(3話、HOMRAでのシーン後)
「草薙さああん!!」
八田と入れ替わるようにバーに響いた大声に、地図に集中を戻そうとしていたアンナは身を硬直させた。八田たちが去って、一瞬静かな空気が流れたというのに。
それからガラス玉のような瞳に声の主を映す。空気をぶち壊した犯人は、吠舞羅には珍しい女子構成員のいろはだった。
「聞いてくださいよもう!」
「そない突然飛び込みおって、どないしたん? 女の子なんやからもうちょっとばかりはアンナ見習って」
「アンナちゃんはマスコットだからわたしとは別ですって」
「アンナちゃんはかわいさ担当だもんねー」。煙草を片手に先程割れたグラスの回収をせねばとしゃがみかけていた草薙は、サングラス越しに、アンナの隣に滑り込んでちょっかいをかけるいろはを見た。頬に空気を溜めて膨らませるのはいかにも女子らしい仕草だが、その頬に返り血を拭ったらしき跡がある。女子といえども血気盛んな吠舞羅の一員であることを伺わせていた。
「……じゃあ、いろはは?」
「そうだなー、わたしは……お色気担当?」
「アホ」
「うわっ草薙さんひどい! 八田くんにさっきそこですれ違うとき『バァカ!』って超自慢げな顔で言われたばっかりなのに!」
「またあいつと喧嘩しおったんか。しょーもない」
「だから聞いてくださいってばー。伊佐那社の有力だと思われる情報を八田くんより先にゲットしたんですよ。で、ソッコーで向かったら雑魚が何人もたかってわたしを引っ掛けやがったんです!」
グラスを大方拾い上げて身体を起こす草薙。「モップは……」と呟くと、ずい、と棒が目の前に迫った。驚きと反射で身を逸らすと、いろはが未だ頬を膨らませたまま床の掃除をしだした。
「まあ余裕勝ちでしたけども! それで八田くんたら、わたしのちょっとしたお茶目なドジを馬鹿にしてきたんです。どっから聞いたんでしょうね、手柄取ろうとこっそり一人で行ったのに。信じらんない!」
「まあまあ。彼なりの慰めかもしれへんよ?」
「あ、り、え、な、い!! そんなことあったら明日空からビー玉降ってきますよ!」
「……楽しそう」
大声で怒りを表すいろはにカウンターを傷つけられないか心配げに見ていた草薙だったが、声は荒げる割に、それをモップにぶつける気はないらしい。カウンターに寄りかかって、「八田くんなんて八田くんなんて鎌本さんなんて……」をBGMに煙を燻らせた。
それにしても。
「いろは、さっきちらっと聞こえたんやけど」
「はい?」
「引っ掛けられたとはいえ、雑魚い男たちが屯する中に単独で行ったって言いおった」
「ええ、まあ」
ことりと首を傾げるいろは。どうやら一通り掃除は終わったらしい。草薙が一瞬黙った隙に、モップを片付けに向かった。
「勝てたからええけど、もし適わなかったらーとか、考えてみたこと、あるんか?」
「ありません」
いろはは草薙の溜め息が聞こえた気がしたが、気付かないふりでカウンターに腰をかけた。これでも吠舞羅の一員なのだ。女だからって舐められては困る。そう思いつつ草薙の方へ身体を向けた、とき。
「こうやって迫られたら、どないしてたん? お色気担当はん?」
「……っ!!」
至近距離。彼の顔が迫っていた。いろはは目を見張る。サングラス越しの眼光は鋭くて、いろはは逃げられない。息が鼻先にかかった。近い近い近い近い! 唇が衝突してしまう!
「もうちょっと自覚せなあかんよ」
思わず目を瞑ったが、唇に感触がくることはなく。こつん。額に軽いでこぴんをされる。痛みに思わず目を開いたが、それからその手がいろはの頬に添えられて親指で擦られた。状況を理解できず呆けるいろはに、「ん、とれたとれた」と優しく微笑む草薙。どうやら残っていた血の跡を落としてくれたらしい。
「これで少しは色気でるんちゃう?」
「く、くさな、草薙さ、ん」
「掃除してくれたお礼せな。オレンジジュースでええなー」
草薙はあっさり、グラスを取りにいろはから離れた。いろはは慌てて我に返る。
「は、はい!」
一瞬振り返って笑みを見せてはいつもの調子で用意をし始める草薙を、ただぼうっと見るしか出来ないなんて。少し乱暴に擦られた頬が、熱かった。
「……顔、赤い」
「あ、アンナちゃん! しいっ!」
surprise attack