「はっ、はっ、はっ」
2組の教室にはクラスメイトがいて、クリスタリウムに飛び込んだら皆に目を向けられて、チョコボ牧場に走ったらヒショウさんに怒られた。
「はっ、……いぐっ、……はぁっ、はっ」
息を飲み込んで、とにかく私は走った。
しかし、魔導院は皆の心の拠り所だ。走ったってそうそう一人になれる場所などあるわけがない。
くらり。
と目眩がして、とうとう私は足を止めた。
戦闘においては最前線で戦うことの多い2組の一員として鍛えられているし、私もそれなりに体力はあるはずだったのだが、それでも吐き気がするくらい疲れていた。どれだけ走っていたんだ、私は。
止めたはずなのに、まだ地に足が着かないような心地がする。
息が切れる。膝ががくがくと震える。ただの汗だか冷や汗だか分からないものが額を伝った。
「ここって……」
たどり着いたその場所は、墓地だった。私は大きく深呼吸して階段にしゃがみこむ。
両足を揃えて、その爪先を見つめた。走ったからか、血流が私を叩きつけるかのような勢いだ。
ドクターアレシアに言われた言葉を頭の中で反復した。
0組に悪影響しか与えない、不必要な要素。
私が0組と関わるのは、いけないことだったのだろうか。どうして……?
あのときは思わず逃げ出してしまったが、ふとそんなことを考えた。私はあの場所から逃げたかったのではない、ドクターアレシアから逃げたかったのだということに気付くまでに少し無言の時間を要した。
確かに初対面であんなことを言われたら逃げたくなるのも当然だが、どうしてだか、彼女にはそれ以上の何か……たとえば畏怖に近いものを感じたのだ。
「……そりゃそうだよね、だってドクターアレシアだもん」
膝を更に顔に寄せながら、ぽつりと呟いた。
何度か深呼吸をしてみる。まだ心臓がばくばくとうるさかったが、どうにか動けるようにはなっていそうだ。
0組に、近づいちゃダメなのかな。せっかく2ヶ月の間にやっとそれなりには仲良くなれたというのに。ネガティブな思考がぐるぐると回る。
――こんなとき、エースさんなら何て言うんだろう、な。
そう思ったとき、私は自分に自分で「ん?」と首を傾げた。
今までの私なら、真っ先にマキナくんのことを考えてたのに。
……前向きで優しいな彼ならきっと、「そんなの関係ないじゃないか」って言ってくれるだろうって想像出来るからだ。きっと。
エースさんなら、なんて思ってしまったのは、未だに彼の考えていることが予想も出来ないからなんだ。そういうことにしよう。まるで自分に言い訳するみたいに、私は一人頷いた。
「……って、あっ! デュースさん達待たせたまま……!」
気付いた私は慌てて0組の教室に戻る。墓地からなら裏庭を抜けて行くのが近い。
しかし、裏庭から教室に繋がる扉に手をかけたところで動きを止めた。いいのだろうか。私が行って。関わっちゃいけないんでしょう?
「でも、ひどく待たせてしまったし……」
躊躇しつつ、扉を薄く開く。中の様子を息を潜めながら見た。
「ん〜おっそいなぁハイネっち〜」
「櫛、見つからないんでしょうか。やっぱり手伝った方が……」
「今から下手に動いては入れ違いになるかもしれません」
「ひまぁ〜! シンクちゃん暇〜!! ハイネっちと遊びたぁい!」
「シンクさん、これ一応遊びじゃなくて勉強会……」
やっぱり待たせてた!
私は慌てて飛び出そうとしたが、視界に入ってきた人影にびくりとする。
「ん? ハイネを探してるのか?」
マキナくんだった。
どうやら反対の扉からやって来たらしい。
「うおっマキナん〜! ハイネっち、どっかで見なかった?」
「いや、見てないな」
「そうですか……。行ってしまったきり帰ってこないので心配なんですが」
「あ、もしかしたら隊長に捕まってるのかもな」
「隊長? あのクラサメ隊長に、ですか?」
「いや、オレの元クラス、2組の。あの人、すごく熱い人だからさ、捕まるとちょっと大変なんだよな。特にハイネは2組の中じゃ非力な方だから、捕まる度に半強制でランニングとかさせられてたような」
「うわぁ〜熱い人だねぇ。体育会系、ってやつ?」
そう。その通りだ。だから私は出来るだけ軍令部付近には近寄らないようにしている。偶然会わないように。
最近は候補生の本格的な軍事介入もあり、ますます気合いの入った隊長が授業以外にも基礎体力トレーニングを組んできていたり。……そういえば明日だ。思い出してしまった。しかも完全に出るタイミングを失った。
「そうでしたか……。それなら仕方ないですね、この本、一旦返して来ましょうか」
「ええ。仕方ありませんから」
「しょ〜がないねぇ〜。頑張れハイネっち〜」
そう言って、私が出る間もなく、三人は植物図鑑を持って行こうとする。残ったマキナくんは、席に座ったようだった。
三人と入れ違うかのように、一人の生徒が入ってくる。レムちゃんだ。
「お待たせマキナ!」
「いや、オレも今来たから」
「ごめんね! えっと、リフレだよね!」
「ああ、行こう」
短い会話を交わして、二人も去っていく。私は呆然と立ち尽くした。
ああもういい加減にしてよ。まだ引き摺ってるの。私はなんて湿っぽいオンナなんだ。
――人を好きになるのって、辛いなあ。
ぼんやりとそんなことを思った。好きって気持ちは昔思ってた純粋なそれと違うのかも。もっとどろどろしてて、重苦しいものなんだ。少なくとも今の私にとってすればそうだ。
でも、前のようにマキナくんとレムちゃんが話しているだけで思考が停止するようなことはなくなった。前に、進めてるってことかな。
しかし私はそれ以上動くことも考えることにも疲れたような気がして、ベンチにふらふらと座り込んだ。
強い睡魔が私を襲う。もう、どうでもいい。ここは私の場所ではないけれど、眠ってしまえ。
そう決めたら後は落ちるのは簡単だった。
夢を見ている。
ざ、ざざっとノイズが入りながらも、たまに状況を確認することが出来た。
――殺せ!
痛い。
私を貫くのは銃弾。
違う。
これは、今の私じゃない。
大丈夫。だって、エースさんが助けてくれたから。
――信じて、た……のに
――裏切りやがって!
痛い。
痛いな。
夢だからか、それは直接的なものではなかったから、私はどことなく冷静に確認出来た。お腹を何かが貫いている。
ああこれは、鎌だ。
ううん、これも違う。これは、いつかの私。
しかし、私の身体を貫く何かは一瞬で姿を変える。
これは、……レイピア?
――お前にオレの何が分かるんだ!
マキナくん……? どうして?
思わず呟いたら、ぐにゃりと世界が反転。
ノイズ。ノイズ。
――ごめん、……ごめん、ハイネ
ノイズが混ざって、今度は誰の声かすら判別出来ない。
ここはどこだ。
龍が空を舞っている。私は倒れていたから、誰か越しに空が見えたのだ。
なんだか、こわいところ。
空は暗くて、地はじめじめとしていて。遠いような近い場所で何か人間じゃないものの叫びが聞こえる。
でも私の心はそう苦しくはなかった。間に合って、よかった。そんなことを思っている。
――もしも次に に たら、今度こそ は君を、 から……っ、 がハイネを るから!
ノイズ、ノイズ。ノイズ。
泣かないで。
いいの。あなたを守れたもの。
幸せ、だよ。
唇に何か感触。
見えない誰かに手を伸ばそうとしたとき、もやがかかっていた誰かが消え去ってしまう。
――あなたが終焉まで行き着けたことなどないわ。
今度ははっきりと、鮮明に聞こえた。
しかし視界は真っ暗だった。
――最初の死に方が一番楽なのに、それなのに、なぜかあなたは敢えて毎回最大の過酷な死に方を選ぶ。最後に近付けば近付く程、あなたは……、あなたと は、辛い想いをすることになるのに、
それから意識は急激に浮上しだす。
待って、どういうことなんですか。まだ聞いてないことがある。聞きたいことがある。しかし水面に無理矢理引き上げられるかのように夢が覚めそうで、
「待って!」
はっと顔を上げる。そこは寝る前と変わらない、裏庭。
「っ!?」
いや、変わっているところもあった。誰かがいたのだ。扉を開いて向こう側に行こうとしていたらしい人が、驚いたように振り向く。
「……どうしたん、だ?」
しどろもどろに答えたのはエースさん。それもそうだ。何しろ居眠りをしてた人に突然声をかけられたら、誰でも驚く。
「いえ、あの……夢を、見ていたようで」
しかし何故か内容を覚えていない。まあ当然だ。所詮は夢。
エースさんは、扉に手をかけたまま数秒私を見つめて思案していたようだったが、それからちゃんとこちらを向いて、口を開く。
「……怖い夢、だったのか?」
「そう、なのかな……そうだった気もするし、そうでもない、幸せな夢だった気もするし」
しかし、ふと頬が冷たい気がして指で撫でたら、それは透明な液体だった。
「あ、あれ?」
「泣いてたから、悪夢でも見てたのかと」
「覚えてないのでなんとも……。あ、でもあれかもしれませんよ? リフレの一年食べ放題券貰えた夢で嬉し泣きとか」
どんな夢を見ていたのか覚えてないが、覚えてないから、今の私は平気だ。
それを伝えようとしてそんな冗談を言ったら、エースさんは笑ってくれた。
ーーあなたとエースは、辛い想いをすることになるのに、
なぜだろう。
私は彼が笑うのを見て、泣きそうになったんだ。