「里香。」

短く名を呼び、眠る彼女の頭を撫でる。彼女の白く美しい体にはしる無数の傷に、強く心臓を握り締められた気がした。

“―里香さんは記憶を失っています―”

先程先生から告げられた言葉が反芻する。

ひとまず手術が終わったから、と三成へ連絡する為に小一時間程席を外した間に目覚めた彼女を診断した先生によって、仮定だった話がいよいよ現実となった。

先生曰わく、彼女の記憶喪失は頭を強く打ったことによって起きた一時的なものらしい。ただ、その失われた記憶がいつ戻ってくるかは分からない。

ただ、断言できる事は今の彼女の中にワシ―徳川家康―という存在は欠片も無いのだ。

「…こんな酷い男の存在など、里香にとっては無い方が良いかもしれないな。」

これは天がワシに与えた罰なのだろう。
ワシはいつも彼女に今のワシと同じ。いや、それ以上の気持ちを味あわせていたのだ。

「家康、里香はどうだ。」

静かに病室のドアが開かれ、三成が入ってきた。手には一通の手紙を持っている。

「お前に連絡していた間に一度目覚めたらしい。今はまた寝てるよ。」
「そうか。」

三成は眠る彼女をしばらくの間見つめる。そして持っていた手紙をワシへ差し出した。

「半兵衛様から貴様に渡すように預かった。記憶が戻るまで里香は有給休暇扱いにする、と。」

半兵衛殿の気遣いに心から感謝する。
その旨を三成に伝え、渡すものは渡したと病院の入口へ向かう彼に付いてワシも入口へ向かった。

玄関の自動ドアをくぐる直前、彼は言った。

「貴様がどうなろうと私は構わない。ただ、貴様のおかげで里香の心は傷ついた。今、記憶が無くても里香の心が傷ついたままであることには変わりはない。それだけは忘れるな。」

その言葉はワシの心に突き刺さった。全くその通りだ。
目を伏せ「ああ」と返事をし、次第に小さくなる彼の後ろ姿をぼんやりと眺めた。



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