ネモフィラ外伝 星影十夜
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ネモフィラの渓谷
外伝 来し方の姫君(中)
「ありし雲居、いづくにかあらむ。はろばろ来し西の方、めずらしき花々さばかり変はらず――」
ここ数週間、カイザは語り部の許からしばし遠ざかっていた。行きたくない訳ではない。だがつい最近国王に息子が生まれた。ゆえにその執務を肩代わりし、忙しい日々が続いていたのだ。
カイザは今まで音読していた本をしみじみと眺めた。
縁がほつれ、色褪せている。リリスが売り付けたこれらの品々は、確かにドーラ製だった。
例えばこの本。表紙には古ドーラ語で「日記帳」と書かれ、金色の繊細な模様が描かれている。しかし中に書いてあったのは日記と呼ぶには程遠い代物だった。
それはある一つの物語――語り部が語っていた悲しいお話。何ページにも渡って手書きで書かれてある。
所々、染みのようなものが見て取れた。それを涙の跡と取るべきか。それとも雨の雫――空想を並べたてたところで本当のことなど分かるはずもないが。
カイザは本を置くと、漆塗の小物を手に取った。
黒は決して明るい色合いとは言えないが、それでいて目を引く。紅い花と金の葉。たった今芽吹いたばかりのような瑞々しさは、見る者の心を掠め取っていった。
文献によるといわゆる櫛〈くし〉と呼ばれるものらしい。だがシザールでは一般に別のものが普及していたため、カイザの目にはひどく珍妙なものに映っていた。
彼はつつ、と表面を撫で、指の腹で滑らかさを確かめた。恐らく男が持っていても使い道はない。だが、珍しいものが好きなカイザはなんとなく嬉しくなった。
「綺麗だな」
彼は恍惚と見入る自分の声が妙に遠く感じられた。
隣りの部屋から赤ん坊の声が響く。弟キースとリオンの息子レヴィは、今夜も泣きじゃくっているようだ。と、一分も経たぬうちに部屋の扉が叩かれた。そう来ると予想していたカイザは「あーあ」と呟いて相手を招入れた。
「陛下、また喧嘩されたのですか」
「……うるさい」
呆れ返った表情でなじると、弟は膨れっ面を向ける。
彼はソファへ腰掛けると深々と溜息を吐いた。それはどこか罪を犯して逃れてきた罪人に似ていた。避難所にされるなど迷惑この上ないが、相手も相当参っているのだろう。
「レヴィ様は、どうして陛下に懐いてくれないのでしょうね」
カイザも同様に腰を降ろした。
「知らない内に何かしたのでは」
「それは俺が聞きたい」
二人同時に肩を落とし、うなだれる。子育てに不慣れな彼らは、最早お手上げ状態だった。
というのも、レヴィは父親の顔を見る度怯えるのだ。抱こうとしても駄目。挙句の果てに妻リオンは息子に掛かりっきり。となるとキースは構って貰えず、拗ねてしまっていた。
「……ったく。しっかりしろよなー……」
仮にも国王だろう――というよりも、身分云々の話を置いておいても、父親として情けない。不器用過ぎる弟に、柔和な笑みが引きつった。
「キース、この前教えてあげた笑う訓練してみた?」
「誰がするか」
すかさず放たれた拒絶。そんなんだから無愛想なんだよ、と思いつつ頭を抱えた。
キースは普段からあまり笑うことがない。加えて不機嫌オーラが漂っていれば赤ん坊でなくても怖いだろう。
「しょうがないなぁ。……ま、そんな暗い顔するなって。ほら、良いものがあるんだ」
陽気な言葉に王は面を上げた。兄とその手中に収まっているものを見つめる。
それはリリスから受け取った手鏡だった。
弟は納得の頷きを返し、手から手へと渡された鏡を物珍しそうに観察し始めた。
「ほう……。見たところドーラ製だな。それも王家が使うような高級品だ。どうしたんだ」
「ちょっとしたツテでね」
他にもあるんだ、と立ち上がった。
小机に置かれた漆塗がランプの灯にてらてらと照らし出される。どうせなら何個かリオンちゃんにあげるのも良い。そう告げながら、弟の前に三点の品を並べた。
「良いのか、折角の良品なのに」
「僕としては、陛下皇后ご夫婦が仲睦まじい様は願ったり叶ったりなんですよ」
遠回しに、早く息子に懐かれろと告げる。キースは居心地が悪そうに眉をひそめた。
「言われなくても分かってる」
無愛想な返事が返った。すると兄は一層笑みを深くし、膨れっ面の弟を酷く満ち足りた気持ちで眺めた。
そしてふと、父王も満足してくれているだろうかと言う思いがカイザの脳裏を過ぎった。
亡き先代、父王――呼び方は何であろうと構わない。つまり、彼達の父親である。
父王は実力主義の国に相応しい厳しい人だった。しかし徹底した公平さにより慕われてもいた。
カイザは彼の代わりに、成長したキースを目に焼き付ける。
不器用で頼りない部分も多々あるけども、父王に負けず劣らず優秀だ。そんな弟と幼い頃から変わらぬやり取りを出来ることに頬が緩んだ。
なぜなら継承争いにおいて血で血を洗う行為は何ら珍しくない。キースが継承争いに加わると決心した時、兄カイザは当然邪魔な存在だったはずだ。したがって、その時点でカイザは抹殺されていても不思議ではなかったろう。だがこの弟は、兄と共に歩む道を選んだのだった。
キースは結局、漆塗の櫛と紅い手鏡を持って行った。あげちゃって良かったのかなー、と今更ながら不安になる。
「これでリオンちゃんとも仲直り出来たら良いけどね……」
カイザは取り留めもないことを考えながら、国王の背中を見送った。
その黒髪を見て自信満々な語り部を思い出す。彼は久し振りに彼女の口から語られる物語を聞きたいと思った。以前の呟きも、少々気がかりである。密やかに胎動し始めた不安と共に、ゆっくりと扉を閉めた。
◇ ◇ ◇ ◇
次の日、カイザは朝食を済ませて自室で執務に勤しんでいた。 政治にさほど関心を抱いている訳ではない。だが王子ともなると無関係であることは難しいものだ。彼は出国願書に目を通しながら、了承のサインを書き記していった。
侵略戦争が終結してから今年で早二年。否、たった二年。各地に傷跡を残し傭兵の残党がのさばっている中、とてもではないが「治安維持は万全」とは言えない。
そのため密入国などを避けるために、国内外の出入りを厳しく取り締まっているのだ。
カイザが次の書類に手を掛けようとした時分、室内に控え目なノックが響いた。
不思議に思って開けてみる。と、そこにいたのはキースだった。今日はレヴィの泣き声が聞こえなかったため、少々意外だった。
「どうしたの、こんな朝から」
するとキースは、昨夜贈った品のうち一つを差し出してこう言った。
「……やっぱり、これは返す」
「え、どうして」
自然と飛び出た疑問に、キースは目を逸らした。だが目の前にいる人間は、彼が素直になれる数少ない人物なのだ。弟は相変わらずの仏頂面でぼそぼそと理由を述べた。
「この櫛は、少しリオンに派手すぎる気がするんだ。だから、気持ちだけ有り難く頂いておく」
「あー言われてみれば……」
優しい雰囲気のリオンには、黒は些か主張が強過ぎるのかもしれない。手鏡のほうは今日妻へあげるつもりだと言う旨を伝え、キースは身を翻した。
その場に残されたカイザは手の中に残った櫛を一瞥した。
彼は、返ってきた櫛に安堵を覚えていた。腹の底からむず痒い自嘲が湧き起こる。
――お気に入りだったなら最初からあげなければ良かったのに。
彼は一人、昨夜の自分へ助言を送った。それから緩慢な動作で座席に戻り、崩れ掛けた書類の山を整頓する。
サイン済みは右、サイン無しは左。しかし、なんとなく仕事を続ける気分ではなかった。
「今日は気が乗らないなぁ」
と、不意にあることを思い立つ。
「……そうだ、リリスを訪ねる良い機会かもしれない」
芽生えた案は心の中で静かに広がり行く。彼は素早くコートを羽織った。そしてやり掛けの仕事を残したまま、颯爽と部屋を出ていったのだった。
廊下に足早な靴音が響く。
途中、カイザはリオンに出会った。キースの妻は息子を抱きかかえながら無邪気な笑みを浮かべ、
「カイザ様、お出かけですか」
「うん、友達に会おうと思って。――例の、語り部さんね」
「ええと……リリスさんでしたっけ」
「そ。レヴィ様におみやげも買ってくるよ」
「ありがとうございます。お帰りになられたら、是非レヴィにも色んなお話を聞かせてあげてくださいね」
とにこやかに送り出された。
カイザはふわふわした少女に笑顔を返し、レヴィに手を振る。そして再び歩み始めようとしたのだが、またすぐに呼び止められてしまった。
「あ! あの、カイザ様!」
「ん? どうかした?」
「思い出したのですが……つい先程、入国管理部の長官が書類を早く提出してくださるようにお伝えしてほしいとおっしゃってました」
「ああーそっか。分かった。わざわざありがとう、リオンちゃん」
穏やかに礼を述べると、今度こそ歩き始める。
彼は肌寒い外界へ足を踏み入れると、雑踏の中に消えていった。
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