湿度が不快にも肌に張り付いた。拭っても拭っても、水に成りきっていないものだから拭い落とせる筈もなく。
濁った雨雲の空にべ、と舌を出してみた。ポツポツと降る雫が当たる感覚が微かにするような気になった。しかし今の時期は酸性雨が降っていたような。そんな雑学を思い出して馬鹿馬鹿しくも舌を引っ込めた。いつかこの雨で鉄塔やらが溶けてしまったりするのだろうか。
顔を上げれば降る酸性雨の始まりが見える。あんなに始まる場所は遠いのに、雫が終わるのは近い。近くて速い。早い。ではあの重苦しい鈍色雲は終わりの始まりなのか。始まりの終わりなのか。恐らく前者なんだろう。生憎、この天気で部活は無くなってしまってどうにも気分が沈み込んでいく。



「大丈夫か」



泥濘にでも浸かっていくような重い体を隣に向けた。
何故だか隣がだんまりと俯いている。チカチカと眩しい栗色のくせっ毛も、今や影が混ざり込んで目に入れるのに何の影響も生じなかった。俺よりも深い泥濘に浸かっているのか何なのか。



「おい、天馬」
「…どうしたの?」
「…だから大丈夫かって聞いただろ」
「あ…そうだったの?ごめん、大丈夫だよ」



どうしてか萎れそうな植物のような天馬を放っておけず、結局一緒に雨が止むのを待っていることになった。天馬は傘を持っていないと言った。どうしてだと聞けば必要無いかなと思ったと答えられた。
濡れて帰っても構わないとでも言うのだろうか。俺じゃあるまいし。



「濡れて帰りたいのか?」
「えっーと、…そうじゃないんだけど…ちょっとね」



曖昧に言う。そうしてまた俯く角度が深くなった。何かに落ち込んでいるような、何かに塞ぎ込んでいるようなそんな翳りが見える。天馬のあの笑顔がこのタイミングに恋しくなった。
しかし誰かを優しく慰めたり声を掛けたり。そんな術、俺は知らない。(知っていても寧ろ逆効果だろう)だからこうして隣にいてやる。でも碧は一度も此方を見ない。見せない。
湿気の所為か段々とイライラしてきた。何だか、何かを包み隠されているような、そんな感覚。



「何でこっちを見ないんだ」
「……。」
「聞いてるのか」
「………、…」



びくりと、俺よりは丸い肩が跳ねた。不可解。
それからまた不可解に、サッカー棟の屋根から飛び出て此方をぐるりと振り向いた。



「…っ、えっーと…」



ははは、そう笑うあの笑顔は泣いていた。弾かれたように俯く角度を浅くするから何事かと思えばこれまた何事だ。
泣かせるようなことは何一つとして言っていないし、していない。大丈夫だ。何がだ。
呑み込めない焦りと困惑を味わいながらも綺麗な大粒の涙は重そうに、落ちる。
嗚呼、こいつが泣くのを見るのは今が初めてだった。



「あはは、ごめん、困るよなあ」
「……いや、構わない」



ゴロゴロと切られて揺れて無残になってしまった声とは裏腹に、雨が勢いを増す。強くなった雨の中に目の前で流している涙がちっぽけに見えてしまったのが否めなかった。俺はびしょ濡れになっていく天馬の腕を足早に掴んだ。



「どうした」



掴んだらそう聞くのが精一杯だった。今まで払ったことも無いまでに優しく言うことに努めて。天馬は親指で涙を払う。やっぱり笑っているのは変わらない。



「俺って、雨の日は上手く感情のコントロールが出来ないんだ」
「…大丈夫か」
「…大丈夫、じゃない、かな」



グシャグシャと潰れていく碧目が悲哀を閉じ込めたようだ。何が悲しいのか、そんなことを察せられる程俺の心は上手く出来ていない。雨は強くなるばかりで止む気配の尾も頭も見えない。
すっ、とまだ丸みのある手が俺に向かってきた。その手は一度躊躇するように宙を舞って、俺の手を握り締めた。



「…天馬」
「ちょっとだけ我慢、ね。こうすると…安心…するんだ…」



呼び声を拒否と勝手に受け取った天馬は寂しそうに首を傾げて笑った。擦り寄るように組み合わされる指の一本一本に俺は何も言えない気分になる。沈んでいく泥濘がまた更にグチャグチャに掻き混ぜられた。全てを分かり、また分からなくなる。
それを感じたまま、指々を絡ませる。



「ありがと」
「俺は、何も出来てない。」
「そんなこと、ない、よ…俺、剣城がいて良かった」



涙声。直ぐに豪雨にかき消されてしまいそうで返す言葉が見つからない。



「泣くのを見せるってさ、…本当に強い人が出来ることだと思うんだ」
「……何を、急に」
「俺も革命なんて風を起こせたけど、所詮は…人間だから…弱虫なんだ。だからこんな風にしか泣けないんだよなあ」



力が籠もる手。それでもこいつは綺麗に泣いて、笑っていた。
何が悲しくてお前が泣いているのか。俺にさえ分からないことが、とてもとても不快で仕方がない。
俺までも無性に泣きそうになって、また目を終わりの始まりに向けた。外では雨粒が速い終始を繰り返したままで、早く止んでしまえと願うことしか出来なかった。



(早く、何処かへ行ってしまえ)














私は間違えた

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