泣いてばかりいた私は、その日を境に強くなろうと決めた。
来る日も来る日も、授業が終われば闘技場へ鍛練に向かったり、日が暮れたらクリスタリウムに場所を移動しては勉強をする。常に何かに集中することにしていた。
幸か不幸か今日まで0組とすれ違いもしなかったのは、白虎がついに玄武のクリスタルを入手したという一大事があったからだろうか。
魔導院内は輪にかけて落ち着けない場所になった。
そのために私は、朱雀のため、自分のためにと日々をがむしゃらに頑張ることになる。
1日でも早く強くならなきゃ。0組と同じ班に選ばれるくらい。
「そしたら、謝るんだ。ちゃんと、目を見て」
壊せない生死の壁はあっても、私は出来る限りそこに近づきたい。
そこから先はどうなるか分からないが。嫌われてしまうかも。それが当然なんだろうな。それでも、言いたい。
決意を新たに、目の前に意識を戻すのが常だった。
それだけ集中してあたからか、手帳をなくしていたことに気付いたのは、しばらくしてからだった。
あんなに大事なものを、今の今まで忘れるなんて。いつ、落としたんだろう。最後に見たのはいつだったっけ。
――……それって、いまも大事なもの?
いや、違う。
忘れていたくらいだ。今はもう、あれは必要ないもの。あれがなくたって、私はやっていく。やっていける。手帳なんかに頼らず、あの庭にも頼らず、彼らに追い付こうと決めたんだから。
「ハイネ、お前最近頑張ってるな」
「あ、隊長」
そんな考え事をしていたエントランスで、2組隊長と出くわした。
「ははは、前まで俺の姿を見る度にトレーニングが嫌で避けてたハイネが」
「し、知ってたんですか」
「当然だろう。それと比べたら随分成長したな。次の作戦、お前を上に推薦してやる」
「えっ」
それは唐突な衝撃、それからじわじわと体内に広がる喜びだった。
ついに、私の力が試されるチャンスなんだ。
「……や、ったあ!」
挨拶をして、隊長の背中をぼうっと見守っていたが、込み上げた嬉しさに、私は跳ね上がった。
これほどまで何かに向かって頑張れるのは、初めてだった。
「ハイネさん?」
「わっ、デュースちゃん」
しかしそう喜べたのも一瞬。目立った行動をしていたから、あっさり0組に……デュースちゃんに見付かってしまった。
「ふふ、お久しぶりです。どうかしたんですか?」
「ど、どうもして……な、ない、ないけど」
「ひ、さしぶり」とどもりながらもなんとか言えば、デュースちゃんは微笑んだ。
「最近見かけなかったので、心配してたんです」
「あ、ごめんね、私はすごく元気……なんだけど」
あなた達をひっそりと避けているところなんだ、なんて言えるはずない。デュースちゃんは私の勝手な判断、勝手な結論を知らないのだから。
何を言えばいいのか全く分からずあたふたとしていたら、デュースちゃんは思い出したように「あっ」と声を漏らした。
「忘れてました!」
にっこりと可愛らしい笑顔で、懐から取り出したものを見せられる。
「それは……」
私の手帳だった。
「あ、やっぱりハイネさんのですか? 裏庭のベンチに置いてあったのを拾ったんですよ」
「そう、私の!」
あの日、ぼうっとしたまま部屋に帰ったから膝から落としたまま忘れていたのだろう。
まさか、中身を見られてやしないだろうか。そわそわとする私の考えを察したのか、デュースちゃんは手帳を私に手渡しながら付け加えた。
「中は開いてませんよ、わたしが預かってました。0組のみなさんに心当たりを聞いたとき、マキナさんがハイネさんの日記じゃないかって言っていたので」
「それに、」私の手に渡った手帳。その裏表紙を指で示し彼女は微笑む。「そのお花の絵、ハイネさん! って感じがして」。
確かにそこには、私がペンでかいた落書きがある。自分の名前を書くのは恥ずかしいから、代わりによく描く簡単な花の絵。それが、私って感じがする、だって。心にじんわり広がった。
「そっか。ありがとう、デュースちゃん」
「いえ! ……ハイネさん、頑張ってくださいね。ハイネさんが忙しい間は、裏庭のお花の水やりは任せてください」
「……うん、ちゃんと、戻れるようにする」
デュースちゃんこそ、頑張ってね。
目線で訴えたら、デュースちゃんはこくりと頷いた。
要らないものだと思ったはずの手帳を胸に抱き締めたら、とたんになぜかそれは温もりをもったようだった。
*
デュースちゃんと別れて、クリスタリウムの隅に自分のスペースを作り上げる。本を積み上げて、白紙を目の前に広げて。
いつもなら、それを合図に集中出来るはずなのに、出来なかった。
デュースちゃんの、いや、彼女をはじめとした、0組の笑顔が思い出されたから。
「…………ああ、私は」
やっぱり、彼らのことを、大事に思っていたのだ。
「会いたいな」
レムちゃんに、マキナくん。天使みたいな女の子と、私がかつて好きだった、優しい優しい男の子。
それに、0組のみんな。ふと、手帳を開いた。キング、クイーン、ジャック……と並べられた名前。そこに綴られた彼らのいくつかのプロフィール。今なら、もう少し書き足せるかもしれない。
私は、いつの間にか密やかに自分の字で書かれた名前を口に出していた。
「ナイン、エイト、セブン、サイス。シンク、ケイト、トレイ、デュース」
人差し指でなぞる紙の感触を確かめる。
しかし、デュースちゃんの項目で、丁度ページが分かれていた。
次のページには、何やらしおりのようなものが挟まっているらしい。私は、ゆっくりと一枚を持ち上げる。
「まだ、挟まってたの……?」
そこには、見覚えのある、翠色のカードが軽く挟まれていた。そっとそれを外しながら、開かれたページにいつか書いた続きを、見ようとして、息を飲んだ。
エース
そう書いた。覚えている。その後、私はそこに続ける言葉が見当たらないままだった。問題は、明らかに私の筆跡ではない文字が羅列されていたこと。
カードを机に置いて、その文を指で辿った。なぜか熱く感じるのは指の方か、それとも頬か、目元か。
エース
僕は、君が思うほど強くない。
君にかける言葉も見つからない、弱い人間なんだ。
ああ、もう。
彼はずるい。
私が思うほど、強くないなんて。
まるで、私の悩みはとっくに見透かしているみたいに。私の悩みなんて、杞憂なんだと諭すみたいに。
「エースさん」
久し振りにその名前を呟いた。
今にも潰れそうで、消え入りそうで、それでも、確かに何かしらの意志を込めたような私の声は、無意識に紡ぐ。
会いたい。