話し合いの結果、何かのプログラムをどうこうするより、原動力を破壊するほうが決定的だという意見で一致した。
動力室は最深部だったから少し時間はかかったものの、レムちゃんたちが大々的に戦闘を開始したらしく、警戒システムが多少手薄になっていたから、私たちは戦闘は回避しつつたどり着けたのは、やけに開けた場所。
「ここか」
「そうみたい……だ、けど」
「ひ、広い」。思わず心中の言葉が口をつく。部屋全体が淡く緑に光り、怪しげな雰囲気を放っている。ごうんごうんと機械の動く音が足の底から身体に響いた。
「どこかに出力システムがあるはずだ」
「あの、一番存在感があるやつじゃないかな」
「だろうと思った」
私が前方を指差してエースくんに目配せすると、彼は少しだけ口角をあげて頷く。そうとなれば早くシャットダウンさせてしまわなければ。レムちゃんたちが闘いやすいように。
誰もいないらしいこの部屋に、二人分の足音が重なって響く。もうすぐでエースくんの攻撃の射程距離内に入るようで、彼は走りながらにカードを宙に浮かばせた。
「よし、いける」
頼もしいその声に、私は足を止める。彼の言葉に偽りはないのだろうから。
放たれたカードは突き抜けるように真っ直ぐ動力をコントロールするコンピュータに向かい、
「っ!!」
撃ち抜く、はずだった。遮られたのだ。何かに。
白い光が私たちの目の前に降り立ったのを認識した瞬間、背筋に冷たい電流が走った。私は、この人を知っている。
「ニンブス……!」
一歩前に立つエースくんが呟いた。その顔は見えないが、声が少し震えている。ニンブス。白虎ルシのニンブス。私は、覚えている。
「どうしてここに……っ」
「……クリスタルに異変を感じる」
低い声が、私の戸惑う声に被った。膝ががくがくと笑いだす。やっと埋められたと思った恐怖が全部、戻ってくるみたいだった。一言で私を圧迫する威圧感。それに違わぬ力も私は知っている。それが引き起こした結果だって。
「ハイネ、下がってろ」
恐怖で目を見開いたまま動けない私の視界に、カードを手にした腕が伸びてきた。私ははっとして彼を見上げる。しかし彼の背中しか見えない。隙を見せまいとしているようだ。「下がってろ」。もう一度彼は言った。
「……で、でも」
エースくんは、優しい。
あのときだってそうだ。
……あのとき。いつのことだろう。たくさんありすぎて、一瞬じゃ全て思い出せない。
優しすぎるきみが、痛みを知らないきみが怖かったときもある。
でも、私はもう決めた。もう揺らがない。
私はもう、
「逃げない!」
自分に言い聞かせるみたいに、私は言った。
突然の大声に、ついにエースくんが振り向く。しかし私と目を合わせて、「そうか」と一言、再びニンブスと向き合った。空を仰ぐかのようだったニンブスが、こちらが臨戦態勢をとったのを察知したらしく、仮面の瞳を光らせる。
足の震えはいつの間にか治まっていた。エースくんのたったの一言、私を認めた応答だけで。
――私も、強くなれるみたい。
だって、同じ人間だもの。彼は少なくとも、今目の前に存在する絶対的な存在、ルシではない。人間だから、力を合わせられる。思いを繋げられる。
私たちは、今度こそ白のルシに向かって走りだした。
*
「……っ、は」
息が切れて、目の前が霞む。
いくら私たちの息が合っていようが、人ならざるクリスタルの使者の力には及ばないのか。
一瞬姿を見せたかと思えば次の瞬間には別の中空に浮かぶ相手に翻弄され、攻撃が当たらない。なのに、ルシの攻撃は私を的確に狙ってくる。どうしようもなく、彼は人間離れしていた。
姿の確認できない相手に、先程前へと走りだした足がふらついて後退すると、かつりと踵が踵にぶつかる。
周囲を警戒する私に、背中合わせになったエースくんがちらと視線をよこしては言った。
「魔力は」
「……まだ、少しだけ」
攻撃や治癒に使えても、片手で収まる数だろう。無駄にするわけにはいかない。私はエースくんに応えながらも、白い光が、次にどこから攻撃を仕掛けてくるのか、汗が滲むほど意識を集中させていた。
「いいか、聞くんだ」
エースくんの囁くような声に、集中させていた意識をほんの少し緩める。
「ルシはクリスタルの意志が最優先だ。ということは恐らく、あの動力を攻撃されたら真っ先に守る。だから、その間に」
続けられた言葉に、私は耳を疑った。そんな隙を与えるようなことをしたら、
「僕も手伝うから。信じてくれ」
背後にいた彼が、横に並ぶ。そんなことを言われて、信じられない訳がなかった。私は頷いて、目を閉じる。
カードが風を切る音、それから爆発音。それがいくつも続いた。カードが動力を破壊したのか、ルシがそれを遮ったのか。気になったが、今はそれどころではない。それでも瞼は開けず、むしろ強く閉じる。自分の力を最大限圧縮しなくちゃ。足りない魔力は、自分の命をかけてでも補わなくちゃ。
「……もう、少し……っ!」
「ハイネ」
そのとき、震える握りこぶしが、しっかりと包まれた。一人じゃ多大な時間がかかっても、二人なら。そういうことなの? エースくん。
ニンブスが、私たちがしようとしていることに気付いたらしい。空に大きな魔力を溜まりはじめているのを感じる。
しかし私はなんとか指を開き、彼の長い指に絡めて握りしめた。ルシと直接の力比べになるだろうその瞬間が怖いけど、それを紛らわせるように彼の手を必死に握ると、同じか、それ以上の力でぎゅうと握り返される。二人分の魔力が凝縮されていくようだった。ニンブスもまた、最大限まで魔力を込めているらしい。この一撃で全てを賭けなくては。
私は目を開いた。
宙に浮くニンブスを見定める。その頭上には幾重もの魔方陣。
「ハイネ、今だ!」
――朱雀!!!
瞬時、朱の炎が燃え上がり、不死の鳥が空を駆けた。同時に白い光が爆ぜ、私たちの視界が眩む。地を震わせるほどの爆発音に、私は数メートル吹き飛ばされた。固い床に身体が叩きつけられ、力が入らなくなっても、握った手は離されなかった。
硝煙に邪魔されていた視界がゆっくりと開ける。相討ちだったんだろうか。しかし、やっと見えた天井近くには、やはり、あの白いルシがいる。多少の傷は負っているようだが、私のように全ての力を出し切ったわけではないようだった。
その光の刃が振りかざされようと、動けない。逃げられない。でも、死にたくない。私は身体を横に倒し、極限まで縮こまった。すると、震える私の頭が抱き寄せられる。「え……す、く」、私の声はひどくしゃがれていて、とても聞き取れたものではない。しかし、彼もまた、途切れ途切れに言った。……言った、というより、それはまるで独り言。
「今度こそ……僕は、……君を、守るから……僕が、ハイネを、護る、から……」
また、私には分からないことだ。私は無造作に投げ出されていた片手を、握ったエースくんの手に重ねた。
ねえ、今はまだ、ひとりじゃないんだよ。
私、ここにいるんだよ。
言葉に出来ない思いは、伝わらないのだろうか。二人の意識が落ちていく。
寸前、ニンブスを遮るように通達が流れはじめるのも、それを耳にした彼が刃を収めてどこかに消え去るのも、どこか遠い世界で起こったことのように曖昧だった。
「戦時特例497発動、戦闘中の者は今すぐ攻撃をやめ――」
繋いだ手は、あたたかいのか、冷たいのか。
地面は固くて、空気は冷たい。いや、逆かもしれない。ここには何もない。
歯車が軋む音がする。暖かい光を感じる。懐かしいにおいがする。
ここは。
――貴方に、一度だけ奇跡をあげるわ。
神様、なんだろうか。それにしては、どこかで聞いたことのある声。前はそれに怯えたような気がするが、今度はそのときとは違う、優しい声色だった。
……一度だけの、奇跡。ということは私、死んだんだろうか。
――さあ。それは貴方次第ね。そこまで関与するつもりはないの。
神様なのに?
そう心の中で呟いたら、煙管から燻る煙がゆらりとまるで笑うように揺れた。
――貴方が選択することでしょう。すべてを知って、生きたければ生きればいい。逆も然り。……ただ、
風が吹き抜ける。何もかもがぐるぐる回り、時が遡っていく。その中でも、神様の声は私の頭の中に反響していた。
――もしも生きるのなら。魂を、運命を捻じ曲げてまで貴方を愛したあの子に、ちゃんと向き合ってあげて。
神様がふと見せた、子を思う母親のような暖かさ。あの子って、誰なんだろう。ぼんやりとする頭が私の心に問い掛けるが、私はもうその答えを知っている、気がする。神様に愛された、愛しくて、悲しいひと。
思い浮べた誰かが形をもつ前に、私はどこかへと続く暗闇に落ちていった。