「また、観に来たんだ」



ズルズルと腹を這いつくばらせる音が此方に近付いてきた。此処の支配人はこれじゃあ何時までも嘘吐き呼ばわりだな。それが狙いなんだろうけど。



「よう、元気か」
「まあそれなりに、な」



檻に囲われた闇にぼんやりと浮かぶ蛇目は言った。ギラギラ輝くその目は宝石のように煌びやかであるのだが、その中には小さな体に似つかわない憂いがあった。それは出会ったときと全く変わりない。この狭い檻の中で過ごし続けるのを受け入れたようなそんな顔。そんな顔をし出したところ悪いが生憎俺は受け入れさせるわけにはいかない。
瞳を細めて檻の中に手を入れてその左目に触れた。
『冷たい』。



「サービスいいな」
「…別に。常連?みたいだし、お前からは特に妙なもんは感じないからな。特別。」
「それだけ聞くと遊女みたいだな」
「…馬鹿言うな」



ちりっと癒えない傷が痛んだような顔をした。文字だけを見れば、彼なりに人間がおどけて言うようにしたのだろうが表情の所為で出来ていなかった。いや、人間にしか通じない冗談を口にした俺が悪い。
しょうもない。選ぶ言葉を間違えるとは。
水を吸い上げた真綿のように重い空間に、俺は投げた。



「…倉間」



彼が俺に差し出した名前を、呼んだ。
差し出した際彼、倉間は言った。どうだ。これで忘れられなくなっただろ、人間。と。



「…なんだよ」
「お前は此処で死にたいのか」



ギョロリ。
蛇の目が完全に此方を向いた。憂いは苛立ちに変わり、此方を獲物という認識に変えた。職業柄そんなものには慣れてしまって特に身構えることも無くまた投げる。そうするために俺は倉間に会いに来たんだ。



「おい人間、今更何聞いてんだよ」
「此方で死にたいのか」
「んなくだらねえこと聞いてよ、喰われてえのか」
「そう言うのは諦めてるからだろ?諦めなくていいんだ、倉間」
「は…?」
「お前には外で生きたいと望む権利がある」
「空っぽの権利に価値はねえ」
「空っぽなんかじゃない。そうなのはお前が思い込んでるだけだ」
「そもそも俺は此処の見せ物なんだよ、許されやしねえ」
「許されるよ。俺が許す」



ガッシャン、と鈍い金属音がしてそれは開かれた。四方に散る。



「俺が、此処から出してやる」



ふわふわと舞う土煙に噎せることも眉を顰めることも忘れた彼は、ただ其処に在った。先程から触れる俺の手を払うことも忘れて。
目の苛立ちの泡はパチンと呆気なく消えた。



「何で」
「ちょっとな」



スルリと少しパサついた髪に指を遊ばせてはぐらかした。仕事に私情を混ぜた、なんてことは内緒。
倉間は崩れた隔たりにただただ目をユラユラ揺らしていた。それもそうだろうな。諦めたものがこうもあっさり差し出されたら、そりゃあ。



「…じゃあ何、俺はお前にかわれたってこと?」
「違うな。ちょっと…差し押さえた、というか奪ったと、いうか、な」



正直、一瞬それも考えた。けどそれでは意味が無い。『自由』はそうやって手にする物じゃない。
手を引いて呆ける倉間を立たせる。立たせても未だに実感が湧かないのか信じられないのか表情が険しかった。



「人間、」
「南沢な?いい加減呼んでくれよ」
「…………南沢は、馬鹿なのか」
「…」
「んな面倒事に手出しして、つか、俺に殺される心配とか無いのかよ」
「…まあ、普通の人間よりはお前らの事分かってるからその心配は別に必要ない、かな」
「…」
「そもそも俺お前の事そんな風に思ってないしな」
「…よく分かんねえ」
「かもな。でも、そんなにしてても、お前は俺も、何も殺さないよ」



肩を軽く掴んで頭を撫でてやると、ぐしゃぐしゃと顔が歪んで泣きそうにした。よく分からない。また倉間は涙声で言う。うん、俺もよく分からない。



「これでお前も晴れて自由だ。さ、還りな」
「横暴」
「?」
「俺には還るとこは無い。おまけに自由って、何」
「…」
「…何だよ」
「そうだったなと思って」
「何も考えてなかったの」
「無我夢中で」
「もういい。それで、自由ってなんだよ?」



自由。自由、どう言語化しようか。どう教えようか。
ほいと差し出されるには少し壮大な疑問で、今生きている俺達人間にも分からないことをどう教えれば示せば、いいだろう。



「…誰にも縛られずに生きること」
「?」
「まあ大々的にはこう唱われてるんだが…」
「?」
「…。」



俺は考えなかった。正しく綿密に言えば一般論の自由を唱った辺りまでは考えていたのが、何時の間にか、無意識の海を泳いでいた。



「俺んとこ来る?」
「は?」
「何か分かるかもよ?その為にはまず生きることから始めねえと」
「……生きることを始める、って…」
「今更?そうかな?案外そうじゃねえかも」
「……」



其処まで泳いで、口元に手をやった。しかしどんなルートを歩こうが泳ごうが道は自分の二本足の下にしか無く。戻れないものなのであった。



「…生かされるんじゃなくて、生きてくんだ」
「…それが、自由?」
「一部に過ぎない。自由の始まりってとこだな」



倉間は(俺が無意識に)差し出したこの見えない手をどうするのか、暫く様子を見ていた。檻はもう何も言わない。あの嘘吐き野郎も何も言わない。

倉間の意思が俺の手を怖ず怖ずと握って、指と指を動かして締めた。



「教えてくださる?」



力を入れていなかった手を締めた。
先ずはな














重みの裏の裏の裏

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