それはまるで、初めてではないことのように思えた。
私が詠唱をする間、カードが目の前の敵を払う。彼がカードをチャージする瞬間、私の魔法が空をかける。
言葉はなくても、自然に呼吸が合うのだ。相手にどう合わせなくちゃ、とか、回復に気を遣わなくちゃ、とか。そういう気遣いが、必要なかった。
「な、なんだこいつ等は……!」
「朱の魔人といえど一人、それに片方はただの小娘だぞ! 怯むな!」
あれだけ数の差があったのに、いつの間にか、相手は片手で数えられるほど。
――勝てる!
そう私は確信する。エースくんが私のファイアを潜り抜けた兵にカードを突き刺し、私は振り返って少し身を屈め彼の背後を狙う敵を凍り付かせた。その相手が氷の割れる音と崩れ落ちて、一瞬の静寂。
「……負けねえ!」
最後に残った指揮隊長が、銃を構えて走ってくる。放たれる銃弾。しかし走る相手の標的は恐怖か焦燥か定まらず、私達の足下を撃つのみだ。
「行けるか」
「もちろん」
私は小さく頷いて、走りだす。接近戦は得意ではないけれど、自らに防御魔法をかけて。
指揮隊長はまさか彼と比べて明らかに非力な私の方が真っ向から向かってくるとは思わなかったのだろう。瞬時の戸惑いを見せる足取り。しかし互いに止まるはずもなく、私と皇国兵は激突をしようとしていた。
「覚悟しろ、朱雀の候補生共!!!」
「……残念でし……たッ!」
その瞬間、私は勢いよく地に滑り込む。相手の目には見えただろうか。私が敵の視界から消えた瞬間、背後のエースくんが小さく笑みを見せたこと。
「ショー・ダウン!!」
閃光が私の上を駆ける。
私はデコイだということに気付いた頃には、もう遅かったのだ。最後に私が通報ボタンにサンダーを落として、ついに研究室の敵全てを片付けた。
「……」
「……」
少し息をあげた二人の視線が絡んだ。何か言おうとして、表情を作ろうとして、でも出来ない。パニックだから固まっているわけでもないのに。
すると、電波妨害のためか一時的に繋がらなかったCOMMから、切羽詰まった声が聞こえてきた。コハルちゃんだ。
『ハイネ、ハイネ!? さっき部屋を出てすぐそっちの部屋から爆発音聞こえるし、白虎兵が大勢向かっていくし、通信に反応はないし、平気なのか!』
「コハルちゃん、心配かけてごめんね。私は、大丈夫だよ」
『……そうか、ならいいんだ』
『隣の部屋はやっぱりもう0組が制圧してたみたいだったし、白虎の数が半端じゃなくなったから、俺達は少し離れた場所に逃げてきた。運良くレムちゃ……あ、いや、たまたま別の班と合流出来たしな』
エンラくんの状況説明に耳を傾けていたのは、私だけではなかった。
「他の0組か?」
『あ、その声はエース君? よかった、無事だったんだね』
「レムちゃん!」
『もしかしてエース君、ハイネと一緒にいるんだ? よかった』
「ああ、僕としたことが白虎兵に囲まれたけど、ハイネと二人で切り抜けたよ」
『そっか。……あ、あんまり別の話に使うと怒られちゃうね。とにかく、私たち0組と、ハイネの班の他の人は平気だよ。これだけ人数がいれば白虎の新型兵器、倒せると思って向かってる最中なんだけど……』
『エース君たちは、どうする?』。レムちゃんの問いかけに、私たちはしばし無言で見つめ合う。今から合流するにも、皆を待たせる時間が勿体ないし。
「まだ研究室は少し残っていたな」
「私達、そこを潰してきます。少しでもレムちゃんやコハルちゃんたちが楽になるように」
『了解した』
『……ハイネ、エース君、頑張ってね』
コハルちゃんの頼もしい了承と、レムちゃんの静かな激励。「……うん!」「……ああ」動作は伝わらないのを分かっていながらも、やっと笑えた私達は二人で頷いて、通信を終了した。
倒れ伏す白虎兵の合間を縫って、階段を上がる。その間、私もエースくんも、何も言えなかった。沈黙は苦手だけど、やっぱりこの静けさは嫌いになれない。状況が状況だけれど、この感覚、懐かしいな。
閉ざされた扉を二人で開け、巡回する機械のセンサーに当たらない死角に滑り込む。
「っ、怪我してます!」
「……ああ、気付かなかった」
「えっと、今ポーションを」
コンテナを背に身を寄せ合って座ったからか、彼の制服の腰辺りに血が滲んで黒が濡れていることに気付いた。私がショルダーバッグから薬を取り出そうとすると、ふとその腕を捕まれる。
「ハイネこそ、怪我、してるじゃないか」
「へ? あ、あれ、気付いてなかった」
エースくんに言われて見ると、腕の部分が破けて血に濡れた肌が見え隠れしていた。言われると今更ずくりと痛む。顔を顰めた。「他人より自分のことを先に気にしろ」。言葉こそ冷たいけれど、彼は片手で私の利き腕をとったまま、反対の掌を傷口に向けて、目を瞑ったようだ。
「ケアル」
淡い緑が光って、痛みが消えてなくなる。制服は破けたままで、ちょっと惨めだけど。
私は「ありがとう」を一言、それから、ポーションを取り出すのをやめてケアルを唱え返した。
「等価交換です!」
「そんなことでもう残り少ない魔力を使うな」
「う、ごめんなさい……。でも、エーテルもポーションもいっぱいあるから……ある、から……あれ」
バッグの中を探ってみるが、どう見てもあと2本しか小瓶が見当たらない。しかも、2本とも魔力回復薬。
「たくさんあるからって調子に乗って消費しすぎたんだな」
「うう。……で、でも、エーテル2本あれば私とエー……ス、」
隣から白虎の空気より冷たい気を感じて、慌てて2本を両手に振り向いたところで、はたと言葉が止まった。
あれ、私今何て? 何て言おうとしてるの? エースくん? さ、さっきのは勢いでエースくんだなんて言っちゃったけど改めて顔を見ると、自分は何を言ってしまったんだというか、あんな別れ方をしたっきりで突然くん呼びなんておこがましいにも程があって
「……ハイネ、思考停止してる場合じゃないぞ」
「…………はい」
「目の焦点が合ってない」
「はい」
「………………しばらくは無理か」
「それにしても、久し振りだな」。少し低くなった彼の声に私の思考は正常化したけれど、なんとなく恥ずかしくて、停止したままのふりをした。「はい」。
サーチライトが目の前を通り過ぎる。無造作に伸ばしていた足を慌てて引き上げた。そしてもう一度彼に視線を合わせる。今度は彼が思考停止……いや、沈思黙考しているようだったが、ゆっくりと口を開いた。
「考えたんだ。僕のこと、僕の今までのこと、……君のこと、君のこれからのこと」
僕は、ハイネの傍にいてはいけないのか。
君は、僕をどう思っているのか。
いや、そこは明確だったな。君は、僕が気味悪いんだろう? あのときは思わずかっとなってしまったけど、落ち着いて考えたら当然だ。
黙る私と正反対に彼はそんなことを淡々と語った。
私はそれをぼんやりとしか聞けなかった。
だって。
「それでも、結論はいつも同じだった。ハイネに会いたかった。こんな僕じゃハイネは嫌がるだろうけど、」
「私もです」
私と、全部同じだ。
考えたこと、出した結論。「隣には並べないだろうなって思ったし、嫌われたかもって自分勝手な心配をしたし、それでも、会いたかった」。
「ハイネ、いつの間に戻っ」
「私も、非力な人間なの。エースくん」
一緒だね、私たち。
臆病な私たちは、互いに互いを遠けていたのだろう。遠いと思っていた距離も、高いと思っていた壁も、自らが作り出したものだった。
エースくんの揺らいでいた瞳を見据えた。やがて彼は冷たい空気をひとつ吸い込んで頷く。
「でも、ちからは合わせられる」
「うん」
「僕たち、息は合うしな」
「……うん」
「ハイネ、また止まってるのか」
「ううん。絶好調」
『僕たち』。私とエースくんを繋ぐたった一言に、私は思わずひゅっと喉がなってしまったのだ。首を縦に振るふりをして誤魔化したのだが、照れ隠しのように笑ったら、エースくんもそっと笑ってくれた。最後のエーテル二本の片方を手渡して、一緒に飲み干す。
「体力が回復したら、もう行こう」
エースくんの言葉に、私はもう一度頷いた。
もう、大丈夫。