side:真穂
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そろそろ帰ろうか。
そう思って静かに立ち上がる。
「また来るね」
返事が帰ってこないのはわかっている。
それでも私は、毎日そういってここを離れるのが癖になっていた。
「随分とまぁ、追いやられてるもんだ」
ぼそりと聞こえた声に、振り返る。
声も聞き慣れない。
姿も知らない。
そんな自分よりも一回りくらい年上のような男性が、立っていた。
きっと誰かの遺族だろう。
今日は珍しい。ここにはあまり人は来ないというのに2人も来るなんて。
私はそう思って、静かにその場を離れるべく足を浮かせる。
ちっぽけな慰霊碑の文字を追うようになぞる男性は首を傾げた。
「……ちょっといいかいお嬢さん」
「えっ、あ、はい!」
私かな、私だよね。この人と私しかこの場にいないわけだし。
「八王子久住はいないのか」
男の人の低い声に、私は目を見開いた。
久住さん?
「久住さんのお墓なら、その隣の小さなのです」
指を指して示してみせると、男の人の視線がゆっくりとズレた。
ありがとう、なんて言って彼は手に持っていた花をその前に降ろす。
手を合わせる男の人はけだるげで、だけどどこか優しげで。
「……久住さんのお父さんですか?」
なんとなく、そう思った。
顔が似てるわけではない。どこか、雰囲気が似ていた。
男の人はゆっくりと顔を上げて私を見る。
静かに、無表情に。
何かを、見定めるように。
「あぁ、俺はあいつの、父親だ」
あぁ、当たった。
思えば私はご両親になど合わせる顔がないのだ。
守れなかった、のだから。
久住さんのお父さんに頭を下げればその人は眉をしかめた。
何のつもりだ、と言わんばかりに。
「守れなくて、ごめんなさい」
私の言葉に、目の前の人はため息を吐いて、笑う。
「女を守ることはあれど女に守られてやるような奴じゃねぇよ、あの馬鹿息子は」
笑っている久住さんのお父さんは、悲しそうで、無理して笑っているようにも見えた。
「……ちゃんと、言ってやれれば良かったのかね、『お前はちゃんと俺の息子だ』って」
俯いて、小さく呟いた。
私にはわからない。
その言葉にどんなことが含まれているのかなんて。
どんな関係が、彼らにあったかなんて。
立ち上がった久住さんのお父さんが、私を見て笑顔を作る。
「ありがとな、綺麗にしてやってくれて。こいつを拒否しないで、くれて」
私が久住さんと仲良し、だったと考えたらしい久住さんのお父さんがそう言った。
言葉の言い方に違和感がある。
拒否しないでくれて?どうして拒否などするのだろうか。
拒否されることがトラウマだったりしたのだろうか、久住さんは。
冷たい風がびゅうとふいて私の髪をなびかせる。
「拒否する理由なんてないじゃないですか」
「……知らなかったのか?久住は奴隷だ、拒否する人間が拒否する理由なんてそれで充分だろ?」
久住さんのお父さんはとんと右耳を指差す。
そういえば久住さんは右耳にピアスをしていた。
あれ、あれって奴隷の証なんだっけ?
知らなかった。彼がそんな存在だったなんて。
「知らなかった、けれど、それでも私は久住さんを見下したりなんて、しません」
「あぁ、ありがとう」
久住さんのお父さんは寂しげに笑う。
顔が似ているわけでもないのに、久住さんが困ったように、寂しげに笑っているように見えて、そんな表情を思い出してしまって。
思えば。
私は、彼の幸せそうな表情など見ることができなかったのではないだろうか。
いつだって、彼の笑顔はどこか寂しげだったのではないだろうか。
「……それでは、私は失礼します」
なんだかここにいられなくて。
いるのが悲しくなって。
その場を離れようと久住さんのお父さんに頭を下げる。
「……ありがとな、お嬢さん」
また、礼を言い放って。
その人は墓の前にしゃがみ込んで俯いた。
私がお礼を言われる筋合いなんてない。
私は何もできなかった。
救うことなんてできなかった。
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