてくれるみたいです」
「そうか」
……会話が終わった。
さっきはあれだけ話に置いていかれていたのに、二人になった途端こうだ。口下手な私は次に何を言おうか迷いに迷って、こんなに待たせたらエースさんも退屈になってしまうのではと思いちらりと横を見たら、エースさんと丁度ばっちり目が合った。思わず逸らしてしまったが、何か理由でもあったのだろうか。
「ここ、私の秘密基地みたいなところだったんです」
苦し紛れに私が語りだしたのは、此処のことだった。
しかしエースさんは「うん、知ってた」などと言うから調子が狂う。
「自分でもあまり気付いてなかったけど、私はこの独り善がりな場所が大切で仕方なかったみたいです」
「そうか」
「私、悔しいです、此処を守れなくて。しかもエースさんに守られてなくちゃ今頃私も此処には戻れなかったし」
「でもこうして帰ってこられたんだから、いいんじゃないか?」
「…………そっか」
エースさんの言葉は、私の胸にすうと染み込んだ。そうだよ、此処がどうなったのか知れただけでも幸せなんだ。しかも、此処を元に戻そうとしてくれる人たちがいる。私は独りじゃなくなった。
じゃあ此処を、私だけの場所じゃなくて、皆が帰ってこられる場所にしよう。皆が持ってきてくれるだろう花をいつでも綺麗に咲かせて。
「私、皆さんと仲良くなりたいなって思います」
「ハイネなら出来るさ」
「エースさんたら、私のひねくれ具合を知らないくせに」
「分かるんだ、ハイネが0組の皆に囲まれて笑ってる姿が」
そうなのかな。そうなるといいな。
それから私は跳ねるように立ち上がった。言われたことやってない! 仲良くなる前に悪印象を与えてしまう!
そんなことを言ったら、エースさんも笑いながら立ち上がった。
荒れ果てたこの庭にも、陽は降り注ぐ。
当たり前のことが、あなたのお陰で輝いてみえるようになりました。
ねえ神様、私、こうしてこの場所にいられて、幸せです。