彼はずっと同じ事を言うのだ。
半年後が、お前の人生のターニングポイントだと。血の粛正という事件が起こって、ボクは両親を失ってルインのフロルおばさんの家に居候しているのだが、これはターニングポイントではないのだろうか。
『そろそろ、だな』
「…ねぇ、なにが始まるの?」
『もうすぐわかる』
彼、エミルは、ボクに色んな事を教えてくれた。世界再生の前の勇者の話しや、世界再生を成し遂げたロイドの話し。あと、魔物の事とかシルバラントとテセアラの事、それに剣の使い方まで。ぶっきらぼうだけど、丁寧に教えてくれた。
それなのに、最近はもうすぐわかるの一点張りで、何も教えてくれなくなった。どうせ食らいついても答えてはくれないのは目に見えてるので、ボクはとりあえず朝食を食べにリビングに向かった。
「おはようございます、…フロルおばさん」
キッチンでスープの鍋をかき回していたフロルおばさんに挨拶をすると、外から遠吠えが響いてきた。ピクッと一瞬体を硬くしたが、エミルの来たという呟きで意識がそれた。
「あ…。今の遠吠え……」
「明け方から、シノア湖の湖底に魔物が入り込んでいるのよ!」
「(今の魔物の声なんだ…)す、すみません…」
「なんでクリネが謝るの?」
「あ……あの…(おばさんが怖いからって言ったら、やっぱり怒るよね?)」
『まぁ、怒るだろうな』
ボクがこの家に来たのは半年前が初めてで、人見知りの激しいぼくが一人で一般的な挨拶が出来るはずもなく、ウジウジしてしまい叔母夫婦に気に入られなかったのだ。エミルにももっとシャキッとしろと言われるざまである。
「嫌な子、いつもぐずぐずしてて、まるでラナ姉さんに似てないし。きっとレイソルの血が濃いのね」
「………ごめんなさい…」
早く食べてちょうだい、と言われて差し出された温かいスープと少し硬くなったパンを受け取って、もそもそと朝食をすませた。
(今日のスープ美味しいな…)
『…それ、口に出してみろよ』
(そんなの、出来ないよ……)
言ってもきっと怒られるのだから、黙って食べてた方がいいに決まってる。それに早く食べてと言われてるし。早く食べて散歩に行こう。家にいてもする事もないし、邪魔になるだろうし。
『負けず劣らずだな』
(なにが…?)
『いや、こっちの話し』
朝食を食べ終わると、ボクは家を出た。外に出てもやる事なんてないのだが、家にいてフロルおばさんの手伝いをしても、どうせ文句を言われるのがわかっているのだ。嫌われてるのは、自分自身なのだから。
(今日はどうしよう、友達なんていないし)
そんな時、またあの遠吠えが響いてきた。
「また魔物の声……」
『噴水広場の方からだな』
どうする、とエミルが尋ねるが、なぜだか副音声で行けよと聞こえるのはボクの気のせいですか?
でも、他に行く所も無いし、エミルがこんなに急かすのも珍しいし、ボクはゆっくり噴水広場に足を運んだ。でもあんまり噴水広場には行きたく無いのが本音である。あそこには両親を殺したロイドが英雄として銅像になっているからだ。街の皆がロイドの像の前を通るときには、必ず立ち止まり深々と会釈をするのだ。
(どうしてみんな、ロイドの像なんかに挨拶するんだろう…。ロイドは、ボクのお母さんとお父さんを殺したのに)
唇を噛み締め、そのまま通り過ぎようとしたとき、背後からいかにも意地悪そうな声がした。
「おい、クリネ見たぞ」
「ロイド様におじぎしろよ」
近所に住む双子のジダとモルだ。彼らのことはあまり好きではない。いつもボクを見つけるといい獲物を見つけたと言わんばかりに絡んでくるのだ。
「えっ、…し、したよ……」
「してねーよ」
「してねーよ」
一人だけでも厄介なのに、二人に声を揃えられては何も言えなくなってしまう。それはもちろん、恐怖的な意味で。
(どうしよう……見られてたなんて気づかなかった)
『注意力散漫しすぎなんじゃねーの?』
「おまえやっぱりロイド様が嫌いなんだろ」
「だからロイド様が再生したこの街を壊そうとしてるんだな」
「な、なんのこと………」
『こいつにそんな度胸ないと思うけどな』
エミルの言う事はその通りだとしか言えないが、エミルの声が聞こえない二人はとぼけるなよ、と言って逃げられないように両側から体を寄せて来た。
「おまえが来てから、シノア湖が涸れて魔物が増えたんだ」
「おまえ、バケモノ使って街を襲わせようとしてるんだろ?」
「ち、ちがうよ……」
『今その力があったら、街よりもまずてめぇらを襲わせる』
エミルもエミルでなに怖い事言ってるんだよ。双子に聞こえてなくてホントよかった。聞こえていたらと思うと泣きそうになる。
「じゃあ証明しろよ」
「えっ………」
「ロイド様の像に忠誠を誓え」
「そうすれば信じてやるよ」
どうせ忠誠を誓った所でこいつらの行動は変わんねーだろ、とエミルは思っていたが、それをクリネに伝える事はしなかった。此処ぞと言う時にはちゃんと勇気を出せる、クリネはそういう奴だとわかっているからだ。
「さあ、誓えよ!」
ロイド像の前に立たされ、言うか言わないかを考えながら小さく震える。それはそれ程長い時間ではなかったが、クリネはバッと振り返り叫んだ。
「お母さんとお父さんを殺したロイドに忠誠なんか誓えるもんか!」
エミルは小さくよく言った、と誇らしげに呟いた。やっぱりこいつは俺だからな。しかし、エミルとは裏腹に双子はもう笑ってなどいなかった。
「聞いたぞ」
「それが本音だな」
「あ、ち……違うよ…今のは、そういうんじゃ……」
「黙れ!バケモノ!」
「成敗してやる!」
乱暴に突き飛ばされ、華奢なクリネの体はそのまま後ろに吹っ飛んだ。女なんだから少しくらい手加減しろ、と思ったのは案の定エミルである。
「うわぁっ!?」
クリネはちょうどそこに歩いて来たらしい青年に背中からぶつかると、尻もちをついてしまう。お尻が痛むのを我慢しながら、慌てて顔をあげると、にこりともしていない顔が見えた。
(うわ、どうしよう……)
『(うわ、って案外失礼だよな)』
青年は以外にも手を差し伸べてくれた。だから、以外にもとか失礼じゃないのかって。とか言ってるエミルはそっとしておこう。青年は、ボクを立ち上がらせると双子に向かって言い放った。
「……失せろ」
「…な、なんだよ…」
「……失せろ!」
自分に言っているのでは無いと理解しつつも、ビクッと反応してしまうのは癖なのだろうか。自分が少し情けなくなった。だが、双子も怯えた様子で、走り去って行くのをみると、自分だけが怖いと思っていたワケではなさそうだ。
「あ……あの………」
ようやく立ち上がる事が出来たので、おずおずと口を開いた途端、目の前の青年がハッと息を飲むのがわかった。眼光がさらに鋭さを増して怖い。
「……おまえは!?」
「は…はい……?(…こ、怖い)」
『それより、近い。キモい。離れろよ』
質問の意味がわからない。ボク何かしたっけ?ちゃんと聞き返した方がいいのだろうか。エミルに言われた通りに離れたいが、蛇に睨まれた蛙とはこの事で、怖くて足どころか口すら動かせないのである。しばらく青年はじっと見つめていたが、ふいにその眼光から鋭さを消す。
「…なんでもない。おまえ…もう少ししっかりしろ」
青年が歩み去ってしまうと、ようやくひと息つく事ができた。でもまだ心臓がバクバクしている。
「怖くてお礼が言えなかった…。こんなだからぼく、友達ができないのかな…」
『まぁ、ウジウジしすぎてるとは思うな。もう少ししっかりしろ、とは俺でも言いたくなるな』
「うー……しっかりしろ、か。そうだよね。やっぱりさっきの人にちゃんとお礼…言わなきゃ」
ありがとう、って言えばいいんだ。それだけの事だよ。ぎゅっと拳を握りしめて、ボクは走りだした。