――ごめんなさい、皆さん。
ああ、まただ。
私が終わる夢。
……夢、なのだろうか。
いつか見た夢を、再び見た。
あのときの私はそこで目を瞑ったけれど。
私の終わりの最期を看取った人は誰だったのだろう。
だって、
『どうして、どうしてこんなことに……』
震える声が、世界が閉ざされる寸前に聞こえたのだ。
……ここで思い出した終わりについて考えても、どうせ目を覚ませば忘れてしまう。だってこれは夢だもの。夢の世界が閉じて、今は真っ暗な場所に一人きり。これは、明晰夢。
夢から覚めれば、私は、また何もかもを忘れ去って歩きだすのだろうから。
私は静かに瞼を閉じた。もう起きる時間だ。起きたらやらなくちゃいけないことが沢山ある。昨日のトゴレス要塞の件の報告だとか、色々。
眠る気が起きなくてぼうっとしていたから、少ししか眠れてないけど、私はいつも通りに起きて、ここを忘れなくちゃいけない。忘れて、クリスタルの加護の下に帰るのだ。
つまり、起きたらここでやっと思い出した全てが無に還ってしまう。
でも目を覚まそう。前を向いて、生きなくちゃ。生き抜かなくちゃ。今度こそ。
落ちるように意識が現実に引き戻される。
今更ぼんやりと表れた影がある。
手を伸ばしても、届かない。
その人は、歌っていた。
泣きそうな声で、たどたどしくも、美しい旋律を。
――迷子の足音、消えた
伸ばした手が虚空を掴んだ瞬間、その淡い世界は弾けて消えたのだった。
それが、今日の、私の忘れた夢だ。
*
「レムちゃん、あの、」
「ん? どうしたの?」
「やっぱり、み、みんなと会うのが恥ずかしいというか……」
もう数歩で0組教室に続く扉に着くところで、私は不意に足を止めた。
「もう仲良くなれてたよね? 恥ずかしがることないのに」
「そ、うなんだけど」
頭の中が混乱していて、どう接すればいいのか分からないのだ。
レムちゃんは俯く私に身体を向けて、私の両手を包んだ。
「……っ」
引っ張られているときは考え事なんかしていて気付かなかったけれど、彼女の手は女の子にしては傷ばかりで、まめがいくつもあった。それを知らなかった私は目を見張る。この傷たちはきっと、武器をたくさん握っている証だ。そうだ。この子はただ白いだけの百合じゃなくて、人一倍努力もしているんだ。誰にも弱みを見せないで。賢くて、強い。どうして私は気付かなかったんだろう。羨むばかりで、本当の彼女なんて見ていなかった。
私が目をあげたら、レムちゃんは「大丈夫、大丈夫だよハイネ」と笑う。
それに、このやさしさ。やっぱり、真似なんてできっこないよ。これこそがレムちゃんの『色』だ。
「何があったのか分からないけど、エース君なら大丈夫だよ。彼の強さなら私が保証する。エース君、すごく強いんだよ? 武器はカードとか、ちょっと変わった戦い方だけどね」
「……ありがとう、レムちゃん」
ふわりと微笑みを浮かべる彼女が、天使みたいで。でも天使なんかじゃない。レムちゃんは、ダガーを握ればまめができて、怪我の傷跡は重なっていく、どうしようもなく人間で、私の友達だ。
「それから、ごめんね」
私は、いつか彼女を妬んだことを謝った。レムちゃんは不思議そうに首を傾げたけれど、私はなんとか繕った笑みでそれを誤魔化す。
それから、レムちゃんは私の手を離すと、教室の扉を押し開けた。
私は息を吸って、その後に続く。どんな真実があっても、受け止めなくちゃ。なんにも取り柄のない私だけど、せめてそのくらいはしてみせる。
「おはよう、みんな」
「おはようございます!」
「あ、レムさん、ハイネさん! おはようございます」
「おはよう」
「……おはよう」
まだ朝早いからか、そこにいたのはデュースさんとセブンさんとエイトさんの三人。三人ともそれぞれこちらを向いて挨拶を返してくれた。
レムちゃんは黒板を掃除するエイトさんの前で足を止めて口を開く。
「ねえエイト君、昨日の作戦で、うちの組ってどのくらい負傷者は出たの?」
「別の班のことは分からないが、オレ達の班……サイスとトレイは無事だ」
「他の班のことも聞いたが、そこまでひどい状態の者はいないはずだが」
セブンさんが近付いてきて、そう言う。私は耳を疑った。まるで誰も死んでいないみたいな言い方をするから。
「あの、死亡者は一人も……?」
「ええ。数日は授業に出られない人も何人かいるみたいですが、死亡者はいません」
私の問う声に答えたのは、デュースさん。「私、エースさんとナインさんが死ぬのを見ました」なんて言えなかった。もしかして、やっぱりあれは夢だったの? という思いの方が強くなる。だって、みんなそんなことはなかったみたいに、いつも通り。
こわい。でも、夢にしたくない。夢で、終わらせたくない。
頭のなかは既にぐちゃぐちゃと絡まっているのに、セブンさんは更に鋭く私を見抜いてきた。
「それよりハイネ、なんだか態度がよそよそしくなってないか?」
「そ、そうですか?」
そこはまだ保留だったのに……!
私の作り笑いが完全に引きつっている。自分でも分かるくらいなのだから、傍から見たら大分ひどいはずだ。
次いで、デュースさんまでもがずいっと詰めてくる。
あああもう無理だ。そんな目で見ないでください。
思考がいっぱいいっぱいになった。
「そういえばそうですよね、ハイネさん、どうかしました?」
「え、えっと」
「レムもそう思わないか」
「私には普通みたいだったから、気付かなかった」
「当然だろう。マキナとレムにはハイネも前から打ち解けていた」
「え、えっと」
「オレ達に態度を変えたのはケイトが原因だ」
「ケイトが?」
「ああ。あいつがハイネに強迫紛いなことをしてから急に目に見えてオレ達と仲良くしだしたんだ。そうだろう?」
「え、えっと」
「ああ駄目だ、またハイネ固まっちゃってる」
「ええっ、そうだったんですか? なんだ、普通に仲良くなれたのかと思ってました……」
「まあ確かに、突然すぎる変化のしようだったから心配していたんだが……そういうことだったんだな」
「え、えっと」
「……えいっ」
ぱちん。
「ひゃっ?!!」
レムちゃんが目の前で手を叩いた衝撃で、やっと私は我に返った。
「あ、ありがとうレムちゃん……」
エイトさんもデュースさんもセブンさんも「仕方ない奴だな……」みたいな目で私を見ていた。というか、今エイトさん言ったよね?
「そんなに思い詰めなくてもいいのに」
「で、でもセブンさん、」
「……なんだか、違和感を感じるな。今までは無理に笑っていたとはいえ、呼び方まで変えることはない」
「…………へ?」
「仲良くなったことには変わりない、ってことじゃないかな」
首を傾げる私。しかしエイトさんは再び背中を向けて黒板消しに戻ろうとする。寸前、「オレのことはエイト。さんだなんてむず痒い」。
デュースさんもこくこくと頷いた。
「わたしのはクセですが、ハイネさんのはそうではないんでしょう? なら、わたしも、レムさんのように仲間入りさせてくれませんか?」
「でゅ、デュースさ……っ、デュース、ちゃん!」
なんで今までのわたしはあっさりと呼び捨てられたのだろう、と思うくらい、そう呼ぶのに抵抗と羞恥が私を攻めた。でも、そう呼んだら、デュースちゃんはすごく嬉しそうな顔をする。
「これで、無理してない、本当のハイネさんと仲良くなれたってことですね!」
「呼び方が全てではないと思うけどな」
「せ、せせせセブン、ちゃん!!」
「…………くっ」
エイトさ……くんの背中がぴくぴくと揺れた。どうやら笑っているらしい。
「セブンはね、私のときもこうだったんだよ。セブンちゃん、って呼んでみたらジャック君が大ウケしてた」
「……こういうことになるから、私のことは呼び捨てでいい。柄じゃないんだ」
「うっ、うん!」
私の強張った表情がふにゃりと解ける。嬉しい。遠回りしたけど、やっと本当に、こうやって笑いあえるようになった。
「これなら、エースさんだってきっと認めて……」
口を、噤んだ。
周りの皆もぴたりと動きを止める。それは私を訝しむような、心配するような。
私の代わりを勤めるかのように、レムちゃんが沈黙の空気から切り出した。
「……昨日エース君に、何かなかった? ハイネが、心配してるみたいなの」
「エース?」
「エースさん、ですか?」
三人が、私の方を見る。何かを探ろうとする目だった。でも、私は何も言わない。唇を噛み締めて、彼らがどう出るかを待った。
どんどん密度を増して重く苦しくなる空気。デュースちゃんは少しわざとらしいくらいに笑って、両手を合わせた。
「そ、そうですね……わたしたちは、何も知りません。でも、何日か出られない、とは聞きましたよ」
わたし、たち?
心に引っ掛かるいくつかの要因。デュースちゃんは、……違う。デュースちゃんだけじゃない。セブンもエイトくんも、何かを知っている。
「じゃあ、ナインさんは……ナインさんはどうですか? セブン、覚えているんだよね? エースさんのこともナインさんのことも、覚えてるんでしょう?」
「ハイネ」
「エイトくん! どうして私は彼らのことが分かるの? あなたたちは何でもないような顔をするの? 何か、理由が、」
「ハイネ、落ち着け」
「あれが夢だっていうの? 私のせいで起こったあのことが、なかったことになるなんて、そんな」
「ハイネ!」
レムちゃんに肩を捕まれて、私はやっと言葉をやめた。後から後から涙が零れてくる。何も知らないらしいレムちゃんは、ひたすら困惑した目で私を見ている。
しかしそれは、レムちゃんだけではなかった。他の三人も、同じ。まだしらをきるつもりなのだろうか。本当のことを知りたいだけなのに。
今度「なんのことだ?」と私に問うのは誰?
その答えは、エイトくんだった。
ただ、予想した言葉は違ったけれど。
「どうして、泣くんだ?」
頭に幾重にも重なって、その言葉は響いてきた。
その顔は、私のことを心配しているとか、そういうものじゃない。あの二人の死に泣く私を、純粋に疑問に思っている。そんな表情だ。
そのとき、魔導院じゅうに予鈴が鳴り響いた。それと同時にばたんと開く教室の扉。何人もの0組候補生が入ってくる。
「ハイネっちだあ〜! おっはよ〜」
「もう予鈴鳴っただろ、早く自分のクラスに行けよ」
「……ハイネ、泣いてる〜? 何かあったの?」
「ご、めんなさい。取り乱しました」
私は頭を下げて、その勢いのまま皆の間を擦り抜けて歩き出した。
「授業に遅刻するので、失礼します」
「あ、ハイネ!」
「ハイネさんっ」
レムちゃんとデュースちゃんの私を呼ぶ声を背中に聞き取れて振り返ったが、何も発する言葉が見つからない。開きかけた口を閉じて、また頭を下げる。それから、0組教室を後にした。