「チッ。んで俺がこんなことさせられてんだよ……」
「それはこっちの台詞だこの八田ちんがぁ……」
「どこの国語教師だよ……。あー叩く気もおきねえ」
「ボケ倒す気もおきない……」
「お前ら無駄口叩かんと、はよ掃除しい!」
「はあい」「うーっす」。やる気のない声がバーに響いた。
そもそも、いろはと美咲が草薙にどやされながら箒やらチリトリやら雑巾やらを手にバーの掃除をしているのは、夕方のとある出来事が発端だった。
「いろはと八田って、いい勝負だよね」
「ええ、わたしと八田くんが!? それ、何に対してですか!?」
「いろいろ。カードとか、頭のよさとか」
「な、何言ってるんすか十束さん! 俺がこいつよりばかとかありえないっす」
「だっていっつも俺や鎌本があがって二人になると、泥沼になるじゃないか。そうだよね鎌本?」
「そっすね。正直十束さんがいる間はまだ楽しいっすけど、相手が八田さんと宮簀さんだけになると……」
「あァ? なんか言いてぇことでもあんのかよ鎌本ォ」
「しかもなんだその悲しみの表情! わたし傷ついた!」
「ボコすぞ!」「蹴っちゃうぞ!」
「ほらまたすぐそうやって……」
「まあまあ、正々堂々、ここはカードで勝負しよう」
「じゃあ、とりあえず何で勝負する?」。多々良はそう言って、鮮やかにカードを切った。
「十束さん、駆け引きっていえばポーカーが」
「役が分かりません」
「覚える意味が分からねえ」
「……ご希望は?」
「「ダウト!」」
「それって……もし宮簀さんと八田さんが残ったら勝負にならないんじゃ……」
「ま、いいんじゃない?」
各々に配られるカード。いろは、美咲、多々良、鎌本の4人の間に、電流が走った。
しかし、それから10分しない内に、ゲームは動く。
「はい、エース。これで俺あーがり」
「「ダウトォ!!」」
「残念。八田といろは、どっちがこの山とる?」
「……そんな」
「嘘だろ……」
「3っす」
「……ま、見逃してやるよ」
「じゃあ次わたしね。4!」
「っし。俺、上がりっすね」
「はあ!?」
「実はダウトだったんでヒヤヒヤしたっすけど、二人ともコールしないんで上がらしてもらいやした」
「きいいいい! こ、これでわたしと八田くんだけになっちゃったじゃん!」
「負けねーかんな!」
「こっちの台詞!」
「あいつら、何しとるん?」
「ダウトっす」
「あ? 二人でダウトとか、相手の持ち札全部分かるんやから勝負にならへんやろ」
「そうだねぇ」
「……八田さんも宮簀さんも、それに気付いてないみたいっすけど」
「……アホか」
観戦にも飽きた鎌本と多々良、それに草薙が呆れ気味に視線をやった先で。
「ダウト!」「けっ、ざまーみやがれジョーカーだよ!」「なっ、手札いっぱいで把握出来なかった!」「いろはダウト」「っはー! 美咲ちゃんばーかじゃないのー! 合ってますう!」「んだと! ちょっと手札見せやがれ!」「見せるわけないでしょ、ちょっ、やめて手ぇ伸ばさない、でッ」「ってえ! てめ、脛蹴りやがったな! こんの……!」「ったあ!! チョップはひどいんじゃないの!」
戦闘が発生した。
以下かくかくしかじか。
「お前ら、ほんっとに凝りひんやっちゃな。まあとにかく、暴れたとこはみんな綺麗にせえよ」
草薙はカウンターでグラスを磨く。磨きながら、一人ごちた。「ったく、お前らのせいで店に入りかけた女性客がまぁた逃げ帰ってもうてたやん。売り上げ分も弁償してもろたろか」。
「うう……すいません草薙さん、八田くんが喧嘩っ早いばかりに」
「先に足出したのそっちだろ」
「……あっ、そうだ!」
睨む美咲を遮るように、いろはは床を拭いていた手を止めて、ぱちんと合わせた。
「お詫びに明日、わたし1日草薙さんのお手伝いしますよ。バイトってことで」
「バイト……なあ」
「わたしみたいな看板娘がいれば、女性客だけでなく、男性客もホイホイですよ!」
「んなわけあるか」
「なにか文句でも八田くん! 八田くんも一緒にバイトするんだからね」
「はあ?!」
「何言っとるん。お前らに店番なんて任せられるかアホ。そもそも未成年やし」
「うええ! 八田くんは掃除しか出来ないかもですけど、わたしは違いますよ! お料理とか出来ちゃうんですから」
「俺だって出来るっつの」
「……まじか」
いろはは八田のカミングアウトにこの世の終わりのお告げを聞いたような顔をした。まじか。……まじでか。
「どーでもええけど、はよ終わらしいな。俺はちいと野暮用があるから出るわ。帰るまでにはぴっかぴかにしとくんやでー」
そう言って、草薙は些か面倒そうにドアのベルを鳴らして夜の街へ出ていく。「行ってらっしゃ……い、って、速」。去った背中に向けたいろはの言葉がぽつりと響く。
「…………野暮用だってさー」
「だからなんだよ」
「別に? 草薙さん……野暮用かあ……」
八田くんと二人にするなんて冷たいな、という意味を込めて、いろはは放心気味に呟きバケツに張った水に雑巾をぴしゃりと叩き入れた。
しかし数瞬の後、何を勘違いしたのか、美咲が慌てだす。
「な、ななな何考えてんだいろは! おま、それ、それはねえよ! 草薙さんに限ってそれは……!」
「八田くんのが何考えてんだ」
「あ?」
「……えっ、うわもしかして八田くん、まさかまさか草薙さんのあんな秘密やこんな秘め事を想像しちゃったんじゃ」
「う、うるせぇ! んなワケねーだろ!」
「はっはーん、女の子に慣れない美咲ちゃんはこれだからー」
「んだよ、お前が意味深に呟くからだろ! いろはだって実はちょっとかんが……くっ」
「最後まで言う前に照れるなあああ」
こっちまで恥ずかしくなってくる! と、手元にあったスポンジを投げ付ければ、案の定美咲は顔を真っ赤にしながらもいろはの投げたスポンジを投げ返そうとした、のだが。
くうう。
どちらともなく、切ない音が空に響いた。そういえば、夕方の件があって、二人は何も口にしていない。流れる無言の沈黙。時計の針がやけにうるさかった。その間、お互いの切り出し方や言い訳を探るような視線がかち合う。
いろはは、なんでもないのを装うように、美咲から目を逸らしては切り出した。「……あのさ、八田くん」
「提案があるんだけど」
「内容によるな」
「え、なんでプレッシャー?」
「その程度の内容か」
「ちっちーがーいーまーすー!」
「チッ。ならなんだよ」
こほん、小さく咳き込んで仕切り直し。いろはは、美咲の目をじっと見つめて、不敵に笑って見せるのだ。
「お料理で勝負しようよ」
「望むところだ」
one day
「焼き飯に何入れてんの八田くうううん!!」
「パイナップルだよ何か文句あっか! っ、お前もシチューに何入れてんだよ!」
「へ? リンゴだよリンゴ」
「リンゴ!?」
並べられたパイナップル入り八田ライスと、リンゴ入りいろはシチュー。
八田ライスが実は案外美味しかったなんて、いろはシチューが実は結構いけたなんて。いろはは、美咲は、言えるはずもない。