これの続き
時系列は神童君退院後















剣城の絵には足が無かった。

剣城は意外にも人物画も風景画も空想画も描いていた。どれもこれも皆生き生きとして良い表情をする。している。猫も人間も草も風も。皆生きていた。生きていたが、足が無かったのだ。人間は上半身しか描かれない。猫なんかはご丁寧に四本とも無い。
俺がこれはいいのかと聞くと、これで完成ですと言い切られた。顔は、見てくれなかった。




あれから俺はよく絵を描く剣城の隣に座るようになった。(蛇足だが立つときもある。)初めてそんな状況になったときと特に変わったことは無い。精々会話数が増えていったことくらいだ。
最初剣城は本当に口下手で「そうなんですか」だとか「ああ、はい」といった具合でなかなか会話らしい会話は出来ていなかったのだ。
嗚呼そうそう。一つ変わったことがあったなと持ち主が家に画材を取りに帰っているスケッチブックを一枚一枚、捲った。
そして俺の目はある一枚に止まる。それを俺は度々穴が燃え空くくらいに見詰める。その絵には『足があった』。俺はそれをキャンバスを立てる台(名前は分からない)に乗せた。日が当たってまるで神々しい何かのようにそこに存在した。たかだか髪がやけに長い見知らぬ女性がそこに在るだけというのに。
俺がよく絵に触れようとすると『あんたの手が汚れるから』触るなと言われていたから触れることはしない。
剣城は絵に足を描くようになった。きっかけは、そうだ。お兄さんの『足』の手術が終わったからだった。事情は聞いていたし、入院していた時期に時々見かけたし、剣城にとってどれだけ兄の存在が大きいのかも分かっている。今までサッカーが出来なかった分、しっかり取り戻していって欲しい。そう分かっているのに、噴き出す。腹の中心から汚泥のような倫理など通じない何かが零れ始める。そんなことを知れば知る程に。ドロドロと流れ出るそれはやがてぐるぐると腹の中でかき混ざる。我慢しても出ていってはくれない。
そうして目の前の絵が憎々しく写るようになる。さっきまであんなに綺麗に、写っていた、の、に、
こんなこ、とを思うなん、てやっぱり、やっぱり駄目だ。アイツは誰のでもないの、に、アイツはアイ、ツの。それでも手は動いた。



「神童先輩」



全身が震えた。無表情であった顔が一気に崩された。ああ、なんて積み木崩し。



「…つ、るぎ…」
「…」



叱られる子供のような情けない先輩を、彼はどう思ったか。いやそんなことはどうでもいい。汚泥は止んではくれないのだ。視界がじゅわりと滲んだ。



「…どうぞ」
「……えっ」



引っ込めようにも引っ込まなかった右手と剣城の顔を交互に見た。剣城は少しだけ柔らかい真剣な顔で俺を見据えるだけで静を貫いていた。俺から始めたのに俺がどうすればいいのか分からなくなってしまった。



「………駄目だ、出来ない」
「…どうして」
「違うか、らだ」



違うから。そう思っていつもいつも黒い絵の具のチューブが落ちる。



「…違う、お前の絵に、こんなことがしたいんじゃな、い、んだ」



訴えた。それから直ぐにクンッと強引に肩を掴まれ顎を掴まれて向かい合わせられた。



「ちゃんと言えよ」



肩を掴む手が強い。痛い筈だが強張る肩に感覚が鈍る。口を開けば渦巻く何かが溢れ出そうで怖かった。はくはくと、口が動く。ああ、駄目。いつもなら此処で抑えつけられるというのに。そう思ったときにはもう遅いというものだ。



「ぁあ、違う、違うよ。お前の絵綺麗だ、綺麗だよ。好きだよ凄く」
「誰かがこうやって剣城の絵、めちゃくちゃにしようとしたら怒るぞ、一生許してやるもの、か…」
「でも、でも無性にめちゃくちゃにしたがるのは、俺なんだよ…俺が、ぐちゃぐちゃにしようとしてるんだ」
「真っ黒になればいいと思う俺がいることが許せ、ないよ、苦しい。」
「これなんていうんだ、剣城。すまない、ごめん、何で俺じゃっ、ないのかっ…て、悲しくなって」



口を食べられた。
痛いと思えたからきっと感覚が戻ってきたんだろうか。



「よく言えました」
「剣城剣城、すまない、ごめんごめっ…な…剣、城」
「いいえ良いんですよ。寧ろそっちでいい」
「剣城、剣城、剣城剣城剣、城」
「嫉妬なんてよくあることです」
「…好きだお前のことっ、ずっと」
「大丈夫、好きだからそう思うんですよ」



優しい顔が鼻先にあるのに安心してしまって、胸の痛みに涙が出てきてしまう。全てが優しい。



「…ぐちゃぐちゃにしたいと思うのは、普通のことか?」
「俺もよくなります」
「剣、城ぃ、ホント?ホントか?剣城、剣城」



また唇に吸い付かれた。でも痛い。でも、優しい甘さがどうしようもなく俺を満たしてくれるのだ。そうして胸の汚くてドロドロしたものも引っ込んでいく。こいつは俺が飼ってる筈だがひょっとしてこの飼い主は剣城なんじゃないかな。

キャンバスにはあの女性はいなくて、代わりに何枚もの俺が俺らに笑いかけている。














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