「――ハイネ、ハイネ、朝だぞ。いい加減起きないと講義に遅刻する」
「……ん、うう」
ゆさゆさと身体を揺さ振られる感覚に、私はようやっと意識を覚醒させた。どうやら夢も見ないほど熟睡していたらしい。目に入ったのは心配そうなナデシコの姿。……既に制服だった。
「っは! た、大変、私もしかして寝坊……!」
「もしかしても何も、明らかに寝坊だ」
「ひいいぃぃ」
素っ頓狂な声と共に飛び上がる。
「ったあ!」
と同時に身体の節々が傷んだ。
私はくうう……と身を縮こまらせた。そこで気付く。制服のまま寝ていたらしい。スカートがよれているではないか。
「ハイネ、昨日夜中にやっと帰ってきたかと思えば、そのままベッドに倒れこんだんだ。覚えてないのか? あんなに遅くまで一体何をしてたんだか」
「えっと……」
しかしこのままで教室に行くわけにもいかず、ずきずきと痛む身体に鞭打ってクローゼットにかけておいた予備の制服に手を伸ばしながら昨日の経緯を思い出そうとする。
確か、昨日は。
ナインくんと久しぶりに会って、エースさんにも会って、彼らの真実に気付いてしまって。それから、私はひどいことを言った。
咄嗟の判断といえど、なんてことをしてしまったんだろう。
腕が、制服の袖につっかえた。
……それから。その後。エースさんは、私にまた訳の分からないことをした。それで私はずっと、それしか知らない赤子のように泣き続けていたのだ。
「大体……泣いてた、かな」
「……まあ、その顔じゃあ、そういうことだろうと思ってたけど」
ナデシコが手鏡を私に向けた。
そこに映り込んでいるのは、真っ赤に腫れた目をした冴えない顔。なんだか笑える。というか、こんなじゃ教室行けない。
「ほら、温めたタオル持ってきたから」
「ありがとう」
差し出された優しさを受け取って、私は情けのない表情を改めた。
結局昨日部屋に帰ってきたのは、泣き疲れたからだ。泣くのって結構体力を使う。そんな自分に、疲れた。だから、あの場所を離れたのだ。
少し重たい瞼にタオルを押し付ける。じんわりと温かさが広がった。
「……あのね、ナデシコ」
「ん?」
「この間の治癒魔法の授業で、蘇生魔法についてやったよね」
2組の教室への道のりを早足に向かいながら、私は口を開く。
「あの魔法って、すごく成功率が低いって隊長言ってた」
「ああ、そうだな」
「蘇生魔法とはいっても、対象者が心肺停止状態になってから数十秒の間じゃないと効かない」
「その通りだったはずだ。……テストでもあったか?」
「ううん、違うの。ちょっと気になっただけ」
私は曖昧に笑って、教室の扉を開いた。
私だって一晩で何も考えなかった訳じゃない。私たちも魔法が得意な者なら使える蘇生魔法の可能性も考えた。でも、エースさんたちは『運ぶ』とか、そういうニュアンスのことを言っていたから、それは違う。
やはり、エースさんが認めた通り、彼らは普通じゃない。なのに、至って普通の私に何が出来ただろうか。いや、出来るはずがない。
昨日の私の決心は、間違っていなかった。そのはずだ。
でも、エースさんの最後の優しさとも冷たさともとれる行いに心が痛む。
だって、本音を見破られている気がしたのだ。
あんなことを言っておいて、0組の傍にいたいだなんて。
「今日の講義を始める!」
椅子に滑り込んですぐ、騒がしかった教室が隊長の一言で静まり返った。ぎりぎりセーフだったらしい。
しかしその日の講義の内容は、全く頭に入ってこなかった。
私は考えていたのだ。
これから、私はどうしたいのか。どうありたいのか。
思い出したのは、魔導院解放作戦のときのこと。
私にも出来ることがあったじゃないか。0組には、何も出来ないけれど、なら、誰かのためになろう。
それで、0組に近付くことが、少しでも許されるようになるならば。辛くなくなるのならば。
「……決めた」
誰かのことを救える人になれたら。
自分を、誇れるようになったら。
そのときは、ちゃんと会いにいこう。
こわくて、かなしくて、優しいあの人たちに。
あの白いベンチに眠る彼に。
「だから、待っててください」
呟いた言葉は、鳴り響いた終業の鐘に掻き消された。