side:睦月
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「美風」


小さな少女の名前を呼ぶ。

少女は俺を見てにっかりと笑った。



きゃあきゃあと楽しそうに逃げ回る。



「美風!」



もう一度呼べば少女は走って逃げていく。

溜め息を吐き出せば、隣にいた彼女が楽しそうにクスクス笑った。


「誰に似たのかしら」

「あんた以外に誰がいる?」

「やだ、案外睦月さんかもしれないわ」

「……愛梨、先に帰っててくれ。美風を捕まえてくるから」


殺戮兵器とも呼ばれた母親に似たんだろうよ。

言葉には出さずに溜め息をもうひとつ吐いて、少女の向かった先へと走っていった。


何もない、綺麗な草原に美風の姿を見つける。



寂しくぽつりと置かれた大きな石の周りをくるくると回っていた。


「美風!帰るぞ!」

「きゃー!」


楽しそうに声を上げて逃げていく。

石には何やら文字が刻まれていた。
人の名前がずらりと。

中には、見知った名前が目に入る。



「……文治派の慰霊碑、か?」



しばらく離れていたからこんなもの、気がつかなかった。


ぼうっとそれに目を取られていると、少し離れた場所から泣き声が聞こえてきた。
美風のものだ。何かあったのか?


美風の見える位置へと移動する。

尻餅をついた少女はぎゃんぎゃんと泣いている。
あぁ、人にぶつかって転んだのか。



「ご、ごめんね。怪我は!?迷子!?」



ぶつかったであろう人間は慌てて美風に手を伸ばした。


「美風!」


美風は立ち上がろうともせずにぱぱぁ、ままぁと泣きわめいていた。

逃げたあげくに呼ぶな、馬鹿娘。



「ほら、大丈夫か?」



美風に近付いて抱き上げ、少女の顔を見る。

すんすん泣く美風は顔を上げようとしなかった。



「娘が迷惑かけました」



頭を下げたとき、懐かしい声が聞こえてきた。


「……むつきち?」


おかしな呼び名と共に、懐古が俺を包む。

顔をあげれば、数年前からあまり変わらない槇田の姿があった。
目を丸くしてぱちぱちと瞬きを繰り返す。



「槇田か?生きてたのか」

「それこっちのセリフだし!うわぁ!めっちゃ懐かしいじゃん!娘いんの!?可愛いー!」


うるせぇ。
声でけぇ。
テンションたけぇ。


槇田は変わらず犬のようで。



「つか老けたねぇ!おっさんじゃあん!まぁ刹那もジジィだけどなー」
「うるせぇ」


……刹那?


車椅子に座る人物をよく見るとこれまた懐かしい奴だ。
死には至らなかったものの障害を負ってしまったのか。


「……小野寺は、まぁ、雰囲気変わったな」


そこにいた青年は数年前の死にたがりだったようには到底思えなかった。

幼く自分を大切にしなかった男が、何があったのか、優しげな年相応の青年へと成長していた。



「お久しぶりです、軍医殿」

「あぁ、久しぶりだな」


まぁもう軍医じゃねぇけど。
そう呟くと「瀬谷川さん」と、小野寺は呼び方を変えて再び俺を確かめるように呼んで、微笑んだ。

お前、俺の名前知ってたのな。



そうか、そうか。
懐かしいな、何年ぶりの再会か。

わかんねぇけど、考えるのも面倒くせぇけど。兎にも角にも懐かしい。


「むつきち今何してんの?」
「隣街で医者やってる。障害持ってんなら折角だ、小野寺も来たらいい」
「遠慮します。嫌な記憶が蘇る」


嫌な記憶ってなんだ、この野郎。

ゆっくりと息を吐き出して、空を見上げた。

あの頃には見られなかった清々しいほどの、青が目に入る。
慰霊碑は寂しくぽつりとおいてあるけれど、誰かさんに手入れされているのだろう。数年前の戦争のものとは思えないくらい綺麗にその姿を保っていた。



「……もっと話したいとは思うが、そろそろ行かなきゃな。美風、お母さんの所に戻るか」

抱き寄せている少女に額を寄せてゆっくりと、呟いた。

目を静かに伏せても、目に入る色は緑。



「あ、じゃあ暇なときにでも連絡してよ。俺らも、またむつきちには会いたいしさ、紹介したい子もいるんだ」


槇田が優しく目を細めて紙を差し出した。
即席で書かれたらしい連絡先の書かれた紙を渡されて、俺は片手でそれを受け取った。




「またね」
「瀬谷川さん、また今度」



あの頃には誰も彼もがそんなことを言わなかったかもしれない。
生きて帰る保証もなく「また会おう」なんて言えなかったのかも、しれない。


「……あぁ、またな」




あの頃苦しんでいたこいつらが、笑顔でそう言えるのなら。幸せに、なれたのなら。
この慰霊碑に刻まれた人間たちを忘れる訳じゃないけれど、それでも、幸せなんだって、思っても良いのかもしれない。





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