優しさとは何ですか?
ーきっと俺は分かりませんと答えると思う。
家族とは何ですか?
ーそれにもきっと答えられない。
愛とは一体何ですか?
ー俺が聞きたいくらいだな。



「ああ、でも」



辞書さえあれば、幾らでも答えられる。




『僕』の話を聞いてください。
気が付けば、僕の周りには大嫌いな父さんしか残ってなかった。母さんはどうしたの?それは何度も何度も聞かれた。大嫌いな父さんは気持ち悪いくらいの笑顔で何度も言うんだ。
なあ篤志、どうして母さんは俺から逃げたんだろうなあ。俺はこんなにも母さんをあいしてたのに。なあ、何でなんだろうなあ。
父さん、そんなこと子供に聞くことじゃないよ。それから父さん。



「そうやって母さんにやったことを僕にしないでよ」



そう無表情に言えば、急に怖い顔をされて思いっ切り腕を捻られた。痛い痛いとは言わないよ。だって大嫌いな父さんはそれを聞き入れてくれないのはもう、知ってるから。我慢するしか無いんだ。騒げばガムテープの刑が僕を待ってるだもん。
父さんは母さんによく似た顔には手を出さなかった。あいする人の顔は殴らないんだと。いったいどのくちがいうんだろうね。そう言ったときには水の入った湯船に無理矢理顔を突っ込まれた。こればっかりは死にそうになって苦しかったけど、自分が悪いと言い聞かせることにした。不利な事はこうして打破せねば。
父さんは時々気味が悪いくらい甘くなるときがあった。殴ったり縛り付けたりするときはこわあい顔するくせに、本当に時々、甘いシロップを重ねてかけるように僕を甘やかすときがあった。
僕はその気味の悪い感情の名前を知らなかった。
非道徳な経験値は積み上げられて痛い痛いと悲鳴をあげる体に痛くないと言い聞かせて、怒鳴られないように怒鳴られないように口を閉ざしている内に、僕は『本当』を吐き出す口までも塞いでしまったのだ。
そうして僕は『俺』になっていきました。




俺の話を聞いてください。
気がつけば周りに人はいなかった。でも大して気にならなかったのもまた事実だった。嗚呼またか。実にシンプルに考えていた。きっと取り繕った笑い方をするから気に食わないのだろう。そう、考えるようにしていた。相変わらず父親の暴力は止まなくて、結局中学に入ってからも止むことは無かった。まあ期待なんてしてない。
ただ、中学生というのは非常に難しい年頃なわけだ。見ていないようで見ていることの方が多い。痣も包帯も傷痕も見られてはまた面倒なことになる。俺は以前にも増して事を繕うようになった。
また、扉が閉じて、鍵が掛かって、窓も閉められていく。特に気にすることは無かった。今、耐えればいい。そうだ、内申を盾にし剣とし早く自立すればいい。父親の愚かしい手が届かないところで生を消費すればいい。中学生では無理だがそれ以降なら。だから今は耐えればいい。
俺はそんな結論に辿り着いた。




「…お前、『それ』持ってんの疲れるだろ」



それ。
目の前の、最近サッカー部に入ってきた倉間という一年は『それ』をとても重そうに持っていた。気怠げに言えば、倉間はぐわんと此方を見てきた。暗がりの黒目が此方を一瞥する。諦めたような暗がりをしている割には何で何でという顔をしている。



「……分かるんですか」
「んー見てりゃ分かる。まあ偶々気付いただけだな。重そう」
「まあ…もう諦めてますから」
「………ふうん」



変な沈黙。まあ生まれても仕方ない。お互いそんなに相手のことをあまり知らないのもあるが、話題も話題で特殊というのがある。というかこの後輩が特殊なんだ。



「人の『本当』が聞こえるって、すっげえ嫌だな」



ポロッと零した一言に、倉間は何故か不思議そうにこう返した。



「南沢さんからは聞こえません、けど」



えっ、なんて間抜けた声を出した。こんな声、最後に出したのは何時で最後だったかな。すると倉間は「何故かあんたからは聞こえないんですよ」と目を背けた。
それ以来そのことが気になるようになった俺は、倉間までも気に入ってしまって自分から話し掛けるようになった。最初こそは邪険にされていたが、倉間も倉間で普通の人間と同じ状態でいれる俺との空間を気に入っていったようだった。今まで、積んだことのない経験値だった。倉間の実体験はそれはそれは面白かった。だって普段味わえもしない感覚の話をしているのだから。




今の俺の話を聞いてください。
倉間と連むようになってからも相変わらず父親の暴力は続いた。けれど今までの感覚とは何処か違う。腹に蹴りを入れられても罵倒されても、浮かんでくるのは、『傷見られたくないなあ』とか、『倉間、また気付くのかなあ』とか、なんて。妙な力無しでも勘の鋭い後輩を思うことが増えた。
だってアイツ、今まで見たこと無いような目で俺を見るんだ。なあ、何でお前がそんな悲しそうになんの。お前には何も辛いこと無いだろうが。俺如きにそんな顔捧げんなよ。お前にそんな顔してほしくて一緒にいるわけじゃない。



「笑ってくれよ」



どうすればいいのか分からないままキスをした。どうすれば笑ってくれるのか分からないまま抱き締めた。でもおかしい。俺が抱き締めた筈なのに倉間は優しく抱き締めてきて、俺は『抱き締められた』ことになった。
おかしい、俺の心が、感情が、気持ちがこころが、



「……っいてぇ」



焼けちまうよ。痛いよ、痛い、何で、今まで痛いことなんて、ああ痛い。お前の事考えると、い、た、い。痛い。助けて、助けて。倉間、お前は俺の救いなんだ。唯一の逃げ道。光。俺を真っ暗な部屋から引き上げる。手。手。手が。
冷たい暴力等に使われないその手で俺の部屋の鍵を開けて。開けられるよ、お前なら開けられるって直感してんだよ。さあ開けて。そしたら助けてくれ。そしたら教えてくれ。この気持ちを。そしたらそしたら。やっぱり痛いものは嫌いだよ。



でも、お前には全部聞こえないんだった。俺は心界を閉め切った打開策を恨んだ。
なあ、助けて、痛い。















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