「ハイネは、あのハイネじゃないなんて、分かってるのに、な」
落とされた言葉が私に染み込む。
交わされない視線。価値観、強さ、生死さえ、何もかもが違う彼と私。
今まで積み重ねた何もかもがばかみたいに思えた。
「やっぱり私たち、相容れないんです」
もう彼のそんな顔は見たくないのに。そんな顔しないで、って一言を口にする勇気すら持ち合わせない私は、呟きを返しては俯いて無理矢理視界を狭める。
0組に、近付くな。その警告の意味が今更分かった気がする。
近付いても、近付けない。ただただ胸に寂寞と虚しさが募るだけ。あれは警告じゃなく、忠告だったんだ。
ばかみたい、私。もう一度、心で呟いた。
どこかで期待してたというのか。エースさんが綺麗な色を持たない私を見ないことなんて当然なのに。
「……ねえ、二回目に会ったとき、助けてくれたのは、私に似た誰かの為ですか?」
「分からない。君の為の、はずだった」
「そ、っか」
その答えに、傷に麻酔が塗りこまれたみたいに痛いはずの胸が、すうと軽くなってしまった。一時的なものかもしれない。
それなら、今決めるしかない。
今、はっきりと決めないと、このまま互いに擦れ違ったまま、勘違いを続けるばかりだ。
こんなこと、止めにしよう。そう思った。
ここはもう私の箱庭でも、私と0組が仲良く笑い合える憩いの場でも、エースさんと並んでいられるたった一つの場所でもない。
こんなこと、終わりにするんだ。
私と彼らは相容れることの許されない、別の存在でした。それで話はおしまい。
もっとドラマチックなシナリオを期待していたというのだろうか。私にはぴったりで、当然の終わり方だろうに。
諦めよう。私はあなたの望む誰かにはなれない。
だから私は、決して口にはしないと心に仕舞い込んだ言葉を引き摺りだした。それが実はどうしようもなく本音だったのが、何より辛い。
「0組って、死なないんですよね」
「……そうだな。今更隠そうなんて思わない。僕は、今君の目の前にいるんだから」
「あはは、それ、本当だったんだ。私が真っ先に思ったこと、言ってもいいですか?」
顔を上げて、笑ってやれ。
最低な人間でいい。私はエースさんが重ねている誰かと違うんだ。幻滅していいよ。むしろ、して欲しい。私とその人は、違う。
エースさんは立ち尽くして、私がこれから吐き出す酷い言葉を受け止めるつもりみたいだった。それが、罪滅ぼしのつもりなのだろうか。
そんなことして欲しくない。
そんなことするくらいなら、ちゃんと私を見てほしい。
言えない。今更、そんなこと言えない。
エースさんのため、0組のために違いないんだから。
いや、それはただのエゴだ。
私は私がこれ以上傷付くのが嫌で、勝手に距離を置こうとしている。
「気味悪い。エースさんも、0組も」
一瞬の沈黙。
膝の上で握り締めた両手が、小刻みに震えている。
私を見下ろす蒼穹が、揺らぐ。
私は私のエゴで、もう一度確認するかのように口を開いた。
「0組って、気味が悪いです」
ぱん。
乾いた音が、壁に反響する。
じんと痛みが広がる、左の頬。赤く腫れているのだろう。でも、たじろぎはしない。
「僕の兄弟を悪く言うのは、いくらハイネでも許せない」
そう言うと思っていた。そう言わせたのは、私だから。
怒りを顕にした彼の目。しかし、私は決して逸らさない。どんな表情だって、焼き付けよう。近くで見るのは、これでもう、最後だろうから。
「でも、ずっと思ってました。あなた達って、桁外れに強いし」
唇が戦慄く。
「エースさんが見ている誰かなら、そんなこと気にしないかもしれませんね。生憎……私は、誰かさんと違うので。0組のことが、」
大好きです。
隣に並んでみたかった。
言えない。出来ない。
だから、諦めよう。大丈夫、諦めるのも逃げるのも、慣れてる。今こそそうしてしまうべきだ。
「……もう一回、叩いてください。そしたら、お互い清々するでしょう? そしたら私、もうここのことはなかったことに出来ます。エースさんも、こんな私のこと忘れて、あなたを幸せに出来る誰かを探してください」
「どうして、そんなことを言うんだ」
「さあ」
絞り出されたみたいなエースさんの言葉に、返した言葉がそれだった。我ながらひどい言い方だ。
エースさんの目が明らかに苛立ちを籠めていた。いくら冷静な彼だって、既にもう怒っているのだ。突然仲間のことを貶されて、適当な態度をとられて。激昂しないわけがない。
衝動的に振り上げられる腕に、私は反射で目を閉じた。
「……君なんて、」
言ってくれれば清々する。
言って、叩いてくれたら、それが契機。
なのに、痛みはやってこなかった。どうして、とうっすら開けた視界いっぱいに、近過ぎてピンぼけしたエースさんの顔が広がっている。
何かがぶつかった。
言葉なんて発せなかった。
だって、声を紡ぐ場所が塞がれていて。
見開いた眼から、我慢していたはずの涙がぶわりと広がって、落ちた。
多分それは、一秒にも満たない僅かな触れ合いだったに違いない。
でも、私にとってそれは、何十秒にも、何時間にでも思えた。
エースさんはゆっくりと唇を離したかと思えば、呆然とする私の瞳を少し見つめて、何も言わずに背を向ける。
私は何も出来なかった。ただ、痛む左頬に手を添えただけ。
彼は、私を叩く代わりにキスをした。
エースさん。
あなたはずるい。
私なんて見ていないくせに。
私の必死のプライドだけを打ち壊していく。ずるい。ずるい人だ。
悔しくて悔しくて、切なくて、痛くて、もう訳が分からなくて。
私は白いベンチに座ったまま、涙が枯れるのを、ただただ待っていた。