*明治パロディ
町が咲いた。いや、その前に皆が髪に剃刀を通した。
そして花々が子葉を落とすように髪が落ちる。咲いた町に養分を与えきったように床に散る。最近流行り始めた書物に寄ればそんな散切った頭を叩くと文明開化の音がするそうだ。
「今一つよく分からないな。『文明開化』ってどんなものなんだ?」
剃刀を入れたというのに女のような長髪をそのままにした幼なじみに言うと、安心したような顔をされた。何故此処で安心されなくちゃならないのだろうか。
「故にな、お前は毎日毎日寄り道もしないで帰って直ぐ書斎で書物ばかり読み漁って、外出をするときといえば学校へ行くくらいだ。帰っているときだって本を読んでたり俺と談笑していたりで町の風景なんざよく見ていないのに、流行りを知ってる方が怖い」
「…前半の言葉は聞かなかったことにするぞ。文明開化とは流行の事を言うのか」
「政府が急に導入した制度とも取れるな。なかなか面白味がある」
霧野が楽しそうに歪めた口元を手で隠すように覆った。
「例えば!」
ずいっと凜として美しい顔を寄せたかと思えば、さっきから手に持っていた黒い棒のような物を眼前に差し出した。正直言うと先程からずっと気に掛かっていたのだが、どう言及すればいいのかと情報量が足りずに何も言えず仕舞いだったのだ。そう、気掛かりだったから大いに助かる展開だった。俺は後ろに仰け反りながら「それは?」と興味ありげに聞いた。
「コレは蝙蝠傘というものらしい」
「蝙蝠?」
この棒が?まさか。
俺はギョロギョロとそれを眺めたわけだが一向に蝙蝠何ぞの影も形も連想出来ない。それどころかこれが傘であるとも認識出来やしない。
俺の眉間に皺が寄っているのに気がついたのか、霧野は得意げに笑って棒の細い部分に手を掛けた。
「わっ」
ボン!と勢い良く傘が開いて、その強硬な音に怯えてしまって目を瞑ってしまった。霧野に大丈夫だ、と優しく言われてしまって屈辱を燃やしながら目を開ける。
真っ黒な布と光る銀色い骨。それが蝙蝠が翼を開いたように見えるが所以にその名が付けられたのか。霧野が柄を回せば黒い翼がくるりと旋回する。身を翻す。
「…へー…」
「な?なかなか面白い形してるだろう?」
「成る程、骨は鉄か何かで黒い生地を張ってあるのか…何だか丈夫そうだな」
「今じゃコレを携えて歩く人ばかりだ、雨は当分降りそうにもないのになあ」
「これは、一種の装飾品なのか?」
意識も無しに俺の声に弾みが掛かっていた。何せ今、この神童拓人は時代の『流行』とやらを見ているのだ。書物の上だけの知識ではないそのものを眺めて静かに好奇心が疼いた。傘をまたくるりくるりと旋回させて霧野が続ける。
「これだけで驚かれては困るな、外にはもっと新しいものに満ち溢れているんだから」
「外…」
「出掛けよう神童。文明開化の波に乗りに行こうじゃないか」
「霧野霧野!馬が車輪の付いた箱を引いてるぞ!」
「あれは馬車というんだそうだ」
すっかり文明開化の世界に胸を弾ませ無邪気に俺の袖を引っ張る。そうして飴色の瞳を爛々とさせて、無知な少女のように可愛らしい言葉をばらまく。それが今の神童だった。ハイカラと化した町を然り煉瓦然り馬車然り。酷く興味深そうに眺めていた。正直胸の内を明かすと、今俺は安堵している。先程の神童は飴色を憂いに染めて退屈そうで、「文明開化とはなんだ」と聞いたときにもその顔は変わっていなかった。しかし、引き籠もり性質の神童には良い気晴らしになっているようである。
あれはなんだこれはなんだ。そうやって俺を見詰める飴色に何処となく嬉しくなった。
ぐいっとまた袖を引っ張られる。
「なあ霧野。文明開化といえば牛鍋らしいが…牛鍋とはどんなものだ?」
「ん?…ああ牛鍋なあ。あれは…牛肉を使った鍋料理だ」
「……牛肉?」
「……あー…牛の肉だよ」
急に神童の声の高さが変わって、何となくバツが悪くなって告げるとみるみるうちにあどけない笑顔が哀しそうな色に塗り替えられた。神童はそういえばそういう奴だった。
そんな空気の中、「実は世には牛乳というのも出回っているんだ」なんて事実も口に出せるほど無神経ではない俺は目の前にした牛鍋と書かれた暖簾の掛かった店から足早に離れた。勿論神童の手を引いていくのも忘れない。
「…霧野、これは?」
「マント!」
神童にあげようと思って、と続けるとまた少女の笑顔が顔を出した。
「これは…防寒具か?」
「恐らくな。俺は知り合いから譲り受けただけだからさ。」
「…どうやって着るんだ?」
「はは、そうだったな。ちょっと待ってろよ」
とは言うものの肩に掛けて留め具をするだけなのだが、神童は御満悦そうだ。ぐるりくるくるとそのマントとやらを控えめにはためかせる。そのいじらしい姿につい抱き締めたくなったが、此処が町中だったのを思い出して泣く泣く踏みとどまった。紳士たるものこれくらいしなくてどうする。
「霧野、俺は案外と物を見ていないのだな」
まだ知りたいまだ見たい。
そんな気持ちが飴色に煌めいて美しい。俺はそんな少女のようで美しい彼が好きだった。そんなことを再び思い起こしながら、小さく餡パンとやらを食してみたいと言う神童の手を握った。
未だにこの足はハイカラな煉瓦道に馴染んでいなかった。
花弁開けばアルカディア
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