あれから、一週間は経ったろうか。
ナインさんとエースさん以外の0組は皆授業に復帰していたから顔も合わせたが、彼らだけはまだ、あれから姿を見ていなかった。
しかし、その日、ついにナインさんを目にした。水がいっぱいのじょうろを裏庭へ運ぶ途中のことだ。


「ふらふらしてっとぶつかっぞコラァ! ドア開けてやっから、しっかりしやがれ!」
「ナインさん?!」
「アァン? んだよ、ちっと会わねえうちに忘れたか? さん、とか、お前誰だっつの」
「ハイネ、です……」
「そーいうことを言ってんじゃねぇ!」
「ひっごめんなさい!」

大声に、じょうろを落としそうになるほど驚いた私に、ナインさんは「……いいから早くしろ」とドアに体重をかけては急かす。
粗暴そうに見せ掛けて、本当は優しい。間違いなくナインさんだ。……ううん、ナインくんだ。
このまま立ち止まるわけにもいかず、私は彼にお礼を言ってから潜り抜けたのだった。



「……ハイネ」

今日、ナインくんに会ったこと。ナインくんが、何も変わらない調子なことも。今は考えちゃだめだ。またいっぱいいっぱいになってしまう。
そう思って出来るだけ無心に水やりをしていた私に、クイーンが声をかけてきた。

「先日の、トゴレスでのことですが」
「あ、」

どうやら、避けられない。
あの場にいたクイーンもあのことはなかったかのように振る舞ってきたものだから、てっきりそういうことなのかと思ったのに。
クイーンは、眼鏡をくい、と指先で押し上げてから、優しく切り出した。

「あれは、あなたの見間違いだったようです。二人は死んでいなかった。現に、ナインのことを見たでしょう?」
「……そう、だね」
「エースだって、じきに帰ってきます。そんなに思い詰める必要はありません」

クイーンの心遣いなのだろう。
それだけ言って、彼女は裏庭を去っていった。
なのに、私はまだ心のどこかで疑っている。どうして念押しのようにそれを伝えにきたのか、とか。何か秘密を隠したくて、私に知られたくないのではないか、とか。

――ああ、やっぱりそういうことなんだ。

私の中のひとつの仮定が、形を持ってしまった。
いつもの調子だった、ナインくん。それに、エースさんも、じきに日常へ戻ってくる。
つまりは。


「0組は、死なないんだ」


私は、気付いてしまった。






「ハイネ、さっきの板書とれたか? 速くてとりきれなかったんだ」

何日かして。授業が終わってすぐ、私の背を叩いたのは、後ろの席に座るアサトくんだった。私も彼も教室の端の方に座るので、たまにこうして話す機会がある。

「どこのこと? 私のでよければ見せるけど」
「サンキュ」
「アサト、またハイネに写させてもらうのか」
「うおっヤノ!」
「全く、人騒がせですね、アサトは」
「ヒルハタくんまで、そんな言い方……」

ノートを手渡したところに口を挟んだのは、ヤノちゃんとヒルハタくん。この三人は仲が良い。三人だけで行動してることがしばしばある。そういう友達がいるのが、少し羨ましかったりした。

「たまには自力でなんとかしろ」
「わっ、取んなよ!」

仲睦まじく私のノートを取り合う三人を、目を細めて傍観してしまう。

「……あれ、なんだこれ。落書き?」
「真面目なハイネにしては珍しいな」
「なんと?」
「走り書きでよく見えないけど……『彼は、私を』」
「ひぃいやぁああああああああっ!!!!! 読まないでくださいいい!!!」

ばっ、とアサトくんの手からノートを取り上げた。ぼーっとしてて気付かなかった。私なんて恥ずかしいこと書いてるの!

「ハイネ、恋か」
「随分素直な言葉でしたね。アサト、見習ってはどうです」
「かっ関係ねーだろ!」
「なんにせよ、悔いのないようにな」

真っ赤になる私の肩をぽん、と叩いては、ヤノちゃんは「さ、いこーぜ」と去ってしまった。さばさばしてて格好いいんだけど、とんでもない地雷を落としていったまま行かないで欲しい。

「もうだめ」

私は机に額を打ち付けて消沈する。

「その、ハイネ、悪かったよ。ノートはヒルハタに見せてもらう」
「……もう、だめ」
「こうなったらしばらくは無理ですね。謝罪は今度にして、ほら、行きましょうアサト」

アサトくんはもう一度私に謝って、先に行ったヤノちゃんとヒルハタくんを追っていったようだ。
私はずりずりと顔を上げて、問題のページに目をやる。


『彼は、私を、本当のことを知ってしまった私を、どう思うのだろう』


この気持ちは、恋とは違う。
自分に言い聞かせながら、私は気付いたら歩きだしていた。
恋とか、あんな、恥じらうかわいいものじゃない。これはただの、後ろめたさでしょう?

どうして後ろめたいの。
知ってしまったから。
どうしてその必要があるの。
分からない。
どうして、

自問自答をしているうちに、私は墓地を通って裏庭へ辿り着いた。やっぱりここが、落ち着ける場所なのだ。
ベンチにそっと座った。
なにやらスカートの何かが引っ掛かって気持ちが悪い。取り出してみれば、それは私の手帳だった。開くと、真っ先に目に入る『0組について』の文字。

「……これがあるから、後ろめたいのか」

口をつく溜め息は、空気に溶けていく。
そういえば。
軍令部長に、まだ報告をしていない。することは、たくさんある。
たくさん、というよりは、0組の、核心に迫る真実。
あれだけひたむきに隠そうとしているんだもの。上層部は知るはずがない。

――これを知らせれば、大手柄だ

軍令部長は喜ぶに違いない。
でも、と私の頭はストップをかける。
そうしたら、このことはすぐに魔導院じゅうに知れ渡ることになるだろう。0組は、死なない。マキナくんとレムちゃんは違うと信じたいけど、少なくともドクターアレシアをマザーと慕う、あの12人は。
そんなことが知れたら、ただでさえ憧れの反面、恨みや嫉妬を買いやすい0組なのに、どうなることか。

「ううん、私は私の目的のために……」

ペンをとりかけて、またもやめる。目的って、なんだった?
0組に、近付きたかった。
実際、情報なんてなくても、少しは仲良くなれたではないか。
じゃあ、なんのために。

――私は、何の為にこんなことをしていたの、しようとしているの

もう分からない。
今まで偽ってまで積み重ねてきたつもりだった何かは、ただの思い込みだったのだ。
考えるのに疲れて、ノートを握りしめたら、ひらりとそこに挟まれた何かが風に舞って足下に落ちた。

「あっ」

翠色の、カード。
拾い上げようと腰をかがめる。
指先を遊ぶように掠めては逃げるそれを、なんとか拾おうと苦戦した。そのとき、手の先に、花が咲いているのが見える。

「……シロツメクサ」

白い花が、相変わらず咲いていた。
前に見たのはいつだったろう。懐かしいように思う。あのときは、隣にエースさんがいて……。

「そういえば」

シロツメクサには花言葉がある。あれは、確か、


――ああ、約束だ。


「っ?!」

不意に頭の中で誰かの声がした。同時に、ぐわんと揺すぶられる脳髄。なに、これ。
私は膝に肘をたて、頭を抱え込んだ。痛い。痛いけど、それ以上に……
つらい、な。
どうしてだろう。
私、誰かに伝えていないことがある気がする。


「約束、守れなくて、ごめんね……」


あまりの頭痛に、私の意識が遠退きそうになる。


「エース」


もはや私が何を口走ったのかすら分からないけれど、近付く足音に気付いた。少しだけ上げた滲む視界に映ったのは、朱のマントの、誰か。
ああ、私はその人を知っている。私は、君に、ずっと、最初から、会いたかった。

立ち尽くすその人に、
なんとか笑いかけようとしたのに、
やっと現で、君を思い出せたのに。
また私は、

君を、
全てを、
また忘れて。

君だけを置いて、
クリスタルの螺旋に落ちて、
眠るなんて、


…………嫌な
                 の

                     に
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