霧野と別れて、俺達は歩いていた。勿論帰り道を。胴体は全然重くない。寧ろ以前より軽くなった気さえする。だけどこうもうまくいかないものかと俺は悶絶した。一歩一歩歩く足が、まるで錨を引き摺っているような感覚までしてきた。現実、きちんと歩けてはいるが。
隣を歩く南沢さんも黙々と歩いていて、時々自分のマフラーに頬をくっつけたりしている。今の時期は暦的に春と言ってもまだ風があって寒い。まだまだマフラーは手放せない。南沢さん寒がりだからなあと空を仰いだ。



「倉間倉間」
「はい?」
「寒い、手ぇ繋げ」



寒いと言ってもそこまで寒くない筈なのに、南沢さんは真冬のときみたいに鼻やら目元を赤くして言った。差し出された手も赤くなっていて微かに痛々しい。



「鼻真っ赤にして命令されてもなあ」
「うるさい」
「はいはい」



会話こそ意識があるものの、ほぼ無意識で南沢さんの赤っぽい手を握った。しかも指と指を組んで絡ませる『あっち』ので、だ。
俺が指を絡ませると当たり前のように南沢さんの俺より少し長い指が侵食してくる。そこではた、と無意識の世界が覚める。と、同時に南沢さんが立ち止まった。クン、と引力か何かに引かれるように腕が引かれた。



「南沢、さん?」



返事は無かったが、紫の髪が揺れて首が動いた。頷いているらしかった。俺が表情を伺う前にがくんと首が下がった。



「南沢さん?」
「ああ」
「…どうしたんです」
「暫く我慢な」



どうやら黙って手握らせろということらしい。南沢さんが俺の浅黒い手を白雪みたいに白い自分の額に付けた。少し冷たくてぞわりとした。けど、そのぞわりとした感覚は一瞬じゃ終わらなかった。
『まただ』。また、この嫌な感じがしてきたのだ。



「南沢さん」
「なんだよ」
「腕の包帯、どうしたんです?」



多分、霧野と話していなければ聞けなかっただろうなと思う。いや推量じゃなくて断定する。南沢さんは動かない。でもそれは凍り付いたようにも見えて、やっぱり何か隠してるとも取れた。



「見たのか」
「今日の部活中チラチラね。多分俺しか気付いてないと思いますけど」
「…そうか」



質問に答えるつもりは無いらしい。俺の手が今度は頬に当てられた。少し首が上がったけど顔が陰って見えない。見せる気も無いみたいだ。何ですか、それ。



「また呼び出されたんですか」
「違う」
「まさか自分でやったとか」
「違う」



そうは聞いたけど、俺は自傷したなんて思っちゃいない。南沢さんが思ってもないこと聞くなとでも言うように手に爪を立てた。



「…転んだってそんなとこに傷出来ないし」



自分の声が焦燥に染まってきた。何を焦ってるんだと自問自答したいところだが、残念ながらそんなに冷静にいられる余裕は無かった。言い換えれば『また分からないまま終わるのに怯えた』んだ。それじゃ霧野に悪い、とでも思ったのかもしれない。いや、それはないな。悪いけど。
俺はマズいと思った精神を無視して、南沢さんの肩を片手で強く掴み掛かった。



「っ!」
「『何でもない』訳ないですよね?『大丈夫』な訳、ないですよね?」
「倉間、痛いっ…!」



南沢さんが呻いて表情が見えたけど、もうさっきまで浮かべていた表情はかき消されていた。痛みに顔を歪ませている。それ以上でもそれ以外でも、ない。亡い。無い。
南沢さんが俺の肩を片手で掴み返した。凄く弱々しい力で。



「目、据わってる。…っ、何でそんなに、怒ってるんだよ…っ…」



こうなっても尚、南沢さんは答えない。それどころか質問を提示し返してきた。心なしか泣きそうな顔をして。



「何も答えないからじゃないですかね」
「……っ」



加速する、加速する。焦りにもどかしさと苛立ちそれから怯えなんかが乗算されて、物凄い濁流と化していく。
可笑しい。こんな筈じゃなかったのに。もっと穏便にやれたのに。どうやら枷を外すべき感情を間違えてしまったらしい。可笑しい可笑しい。今までだってこんな状況あったし、それは感情を抑えられたのに。
嗚呼違う違う違う!南沢さんにこんな顔させたいわけじゃないんだ!そうじゃないのに!そうじゃねえのに!



「…お前には関係ない」
「嘘だ!そんなこと微塵も思ってない癖に!」
「俺の心は聞こえないんだろ、何を根拠に」
「……あんたと過ごしてきて、あんたを見てきた時間!」



訴えるように声を荒げる。嗚呼また泣きそうになって、今度は何処か自嘲的に笑う。それでも南沢さんからは何も聞こえない。ただ俺の私物やらが口々に犇めくだけだ。
段々虚しくなってきて俺は南沢さんの肩から手を離した。合わせるように南沢さんも手を俺の肩から力無く離す。



「悪い」



それは何に対する謝罪なんですか。

聞いても南沢さんは泣きそうに笑うだけだった。













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