005





ついにこの日が来てしまった。大丈夫。大丈夫。辛くなんてない。だって今までずっと幸せだった。名前が無くたって、彼に私を見てもらえるだけで十分幸せだったし。傍にいるだけでドキドキして。素敵な初恋だったと胸を張って言える。だからこれから他の誰かと生涯過ごす事になったって、後悔なんて一つも無いんだ。だから笑顔でばいばいって。倉間も素敵な女の人と結ばれるといいねって。こんな酷い世界だけど、きっと結婚して子供が出来れば幸せって思えるよって。言うんだ。

ねえ、倉間。

倉間、倉間、クラマ、くらま……

…駄目、だよ…無理だよ…、倉間以外の人なんてやっぱり私には無理だよ…。仮初の幸せの中で生きていくなんて出来っこないよ。ごめんね、ごめんね、倉間。私、やっぱり倉間の事が――…


「No.e-500」


呼ばれた。奇妙な機械音が小さな部屋に響く。倉間と物心ついた頃から一緒にいる部屋が、ひどく静まり返った。まだ授業の始まらない朝早くだ。私は気が重いと感じつつも、時間に間に合わないと厳しいバツを与えられる事を知っているから身支度は完璧である。一応形は施される結婚式。顔は知らない、声も性格も。ああ気がおかしくなりそう。

「じゃあ、倉間。…ばいばい」
「……おう、幸せんなれよ」

彼のぶっきらぼうなもの言いが好きだった。彼の何気ない優しさが好きだった。彼の私と少ししか違わない身長が好きだった。彼の声が好きだった。
幸せになれよ、か。倉間がそう言うなら、相手によってもしかしたらなれるかもしれない。じわ、と熱くなる目頭。倉間との別れが寂しいとか苦しいとか、そういうのとは別に。倉間から「行くな」なんて言って欲しかったわけでもなく。ただこれからの倉間の世界から、だんだん“わたし”という存在が薄れて消えていくのがたまらなく怖い。いつか私の世界からも“くらま”という存在が薄れて消えるのも怖い。全部が怖くて仕様が無い。
簡単な話、傍にいたい。それが無理なんて分かり切っている事なのだけれど。もう、会えないんだと思うと、無償に。なんとかならないのかと。自分の中で自分を責めてしまう。それから私が無力な事を思い知らされる。

様々な事が頭を巡るが時間は過ぎて行く。「行くね…」と覚悟をして扉に手をかけるのと同時に。

「…ハッピーバースデイ」
「え…?」

ふわりと、首にかけられたそれは歪な形をした石に穴を開けて通してあるだけの一見不格好なペンダント。でもこれが彼にとってどれほど大事なものなのか、私はよく知っている。

「倉間っこれ…!!」
「誕生日プレゼントにしては最高にかっこ悪ィけど、…お前に持ってて欲しい」
「でも…」

ぽろ。ああ、泣かないって決めてたのに。ぽろ、ぽろ。次から次へと溢れだす涙に制御がきかない。これじゃあ、ますます別れるのが辛くなる。ますます彼への想いが強くなる。

「くらっ…ま…っな、んでっ…」
「これから先、俺はお前を守る事が出来ねぇ。だから代わりに俺の親父に任せる。すっげー腹立つけど」

お互いに見つめ合う。倉間は私の涙を拭ってくれる。


逃げようぜ。


彼が告げた言葉に私の涙が一瞬止まった。


ここから、私達の苦しく滑稽な逃亡劇が始まったのだ。

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