「……じゃあ、僕は行くから」
「え、あ、あの、ここに何か用があったんじゃ」
再びドアの向こう側へ足を踏み出そうとするエースさんに、思わず立ち上がって呼び止めた。私の声は今にも泣きそうで、行かないでと言葉の内にねだるようだと自分で思う。なんて情けない声色。
「……い、いや、いいんだ。寝てるみたいだった……し」
二度目に振り返ったエースさんはまだ様子がおかしい。
「大丈夫です起きましたから! お昼寝ならどうぞ!」
「いいって言ってる」
「そう言わず!」
なんだかムキになってしまって、私はつかつかと歩み寄ってエースさんの袖を両手できゅっと掴む。
びくりと固まるエースさん。え、私何かし……ていた。進行形でしていた。
「あっ、わっ、ごめんなさっ」
気付いた私の頬は一気に熱くなり、慌てて手を離す。
謝るときに見上げたら、エースさんの顔も真っ赤なことに気付いてしまった。
咄嗟に俯いて、視線を逸らす。熱を冷ませ私……!
「…………」
「…………」
「…………何を必死になってるんだろうな、僕たち」
「やっぱり私も入りますか」
「当然だ」
「うう」
俯いた肩に更に重石が乗ったみたいだった。
いつまでも地面を眺めても何もならないので、顔を上げる。エースさん、笑ってそう……。
しかし見上げた彼の表情は、何かを思い詰めたような。
「……エースさん?」
「マザーの言うことは、僕らには絶対だ」
マザー。
ゆっくりと吐き出されたその言葉がドクターアレシアを指すものだと知ったのは、この2ヶ月の間の出来事だった。
0組のマキナくんとレムちゃん以外のみんなはそう呼ぶらしい。……みんな、複雑な事情を抱えている。
私は?
親の顔を思い出してみようとした。
親なのに、『思い出そう』となんてした瞬間に、予想は出来ていた。
思い出せない。
親は、死んだということだ。
辛うじて思い出せる家族は、朱雀の兵として今尚戦っているであろう兄の顔だけ。
私はいつの間にか、兄以外の家族を失ったようだ。
ううん、この状況なら、誰しもあること。ついこの間までは覚えていた気がするけど。
……これ以上考えていたら私は多分またネガティブな方向へ奈落の果てまで落ちていってしまう。しかし私の思考を断ち切るように言葉を続けたのはエースさんだった。
「でも、僕は君といると、僕は僕でいられる気がする」
「……? 私、0組の皆ほどエースさんと長く一緒にいませんが」
「そういうことじゃない。時間の、長さだとかじゃ、ない……気がする」
「……」
エースさんの言葉はたまに要領を得ない。
いつもはしっかりしていそうな彼だが、私の前ではよく独り言のようなことを呟く。彼の中では辻褄は合っているのかもしれないが、私にそれが伝わるはずもないのだ。
しかし出来る限り彼の意図を汲み取ろうと私は頭を捻る。マザーに言われたこと。
…………私と同じようなことを言われたんじゃ。
「でも、マザーは『これは忠告よ。後は自分で考えなさい』って言ったんだ。だから、僕のことは僕が決める」
……もう完全に独り言の域だった。
どうすればいいんだ私は。しかし引き止めたのは私だ。
仕方ないので視線を宙に浮かせて待ってみた。空気のようになるのは得意なのだ。なんの自慢にもならないが。
「僕たちの関係って、なんだ? 友達、か?」
「……っ、へ?」
だから、突然話を振られてもこうなる。
慌てて宙に投げ出していた意識を戻すが、どういう流れでそうなったのかが分からず、抜けた声を出してしまった。
友達。改めて定義したことがなかったが、言われてみればそうなのかもしれない。
「……デュースさん達には『エースさんは命の恩人です』って言っちゃいました」
恥ずかしい。
「間違いではないけど、重いな」
「うぐ」
「もっと別の繋がりが欲しいんだ。ハイネに会える理由になるものが。例えば、そうだな」
エースさんはふと顎に指を添えて思案するポーズをした。それから口を開く。「恋人とか」
「こっこいびっ!!?!?」
突然の衝撃すぎて私はびくりと肩を震わせそれ以降動けなくなった。
「冗談だ。そんな反応しなくたって」
「そ、そうですよね」
「……でも、もし、本気だって言ったら、」
「そ、そうですよね」
「…………またか」
「そ、そうですよね」
「………………」
エースさんは無言になった。相変わらず私の思考は仕事をしない……と思ったら、エースさんが少し身を屈めたようだ。少し視界が陰り始める。エースさんの顔が少しずつ近づいてきているのだ。
止まっていた思考が急激に回転しだす。震える吐息が唇にかかった。
これ、は。
「……っ!!」
思わず彼の肩を両手で突き飛ばした。
駄目。こんなことをする関係じゃない。私なんかの力じゃ彼はびくともしないだろうと思ったが、いとも簡単に彼は体勢を崩す。まるでそうなるのが分かっていたみたいに。
私は一瞬動揺したが、何も言わないエースさんに背を向けて、墓地の方へ駆け出した。
顔が自分のものじゃないみたいに熱かった。まさかエースさんにそんなことをされるなんて思っていなかったのだ。
私は、キスなど生まれてこのかたしたことがないというのに。
――でも、初めてじゃないみたいに、何をされそうなのか分かった
私は墓地の反対側の入り口を出て、まだ走る。今日はよく走る日だ。嫌でも明日地獄のランニングが待っているというのに。
ふと、足を動かしながら唇を指でなぞってみた。……熱を持っている。
――いや、流されるなハイネ。エースさんは放心してる私を起こそうとしてくれたのかも
そうだとしたら大変に失礼なことをしてしまった。
次に会ったときに……。そこまで思ってまた思考を転換する。私は、0組に近付くべきではないのではなかったか?
私は足を止めた。エースさんは追ってきていないようだ。
しかし、エースさんが言っていた言葉を思い出す。繋がり。私に会える理由。
「0組に……エースさんに会いに行ける理由、……口実があれば、私も、」
私も会いに行っていいだろうか。
ぽろりと呟いてしまった。
「君、今0組がどうのと言ったな?」
「え、」
唐突に声を掛けられはっとした。気付けばここは、エントランスの軍令部付近ではないか。あれだけ苦手な場所なのに。
しかも、私に声をかけたその人は、軍令部長として名高い男性だったのだ。私は慌てて「こんにちは」と頭を下げたが、相手は気にせず先を続ける。
「もしや君が0組に近しいと噂の2組の生徒か」
「そんな噂聞いたことがありませんが……」
「いや、君は今1人で0組がなどと呟いていただろう」
「そ、れは」
言葉をなくす。
軍令部長は辺りの注意がこちらに向いていないのを確認してから、抑えた声量で、しかし厳格に言った。
「君、0組の様子を逐一報告する諜報員になってみないか」
諜報員?
お目付け役ということだろうか。
「それならマキナくんとレムちゃんが……」
「彼らは少し人が好すぎる。0組の内部は彼らに任せておけるが、もう少し客観的な視点も欲しいのだ。聞いたところによると、君はどうやら0組の皆と面識があるそうじゃないか。その友好関係を利用……いや違うな。更に仲良くなれる一種の手段でもあると思うのだよ。表向きにはちょっとした連絡員としてだからな。どうだ、やってみないか」
軍令部長は私に語り掛ける。更に仲良くなれるだろう、その言葉が甘く染み込む。
――0組に、エースさんに会える口実が、欲しいよ
「……私、やります」
かちり、と、どこかで歯車が噛み合うような音が聞こえた気がした。
「そうかそうか! そう言ってくれて嬉しいよ。君、名前は」
「ハイネです」
そう言いながら、私は内心喜んでいる。
――これで私は、あなたの傍に行く理由が出来たよ!
ねえ、エースさん!
歪んでしまっても尚純粋な願いは、歯車を回す。廻す。