目が覚めたら、無機質な白い壁とたなびくクリーム色のカーテンが視界に入った。いつの間に眠ってしまったのだろう。身体を捩って窓の外を見ると、まだほのかに明るかった。 仕切のカーテンを開けた先には誰も居ない。晋助はどこに行ったのか。わたしの荷物は、机の上に置かれていた。必要なものは全てそろっていたし、足下は確かだったから、晋助が戻ってくる前に帰ろう、そう思ってバッグを肩にかけたとき、保健室の外から晋助の声が聞こえた。それは確かに、いつもの声より低くて、鋭いものだった。 「もう二度と、名前に余計なことするんじゃねェ。テメェとはとっくの昔に縁を切った筈だ。二度と俺の名前を出すな。二度と名前に連絡するな。いいな。」 そっとドアに寄って耳をそばだてると、確かに晋助はそう言っていた。なんであの女のせいだとわかったのかは知らないが、どうせあの女のことだから、わたしと電話をした後、晋助にも連絡を入れたのだろう。 ドアから離れて、ゆっくりとソファに腰を下ろした。あの女は、わたしと晋助の間を引っかき回したのに、今じゃ幸せにやっている。そう思ったら、なんだか笑えた。あの事件のことを最初から思い出してみる。 あの女はわたしの直感通り、妊娠などしていなかった。ただ、晋助の本命という場所が欲しかっただけだった。でも、浮気をしていたのは事実だった。そのことも、当時のわたしは薄々気づいていたのだけれど。 それじゃあ何故、何度浮気をされても許してきていたわたしが、あの女の件を許せなかったのか。それは正直、自分でもよくわからなかった。でも今ならわかる。多分、限界だった。それだけだ。 そしてわたしと晋助は別れることになった。8月の初旬のことだった。 ゆっくりと保健室のドアが開いて、ふと視線をやると、白衣を脱いだ晋助がいた。電話は終わったようだ。 「起きてたのか…。身体は?」 「もう大丈夫よ」 「そうか」 お互い、次に発するべき言葉が見つからなくて、沈黙が続く。野球部のものと思われる複数の声だけが、保健室に響いた。 「なァ、名前」 「ん?」 「責任、取らせてくれねェか」 「ああ、さっきの。あれは、気が動転してて…。気にしないで?」 「知ってるか。お前、嘘つくとき、左耳に髪をかけるんだ」 「…っ」 「俺はお前を、諦めてない。それは前にも言ったはずだ」 「そう、だっけ」 「もう悲しませたりしねェ。…つっても、今更信用できねェだろうが…俺は本気だ、それだけは覚えておいてくれ」 「わかった。…そろそろ帰ろう」 「あァ」 荷物をもって戸締まりを確認して、保健室を出る。並んで歩くといつも思う、この人の隣を歩くのは、わたしじゃないほうがいい、と。それでも、やっぱり、他の女には譲りたくない。そう思ってしまう自分が、大嫌いだ。 視界が揺れて、ああ泣いてしまう、そう思ったときには遅かった。晋助の大きな手が後頭部を包んで身体をそっと寄せられる。いい歳して職場で何してるんだろう。そう思いながらぎゅっと晋助の肩に顔を埋めたのは、西日が眩しいからだ。 |