わたしだって女の子なのだ。
ウィンドウの向こうのウェディングドレスに憧れることもあるし、パステルカラーの雑貨店に入り込んでかわいらしい小物の数々に目を輝かせることだってある。
「わたしだって……」
姿見の前で自分に言い聞かせた。
脚が見えていた分、いつものショートパンツの方が露出は多いはずだが、これは別物だ。アンナによく似合うロリータのような、フリルやリボンのあしらわれたスカート。おまけにメイクはチークに桜色のリップ。鏡に映る自らの姿に激しく違和感を覚えるが、約束したことだから! とわたしは微笑みを繕ってみる。
『わーっ、みてみて! このヘッドドレス、こっちのドレスと似合うよアンナちゃん!』
『……なまえは、着ないの?』
『うん?』
『こういうの』
そうわたしを見上げてくるアンナちゃんの瞳はまあるくて純粋で。いつもの行動が行動だったから遠く感じていただけで、そういう格好に興味がなかったわけではないわたしにはその視線を断る言葉が見つからず。半ば勢いだけで買ってしまった……、フリルのスカート。いや、『明日、おそろい』というアンナちゃん殺人並みにかわいらしい望みを断ち切れる輩がこの世のどこに存在しているの だろうか。いや、いない。(反語)
別に今日が特別な日というわけではない。ただ、天気がよかったから、気が向いて。誰に向けるのかさっぱり分からない言い訳を考えながら、わたしはクローゼットの奥に履かないまま眠らせていたヒールを引っ張り出して、家を出た。
春の陽気はぽかぽかと暖かく、膝元で揺れるフリルが楽しい。家を出るときに感じていた羞恥だとかを忘れ、わたしはいつの間にかヒールを踏み鳴らしら揚々と街を歩いていた。鼻歌も歌ってしまいたくなるような気分だ。わたし今、おんなのこしてるんだもの。
人通りの多いスクランブル交差点を渡ろうとしたときだ。いつもなら急ぐ人々の足取りについていこうと精一杯だったが、少し慣れないヒールはわたしを急がせない。わたしを抜かしていく人々の中をそれでも上機嫌に歩いていたら、少し先に見覚えのある金髪を見つけた。
「あっ草薙さん!」
しかし、声は届かなかったらしい。雑踏に紛れかける草薙さんを見失わぬよう早足になってしまう。
やっと交差点を渡りきったかと思えば、彼は煙草の煙を燻らせながら自然な足取りで角を曲がっていく。しかし迷いなく向かうその方向には覚えがあった。人通りから少し歩いたところにある珈琲豆専門店で間違いないはず。納得したわたしは、行き先が分かっているのなら、焦らず追い付けばいいやなどと考えたが、丁度ビルの隙間を通りかかったとき、数人の男が小声で話し合うのを聞いた。
「……アイツか」
「違いねえな、写真と一緒だぜ」
「参謀さんが一人でふらふら歩いてるなんてな」
怪しい。明らかに怪しい。
わたしは小さな手提げに入れた端末を探すふりをして立ち止まる。どうやら男は三人。道向かいのショーウィンドウ越しに確認すると、それぞれがバットやらなんやら鈍器らしきものを手にしているのが見えた。
「非戦闘員で参謀なんだっけか」
「さあ、詳しくは知らねえけど。言われた通り潰せば金が入るって話っしょ」
「簡単な話だよな。ホムラだっけ ? こんなんであっさりやられちゃうとか笑えんな」
「ま、ちゃっちゃとやっちゃいますか」
疑いは確信に変わる。多々良さんと混同している辺り、不良を気取ったモグリに違いない。イコール弱い。そうと決まれば草薙さんに迷惑かけず、ちゃっちゃと片付けてしまうのが吉だ。そうと決まればわたしの行動は早かった。「うわっ、なんだよ!?」ヒールのせいですぐ気付かれてしまったが、そんなの大したことない。むしろいつもより大きなダメージを狙えるくらいだ。……と、自分に言い聞かせる。実際のところ慣れないヒールではまともに走ることも軸足にすることも出来ず、威力のある蹴りなど出来ない。
「お嬢ちゃん、お遊びじゃないんだぜ!」
「ははっ、そんなカッコで足振り上げてくるとかサービスしてくれちゃってんの?」
「……っ、吠舞羅、なめんな!!!」
からかうようなチンピラどもの態度にわたしはきつく歯を食い縛る。力を使ってしまえばそれなりに場馴れした不良だろうと、一瞬だ。荒い戦い方になるのは避けられないが、このままやられるのは癪だし。わたしを取り囲む男達の馬鹿にした声を遮らせてやろうと口を開いた。
「後悔してもおそ、…………ひゃっ!!?」
しかし。
「ん? なんだって? お嬢ちゃん」、背後にいた男のからかうような声が聞こえると同時にするりと腰の辺りの締め付けが緩くなる。リボンを解かれたらしい。慌てたわたしは変な声をあげてしまったが、ウエストが緩くなっただけだ、何を怯えてるの、わたし。
「……っ!」
「おいおい、隙だらけになっちゃったよ」
回し蹴りを食らわせようと振り上げた足が、また別の輩に掴まれる。離して! と叫んだところで、彼らは実に楽しそうに笑うのみだ。悔しい。慣れないヒールでは片足で重心を保つことも難しく、あっけなく腰から地面に崩れ落ちた。絶好のチャンスとばかりに、絶え間なく足蹴にされる。痛い。立ち上がれない。
「……なまえ!?」
表の方から声がした。ああ、聞いたことのある声だ。聞き慣れた声だ。
草薙さん、言おうとして口を開いた途端、思わず涙が出そうになって言葉を飲み込む。焦りすぎて、怖かったのだ。
「お? なんだよ、やっとターゲットさん登場か。ヒーローみたいな出方しちゃってまあ」
「戦えないお姫様はどっちだってな」
「ホムラとかっつった? ちょろいな、まじで」
ただの雑魚三人に囲まれて尻餅をついてる姿なんて、見られたくなかった。わたしの名前を呼んでくれた草薙さんなのに、わたしの今にも泣きそうであろう顔を見ては目を逸らされたのだ。余計に泣きそうになる。……なんで。「何を勘違いしとるんか知らんけど」、草薙さんの声は抑揚がない。本当に怒っているときの声だった。
「うちの姫さんこんなにしてくれた責任とる覚悟は出来とんやろ?」
*
「……すみません、草薙さん」
草薙さんが非戦闘員だなんてそんなのただのデマで、実質吠舞羅のNo.2を務める彼が本気を出せば、人数を束ねてしか喧嘩を売れないような弱小者など一瞬だ。立ち上がることも出来なかったわたしが助太刀する必要などなく、気付けばわたしの周りには男三人が倒れ付している。
草薙さんに迷惑をかけないようにととった行動だったのに、結局余計に迷惑をかけてしまった。わたしは項垂れたまま謝罪を口にしたのだが。
「……」
草薙さんは何も答えてくれなかった。わたしは思わず顔をあげてしまう。草薙さんに嫌われてしまったろうか。一瞬、ばちりと目が合う。しかし煙草を口にくわえてはふいとそっぽを向かれてしまって、わたしはまた目頭が熱くなる。ライターを擦る音。すると、わたしの視界に大きな手が差し出された。
「ん、立てるか」
「……っ、は、はい! ……っと」
「…………ったく」
嬉しくて嬉しくて、その手をとっては勢いよく立ち上がろうとしたのだが、案の定バランスをとれずによろめくと、草薙さんはふわりと軽く受け止めてくれた。ついでのように、手早く腰のリボンを結び直される。「あの、ありがとうございます」、言いながらその腕から離れようとしたのだが、なぜか力を込められて、抜けようにも抜けられない。どうすればいいのか全く分からずしばらくそのままでいると、草薙さんは煙草を指に挟みながら、ぽつりと言った。
「その格好は反則やろ」
片腕に肩を抱かれながらもぞもぞと頭を動かして頭上の草薙さんの顔をみてみると、わたしの方をじっと見つめるサングラス越しの瞳を感じた。
「アホ」
「なっ、なんで……!」
「アホやろ! 俺が気付いたからよかっただけで、もしあのままアイツらに……」
「くっ、草薙さん、ぐるしっ」
「おしおきや。また性懲りもなく1人で突っ込んだことと、俺を動揺させたお仕置き」
「え、こ、後半はどういった意味で」
「なまえのせいで俺としたことがカッとなって必要以上に力使ってもうた。お前のせいやで。自覚しとき」
り、理不尽なんじゃ。
でも、草薙さんの言うお仕置きは苦しくても安心出来て、なんだか切実なものを感じたから、わたしは大人しく彼の腕のなかで息をしていた。
「……ところでその服、どういうつもりなん」
「どういう、とは」
「そんな服着て、誰かのとこに行くつもりだったんか」
「いや、いつも通りHOMRAに行く予定で」
「あの野郎どもの巣窟にか!」
「え、でもいつものことだし、その、……か、かわいいーとか言ってくれるかなー、……と」
「かわええよ」
「!?」
「満足か?」
「はい! 後は八田くんや鎌本さんに別人と言わせていつも馬鹿にしてくる千歳くんにレディ見せ付けて」
「…………頼むから自覚しい」