「……冗談じゃねえよ」
「八田さん、もしかして昨日の今日でフられたんすか? 冗談よしてくださいよー」とか言い放ちやがった鎌本の腹に一発食らわすやる気も起きず、俺はカウンターに突っ伏してそう呟いた。カウンターの向こうの草薙さん、いつの間に隣の席に座っている十束さんがそれぞれ俺をにやにやと見守っているのが気に食わなくて、しかしこれまた言葉にする気が起きない。
ただただ、俺は逃げるように去ったいろはの背中が忘れられずにいた。
03 robin tailそもそも、いろはの気持ちに気付かされたのは、十束さんの一言が原因だ。
「いろはってさ、かわいいのにどうして彼氏がいないんだろうね」
「かわいい? アイツが? ありえないっすね」
「そうかなあ」
「性格とか」
「確かにちょっとおっちょこちょいだし向こう見ずなところあるけど、そういうのも含めて」
十束さんがカラリとコップの氷を揺らすのを見ながら、俺は話題のいろはを思い浮かべてみた。
きゃんきゃん煩いし、喧嘩っ早いし、吠舞羅の野郎どもと対等につるむし。何よりいつも俺に食って掛かってくる。
十束さんはアイツのそういう欠点全てをひっくるめて可愛いと言うのか。なんて包容力だ。
「見て見て草薙さん、珍しく八田が悩んでる」
「ほんまや……明日雨でも降るんちゃうか」
「恋する乙女だねぇ」
「それ、両方に爆弾やで」
容姿は……まあ、かわいくないわけではない。かもしれない。鎌本はいつもアイツのことを「黙ってればかわいいタイプ」と称する。くりくりとした瞳に、猫みたいに柔らかそうで細い髪。胸は男からすると絶望的だが、その分脚が……
「って俺は変態か!!」
「うおっ、突然戻ってきた」
「なんや八田ちゃん、いろはの何を想像したん?」
「べっ、べべ別に何も……!」
「わかりやすすぎ」
十束さんに示された頬が、めちゃくちゃに熱かった。違う、これはそういうんじゃなくて。なんでいろはなんか意識しなきゃいけないんだ。
「八田ちゃん、もしいろはにボーイフレンドが出来たらどないする?」
機嫌のいいらしい草薙さんが、グラスを磨きながら言う。完全に遊ばれてるのは分かるが、言われてみると。
いろはが、あのいろはが、誰か別の男と仲よく並んで歩くのだろうか。アイツ、変なとこでロマンチストだし、吠舞羅にいるときとは全く違う顔をするに違いない。
そんないろはを見て、俺は。
「……どう、するっすかね」
いや、どうもしないだろう。何も出来ないのだろう。
イラつく。
それは、猫被っておんならしく笑うのだろういろはに? それをただ眺めることしか出来ない自分に?
そこが我ながら分からなかった。
「それ、ジェラシーちゅうやつや」
「じぇら?」
「嫉妬だよ、嫉妬。八田は、いろはを取っていくおとこに嫉妬してるんでしょ」
「……嫉妬」
馬鹿げてると思っていたその感情。まさか俺が持つとは。俺はがしがしと髪をかいた。だからといって、どうすればいいんだ。
しかしそのとき、脳裏に浮かんでいた想像のいろはが、記憶のいろはへ入れ替わる。
そういえば、俺は一度見たことがあるじゃないか。いつもの俺に向けるむくれた顔ではない、幸せそうな表情。
『ありがとう、八田くん、猿比古くん! 大事にするね!』
あの笑顔が、常に誰か知らねえ軟弱な野郎に向けられるようになるのか。それは……
「……だあああ!! もうなんでもいい! 取られる前に取り返す!」
ぐずぐず考えるのは、元から俺の性に合わない。俺は立ち上がって決心した。よく分からなくても、取られたくないものは先に手にするべきだ。今日はもういろはは先に帰ったから、明日にでも。
「じゃあ草薙さん十束さん、先失礼します!」
そう言い残して駆け出したのが……昨日、だった。
×××
当たって砕けた。まさにそれに相応しい。あの後家に帰ろうにもいろはとすれ違いそうな気がして、その足のままここに来たのだが、それが間違いだったようだ。俺のテンションに大体のことを察したらしい草薙さんと十束さん、それに鎌本がそれぞれの反応を示したのだった。
「まあ八田ちゃん、別に嫌いってハッキリ言われたんとちゃうんならええやないか」
「むしろいい傾向じゃない? これをきっかけにいろはも八田のこと意識し始めるように……」
「……草薙さん、十束さん。あんたら、楽しんでますよね」
「今更気付いたっすか八田さん!」
分かってはいたっつの。むしゃくしゃしたので大袈裟に驚く鎌本を殴った。
それでもまだ、胸がもやもやする。
よく分からなくても、本気だった。本気でぶつかればいろはは応えると思った。なのに、アイツは逃げた。もしやいろははもう、誰か他の奴に笑顔を向けているのだろうか。俺を置いて、大人になっちまうんだろうか。嫌な予感が胸を過る。
「青春だねえ」
「青春やんな」
しかし何も出来ない自分に苛立ちながら、嫌な予感を押し込めて突っ伏した俺を、相変わらず緩んだ表情で見降ろす大人二人。俺は心の内で文句を吐き出したのだった。
大人なんて、嫌いだ。