つい先刻まで静かな暗闇で眠りについていた僕は、突如として大きな力に引き寄せられた。 それはまるで忠興様のお側に仕えていた頃に戦へ出る前の夜のような気配。 ああまた人の子に振るわれる刻が来たのだと、血に濡れ主を守る役目を果たす刻が来たのだと。 「全く、いつもいつも人の子は唐突なものだね。」 其れだからこそ面白い。 また暫く人の子に寄り添って、時勢の流れに自らを投じてみようか。 僕を引き寄せる力と同じ方向に見える、一筋の光に向かってあるはずの無い手を伸ばす。 …つと、それを誰かに掬われた感覚を覚えた。 此度は何かがおかしいと、疑問に思ったのも束の間。 「初めまして、歌仙兼定。」 今日から私が貴方の主人として暫くの間務めさせていただきます。 目の前には白い布で顔を隠した髪の長い人の子。 どんな表情なのか、どんな容姿なのか、全てはその布の奥でちっとも分かりゃしない。 だが、何処となく力を感じる。 僕を、人の子を殺すことのできる道具を、人の子を殺してきた道具を、その手できちんと扱える力を。 「君が僕の新しい主人となる、か。詳しく説明してくれないかい?」 そもそも何故僕は人の子と同じ様な姿になっているのか。自らの手を閉じて開いて。ああ、これは人の子のものと寸分違わない掌だ。 今まで見えるや聞こえるといった表現は、確かに使ってきた。だがそれは感覚的なものであって、器物である僕は実際に見ることも聞くこともできない。だが、今はそれが何故かできる。 本当に言葉通りに物事を見たり聞いたり触ったりができるのだ。 「それについては不肖、私めがお答えしまする。」 そう目の前の人の子の背後から出てきたのは神使の狐。 自らをこんのすけだと名乗る彼によると、目の前の人の子は審神者と呼ばれる霊力を持った者らしい。 近年、俗に歴史修正主義者と呼ばれる者たちが過去を改変していく事件が多発している。そこで今の時の政府が出した結論が、霊力を持った人の子を審神者とし、僕をはじめとする刀剣の付喪神を人の子と変わらぬ姿で具現化させ、歴史修正主義者の蔓延る過去へと向かわせて闘わせるというもの。 長い間人の子に愛された器物には付喪神と呼ばれる神が宿る。その者たちの力を借りることができれば、例え強大な敵でも立ち向かうことができる。 そう政府は考えている、とまあなんとも都合のいい話といえばそれまでの話。 「だが、歴史が変えられてしまえば、多少なりとも僕たちにも被害が及ぶのだろうね。」 例えば現在でも僕と同じ様に存在する刀剣たちが消えてしまったり、反対に現在では所在が不明確の刀剣たちが存在することで未来が変わったり。 「全く、その通りでございます。」 彼は頷いた。 「なるほど。つまり、僕たちに未来を守らせるために過去を変えない様に闘わせる。今までの主人をー僕で言えば忠興様だねーを見殺しにする過去であったとしても、現在記録されている通りの歴史になるように歴史修正主義者を狩り取れ、と。僕たちが今までの主人を取って、その人の子を斬り殺す可能性が無いこともないだろうに。そうしてその人の子は政府にいい様に利用されている訳だ。」 そこまで言い切ってふと笑みが零れる。 なんとまあ自分の都合のいい、身勝手なことか。これだから人の子の世は面白い。 大勢の利の為になら個人を殺すことを厭わない。それが世のため主のためなどと大義名分を掲げ、地位と権力と金を持つお偉方だけが勝利の美酒を啜り下層の者は命を散らす。 すると、隠すことなく笑う僕に向かって目の前の人の子は言葉を発した。 「私は、幼い頃に私の眼の前で母親が歴史修正主義者に殺される瞬間を見ました。」 母親もまた、私と同じ様に審神者としての霊力を持っていました。そして同じ様に政府に請われ、付喪神を具現化させて闘っていました。それを歴史修正主義者に狙われ、霊力が最も薄まる朔の夜を狙って槍で一差し。呆気ない最期。 「歴史修正主義者に復讐をしたい訳じゃ無い。ただ、私の様な思いをする人が未来に少しでも存在しない世を作れたら。」 多少なりとも力を持つのなら、持たぬ者を救うために踏み台にされても良いと思っているのです。 それが私に霊力があると母が気付いた時からずっと、言われてきたことだから。 何故この世に力ある者と力無き者が存在するのか。それは力ある者は大いにその力を振るい、力なき者を護るために存在するのだと。 「それは偽善じゃないのかい。」 「そう言われればそうでしょうね。それでも私は是と言った。だから歌仙兼定、貴方を具現化したのです。」 細川忠興公の側で、彼の嫉妬で、三十六人もの人間を手打ちにした貴方ならどれ程人間が脆いものかよく分かっていると思ったから。 当時の権力者の側に仕えていた貴方なら、力ある者が力無き者を護る様を、また反対に力ある者が力無き者を淘汰する様を見てきたことと思ったから。 「全く、君は面白いな。」 僕の本質が人の子を殺す道具であることを理解した上で僕を使おうというのだから、全く面白い。 「いいだろう、君を僕の新しい主人として認めるよ。共に闘おうじゃないか。」 久々に人の子と共に生きてみるのも悪く無い。ここまで偽善の心に惑わされている脆い子を見たのは初めてだ。この子供の本質を、偽善で包まれた心の奥底を、表へ引き釣り出してみたい。 それはきっと暗闇でまた一眠りするまでの暫くの間、良い暇つぶしになるだろう。 「ひとつ宜しく頼むよ、主人殿。」 そうして僕は彼女の手を取ったんだ。
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